リアルサウンド映画部に『シルクロード.com ―史上最大の闇サイト―』のレビューを書きました。
『シルクロード.com』が問う、インターネットの“自由” 普通の青年が怪物となるまで|Real Sound|リアルサウンド 映画部
ダークウェブで違法なドラッグ販売ができた「ドラッグのイーベイ」や「闇のアマゾン」などと言われた闇サイト「シルクロード.com」の創業者を主人公にした物語です。ダークウェブ史上でも最大の摘発とも言われるもので、大量のドラッグの売買が行われていたサイトですが、その創業者だった若者の実像に迫っています。
彼は、ナイーブな若者だったんですね。肥大化した自己の理想を体現するためにこのサイトを作ったわけですが、シリコンバレーの億万長者のように自分も世界を変えたいという夢を追いかけた若者として描かれています。
物語はその創業者であるロスと、彼を追うベテラン麻薬捜査官リックを中心に展開します。リックは架空の人物ですが、実際の何人かの捜査官の特徴や行動を組み合わせて、オリジナルの要素を加えた人物像になっています。
ロスのやったことは、ある意味インターネットカルチャーの行き着く先というか、ネットが生んだ意識を煮詰めるとこうなるよね、みたいなものだと思います。彼を単純に嗤うことは難しいと思います。
以下、原稿作成時のメモと構成案。
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Thesis
ナイーブな若者と肥大した夢の帰結
ネットには疎くても、犯罪者のマインドを読むことには長けていた。。。犯罪者として彼のマインドは至極読みやすかったと言える。。。未発達な、未成熟なナイーブな青年だけに。
ネットは無法地帯だった時代は終わった。無法は見えにくくなった。ダークウェブという場所に移動した。
もっと自由を目指すべきだという彼の主張を否定しきれないのではないか。。。法、規範、市場、アーキテクチャによる規制がどんどん進んでいく表のネット世界に私たちは本当は何を想っているのか。
↓
彼の行為は否定されなくてはならない。だが、彼の投げかけた問いを否定しきれる人間もまた少ない。
極端な試み
Point3つ
規制でがんじがらめになる表のネット社会に今、私たちは何を想うか
肥大化した、地に足のつかない夢に飲まれるナイーブな若者
世界を動かしたいという欲望について考える
彼は世界を変えたい、動かしたかった。。。けれど、変えられたのは自分自身だった。怪物に変わってしまった。
それを追う刑事の悩み。。。深遠を覗くものは
「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」
結論
世界を動かせなかったとしても、私は世界に変えられてしまわないように
Intro
これは「世界を動かしたい」と不遜な野望をいだいた青年の物語だ。
しかし、結論から言うと、世界を変えようとした青年は、世界に変えられてしまった。怪物と対峙する者が自らも怪物になってしまうように。
簡単にあらすじ
実際の事件から着想を得て、創作を交えて展開する物語。
この男は何を目的としていたのか。
Body1
物語の構図
リバタリアニズムの青年、自由主義者。。。その視点から見た一定の倫理での運営
↓VS
ネットに疎い、家庭崩壊の危機になるベテラン捜査官。彼は架空の人物
匿名性の闇の世界に飲み込まれ、ついには自らの倫理を踏み外していく。
Body2ネットの自由と不自由をどう考えるか
本作は、ダークウェブの危険を扱うが、ダークウェブ自体は技術であり、善悪はない。
政府の圧政から逃れるため手段としても用いられるこの技術は、たしかにロスのような使い方もできるが、同時に大きな可能性もある。
どんな可能性か
↓
法、規範、市場、アーキテクチャーの4つで人の行動は制限される。
インターネットの世界は、プラグラムというアーキテクチャーによって大きくコントロールされている。全ての行動には足跡が付く。
自由はどんどん狭くなっていると感じている人は、ロスじゃなくてもいるのでは。。。巨大企業の支配がどんどん強まる昨今の情勢を見るに、彼の主張の全てを退けることは難しい部分もある
ネットの発展とシルクロード
Youtubeもかつては無法の空間だった。だが、流行ったもの勝ちで後天的にクリーン化した。シルクロード.comにそのような可能性はあっただろうか。彼が倫理観を失わずにいたとしたら。
