リアルサウンドテックに『マトリックス レザレクションズ』について書きました。
『マトリックス レザレクションズ』から考えるメタバース 仮想空間とともに生きていくということ
昨年ぐらいからバズワードになっているメタバースについて、ハリウッドの大作として早くから仮想世界で生きる人々を描いたこのシリーズを通して考えてみようという内容です。
1作目では、仮想世界からの脱出を図る話が描かれていましたけど、『レザレクションズ』では、ちょっと違ってましたね。むしろ、仮想世界で生きていくためにその世界をより良くしていこうとコミットしていこうという話になっているように思いました。
『マトリックス』は巨大なテクノロジーによる支配の世界ですが、現実のメタバースも巨大テックの支配がつよくなっていくのでは、という危機感的なものも原稿にいれています。そういう時代に、僕らはどう生きていくべきか、考える上でこの作品はなかなか良いものになっていたと思います。
以下、原稿作成時のメモや構成案。
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何をネタに書くか。
仮想現実、、、メタバース的な視点で
ゲームを現実だと思い込む、精神を病んだ男として、キアヌ・リーヴスが登場する
仮想空間をこの映画はどう描いたか。。。マシンの支配する空間としてのメタバース。
メタバース時代にマトリックスが復活したことをどう考えるか。
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これから人類が本格的に仮想空間で過ごす時代になる矢先に、ディストピアとして仮想空間を描いた作品が復活した。
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マシンが人を支配するためにあてがった仮想空間がマトリックス。それから脱却して現実を取り戻す戦いをネオたちがする。
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人が戦争にも囚われている。マシン同士の戦い、人同士の争いもあったらしいことがほのめかされる
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現実もクソである。だが、アナリストの支配する仮想空間に抵抗しないのがいかがなものか。
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前作と異なる点。。。人と機械の共存、エージェント・スミスとの共闘。。。
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仮想空間に生きることを否定するのではなく、そこをより良い空間にしてくために戦うという姿勢。
大多数は、人は支配されることを望む?
構成
Thesis
仮想空間で生きていくとはどういうことなのかを再考する
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ひいては現実で生きることに意味はあるかも
Point3つ
メタバースが強烈なバズワードになった年にマトリックスが復活したことをどう考えるか
自分で作ったゲームを現実だと思い込む・・・・医者に通院している主人公ネオ(トーマス・アンダーソン)
マシンの支配する世界としてのメタバース・・・・現実社会のメタバースは巨大テック企業が支配する世界にほかならないのでは。。。そこで生きるというのはそういう支配を受け入れるということになるのか
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だから、そこをより良いものにしていくためにコミットする姿勢が大事ということか。かつてのマトリックスはマシンの支配からの脱却を目指したか、共存を目指すのが今回の違い
Intro
メタバースがバズワードとなっている。
[2022年ヒット予測ランキング 1位は「Miles」「ANA Pocket」:日経クロストレンド (nikkei.com)]
バーチャル空間上で自らのアバターを介して他のユーザーとコミュニケーションを取る「メタバース」が定着する。デジタル上でコンテンツを売買するなどの経済活動が一般的になり、消費の“源泉”になる。
その時代にマトリックスが復活したのはやはり因果を感じる。
メタバース的な世界を描いた先駆的な作品としてマトリックスは今復活し、過去の3部作とどう異なる見解を見せているかを考える
そこにはメタバースとの付き合い方のヒントがある。
Body1過去のマトリックスはメタバースをどう描いたか
マシンが人を支配するツールとして仮想空間を用意していた
現実世界では、人はマシンを稼働させる養分にすぎない存在。
そんなマシンの支配からを打倒する物語だった
Body2
今作では、そんな過去の3部作の物語をゲームで作った男が主人公
ゲームを現実だと思い込むことでカウンセラーに通っている。
しかし、その思い込みの方が実は現実で、そのメタ的な世界は作られた仮想世界であることが判明する。
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マシンの支配する世界であることは変わりない
Body3現実のメタバースの支配の構造
巨大テック企業の支配は強化されるだろうか。
[メタバースはテックジャイアントの支配構造を強化する―『メタバースは革命かバズワードか~もう一つの現実』by岡嶋裕史|光文社新書 (kobunsha.com)]
人の行動履歴は全て筒抜けになるだろう。。。プライバシーリスクは今よりも増大するおそれ
[仮想現実世界で起こりうるプライバシーリスクと求められる事業者倫理とは?|栗原宏平(Privacy by Design Lab代表 )|note]
[あなたの行動履歴は「VR」によって丸裸になる | 読書 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)]
巨大テックの支配から逃れられないのか
レザレクションズでは、そんな世界からの脱却よりも共存、あるいはよりよくしていこうとコミットする意思が描かれる。
多くの人は支配を望む。
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快適な犬小屋で暮らすことを望む
[IT巨人が用意した快適な犬小屋?―『メタバースは革命かバズワードか~もう一つの現実』by岡嶋裕史|光文社新書 (kobunsha.com)]
良くも悪くも、これから人はメタバース的な空間で多くの時間を過ごす。。。それはもう現実
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なら、その場所を良くするためにコミットする意思が大事。レザレクションズはそのことを描いていた。
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1月7日修正案
結論が強引との指摘
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もう一度観てくる。
編集「岡嶋氏は”快適な犬小屋”をどのように脱却すべきだと論じているのか?」・・・脱却すべきとは書いていない。。なぜそう思ったのか。
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これから確実に産み落とされるメタバースが、私たちを飼い慣らす技術ではなく、個々人の人生の選択肢を拡げる方向へ作用するよう、考え、利用していくことである。[IT巨人が用意した快適な犬小屋?―『メタバースは革命かバズワードか~もう一つの現実』by岡嶋裕史|光文社新書 (kobunsha.com)]
脱却も融和もあり得ない。。。。ひたすらにコミットし続ける。それだけが生きる意志だ。
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メモ終わり。
良くも悪くも、我々が仮想世界的な場所で過ごす時間は増えていくのでしょう。そして、そこに集まる人も増えていくでしょう。その時、そこは良い場所であるのかどうかは、我々のコミットの仕方次第で決まっていきますから、ほとんどそれは現実と変わらないなと言う気がしますね。『レザレクションズ』はの結末は、マトリックスの世界を現実として受け入れて生きていく、そこを良いものにしていくのは自分たちなんだという、そういう参加・コミットする意思なのかなと思いました。