↓
YouTubeが示す例は、4つの規制のうち、市場の強さ。。。大量のニーズがあったから、法と規範を吹き飛ばし、市民権を勝ち得てしまった。
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シルクロードの発展とそれはどの程度違うのか。
現代ネット社会はこのように法の規制優位とは言い難い部分がある。もし彼の提供したものが、それがいかに法を破っていたとしても、より広範に求められるようなものだったら、結果は変わっていた可能性もある。
その意味で、我々は法の観点だけではロスを否定しきれない可能性もある。規範だけでも難しい。彼が道を踏み外し、殺人指示まで行ってしまい、武器の売買すら許容するように転落したから、倫理的に非難できるようにはなったが、もしそうでなかったら、実はそこまで強い根拠を持てないかもしれない。
そもそも、「世界を変える」革命は、既存の体制の作った法や倫理を破らなくては達成できないものではないか。
Concl
結果として、彼はナイーブな青年で革命家の器ではなかった。周囲の人々は彼はただの恋人て善い友人でよい家族で、よい隣人だった。分不相応な野望がかれをおかしくしてしまった。
世界を変えるつもりが、自分が変えられてしまった。
私たちはこの物語から、何を受け取ればいいか。
世界が目まぐるしく自分に迫ってくるとしても、世界に振り回されずに生きるべきだ。そして、自信の誘惑にも振り回されてはならないのだ。
参照
史上最大の闇サイト「Silk Road」をめぐる2つの物語:ダークウェブの創世と崩壊を描いた新連載スタート! | WIRED.jp
Part 2. 架空の人生──連載「The Rise and Fall of Silk Road」 | WIRED.jp
管理者は「厳格な行動規範」を示した。児童ポルノ、盗品、偽の学位は扱わない。管理者はこれを、「サイトの基本ルールは、自分が人から扱われたいように他者を扱い、ほかの人を傷つけたり騙したりするような行為は控えること」とまとめている。
DPRにとってサイトは政治論争の実践場だった。DPRは「税金というかたちで国家に資金を与えるのをやめよ」と説いた。「生産的なエネルギーはブラックマーケットに注ぎ込め」。DPRは次第に尊大になり、Silk Roadで行われる全取引は普遍的な自由に向けたステップであるとまで言い始めた。
Silk Roadはある意味では、インターネットを活性化させてきたリバタリアン的価値観の論理的帰結だった。それは過激化したシリコンヴァレー的思考であり、政治レトリックをまとった破壊的テクノロジーだった。DPRは、来るべきデジタル経済の未来を見通す王にして、哲学者であり、Silk Roadはリバタリアンの楽園へと至る第一歩だった。Silk Roadは法執行機関に対する不意打ちであり、DPRの言葉を借りるなら、権力構造そのものへの挑戦だった。潜入捜査で犯罪組織の大物の役を演じるのは楽しかったが、それには代償が伴う。役になりきればなっただけ新たな人格で生きることのほうが楽になっていくのだ。実生活でのフォースは、身なりのきちんとした父親だった。教会にも通っていた。だが、ドラッグの取引の捜査でナイトクラブに行き、酒を飲みながら女たちに囲まれているときの楽しさは、自分でも信じられないほどだった。
Part 3. 孤独な教祖──連載「The Rise and Fall of Silk Road」 | WIRED.jp
DPRは複雑なボスだった。グリーンが約束のTorチャットの時間に1分遅れただけで延々と詰り、クリスマスの挨拶をしなかったことで長々と文句を言われたりもしたが、そうかと思うと時にはやたらと寛大だった。DPRはデジタル時代のドンよろしく、外に向かっては優しく度量の深い人間になれたが、裏では明らかに人間性を欠いていた。DPRはノブに、もし自分が権威を濫用しているように感じたらそう言ってほしいとメッセージを送った。ノブは「もちろんだ。友だちってそのためのもんだろ!」と返した。DPRはイニゴに、自分が最も恐れているのは「非常に成功して」、そのために「権力によって堕落する」ことだと打ち明けていた。ノブもこのネット上の同志に、権力がどのように人を蝕んでしまうかについて警告していた。
2年足らずで築き上げた数百万ドル規模の麻薬密売システムを前に、ロスはもはや、女性に嘘をつくことをくよくよ悩んでしまうような心優しい青年ではなくなっていた。彼の日記は不安と希望の入り混じった物語から、ビジネスライクな権力拡張の目録へと変化を遂げていた。
Part 4. IPアドレスの行方──連載「The Rise and Fall of Silk Road」 | WIRED.jp
ターベルはDPRのチャットログを最新のものから過去に遡るように読んでいた。殺人もいとわない男から個人の幸福に関心を抱く理想主義者へと、DPRの人生を巻き戻すのは奇妙な体験だった。ターベルは、Silk Roadはある意味ではリバタリアンのユートピアだと思ったが、それも驚くことではなかった。どんなシステムにも腐敗は付きものだ。インターネットも同じで、初めは素晴らしい自由な大草原だったが、人間がその自由を悪用した。だから保安官が必要なのだ。
Part 6. 夢の跡──連載「The Rise and Fall of Silk Road」 | WIRED.jp
みながまずショックを受け、次に激怒した。「ロスはあんなにいい奴なのに」という思いが、全員の心に繰り返し湧き起こった。何かの間違いに決まっている、と。ロスの代理人を務める著名弁護士ジョシュア・ドラテルも、同じ主張を展開した。
手強い事件を多く手がけてきたドラテルがロスの保釈を求めて用意した書簡には、「善良で模範的な人物」「義務をきちんと果たすことで評判」「世界をすべての人にとってよりよい場所にすることに果敢に取り組んでいた」など、ロスを擁護する感動的な証言が並んでいた。
明快で否定できない圧倒的な証拠を前に、陰謀説の主張はまったく役に立たなかった。過去最大規模のサイバー犯罪の審理がマンハッタンのダウンタウンにある連邦裁判所で開かれるとあって、法廷にはロスの家族や彼を支援する傍聴人、報道機関が詰めかけた。
ロスはただ命令を受け入れるコンピューターのコードとなり、あらゆる人が適当な人格を彼に投影することを許していたのだ、と。
例えばアレックスにとって、ロスはクールな新しい同居人だった。ジュリアにとっては情熱的な恋人であり、インスピレーションの源だ。家族にとっては永遠のイーグルスカウトで、フォースにとっては得がたい夜の友人だった。ターベルにとっては、傲慢さゆえに敗北した利口な若者であり、そしてニューヨーク州南部連邦地裁にとっては、ロスは単にDPRという犯罪者でしかなかった。
おそらく最も真実に近いのは、ロスはこれらすべてに当てはまるということだ。ロスは公園の木からゴミを取り除こうとまじめに努力するような青年で、広い心をもった探求者だ。しかし同時に、熱に浮かされた夢想家であり、多くの犠牲を払って仮想の帝国をつくり出した。どの真実も互いを否定しない。ロスとDPRは共存しうる(そして実際に共存していた)。
ノブを演じていたフォースは、遠く離れたボルチモアで事の成り行きを見守っていた。捜査からは外され、キャリアをめぐる夢は潰え、裁判が始まるまでには麻薬取締局(DEA)も辞めていたが、彼にはこの事件はFBIの完全勝利に終わるとわかっていた。
だがフォースは、夜遅くまでチャットをして長い時間をともに過ごした若者に深い同情を感じていた。自らも潜入捜査員の誘惑に陥り、そこからなんとか抜け出した男として、彼は人間は皆、罪人であると信じていた。
フォースが腐敗への一歩を踏み出し、DPRが殺し屋を雇って本物の犯罪者となったのは、グリーン殺害のときだった。2人に時を同じくして起こった倫理観の転換は、ロスの審理ではほとんど取り上げられなかったあるテーマと密接に絡み合っている。つまり、人はオンラインで暮らすと、現実世界で起こっていることやその堅実さをいとも簡単に忘れてしまうということだ。
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メモ終わり。
Wiredに実際の事件の詳しい顛末が載っているので、それは参考になりました。そのほか、以下の本なども。
ロスには、結構信望者もいまして、いまだに彼の無実を信じて訴えている人たちもいます。彼と同じリバタリアニズムの人たちなんだと思いますが、以下のようなサイトもあります。
https://freeross.org/
一種のオルタナファクトみたいになっていますが、このサイトの人たちは映画をどういう風に観たのかは気になりますね。
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