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黒沢清監督の傑作『CURE』について書きました

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 シネマズPLUSに黒沢清監督の90年代の傑作『CURE』について書きました。

 日本映画激動の1997年を締めくくり、濱口竜介に大きな影響を与えた黒沢清監督『CURE』 | cinemas PLUS

 国立映画アーカイブで90年代の日本映画特集があったので、このタイミングで紹介しようと思いました。あとは学生時代に黒沢清監督に教えをうけた濱口竜介監督がアカデミー作品賞にノミネートしたりしていたのも、タイミング的によかったです。

『CURE』は、黒沢清が世界的に知られるきっかけになった作品で、濱口監督やポン・ジュノ監督にも大きな影響を与えた作品です。僕は公開当時に映画館で見ました。全然お客さん入ってなかったのは覚えています。

 日常の風景に急に殺人のようなものが「紛れ込んでしまう」みたいな感じで恐怖のシーンが描かれるのがすごくて、後に与えた影響を考えると日本の映画史を語る上でも欠かせない作品になっていると思います。

 この映画が公開された1997年は、日本映画が世界で大きく注目された年でした。今村昌平監督の『うなぎ』がパルムドール、河瀨直美監督が『萌の朱雀』で史上最年少カメラ・ドール(新人監督賞)を受賞、北野武監督が『HANA-BI』でベネチアで金獅子賞を受賞、『もののけ姫」が公開された年でもありますね。

 そんな97年において、『CURE』は最重要の一本と言っても過言じゃない作品です。

 
 
 以下、原稿作成時のメモと構成案です。
 
 
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90年代の日本映画、結構多彩な時代だったので、併せてその時代も少し語りたい。

ちょうど今、国立映画アーカイブで90年代の日本映画特集やってて、振り返るのにちょうどいいかなと。今、濱口竜介監督が注目されているが、90年代も日本映画が世界で活躍していた時期でした。濱口監督世代を見ていると、あの頃を思い出すことがある。

ポン・ジュノ監督×濱口竜介監督がスペシャル対談!黒沢清監督を巡ってライバル宣言!?「アジアのファンクラブを作るなら…」 – Kstyle
「映画『殺人の追憶』を準備するとき、今は連続殺人犯が刑務所にいるが、作成当時は未解決事件だった。事件に関連する刑事の方々に会ってインタビューしたものの、最も会いたい犯人と会うことができないのだ。頭の中で想像だけして、黒沢清監督の『CURE』(1997)に出てくる殺人鬼のキャラクターを見て参考にした。現実の世界で会うことができなかった殺人鬼を監督の映画を見て解消した」と述べた。

濱口竜介インタビュー:連載「新時代の映像作家たち」 – ecrit-o – Page 2
http://ecrito.fever.jp/20180903221536/2
濱口 『CURE』は大好きです。本当に素晴らしい映画だと思っていますし、その影響を受けているということでまったく問題ありません。『CURE』の間宮のようなキャラクター、今回の麦とか『ハッピーアワー』の鵜飼とかは物語内の現実に働きかけ、潜在的なものを引き出す「演出家」として必要という感覚があります。

1990年代日本映画――躍動する個の時代 | 国立映画アーカイブ (nfaj.go.jp)
 
 
Thesis
90年代を代表する日本映画『CURE』の何がすごいのか。
そして、その後に与えた影響・・・・濱口竜介、ポン・ジュノらに影響を与えた作品

Point3つ
黒沢清のCURE、何がすごいのか。
時代性を読む
映画史への影響は
90年代の日本映画も面白い。。。特集もやってる
   国際映画祭で多くの作品が評価された時代で、その洗礼を受けた世代が今活躍し始めている・・濱口、深田、三宅など
 
  

Intro
濱口監督の快挙の話

師匠は黒沢清

黒沢清が大きく注目されたのが97公開の『CURE』

濱口のみならず、大きな影響を与えた作品
 
 
 
Body1
作品の概要・あらすじ

時代性について
動機の不確かな少年犯罪やオウム真理教などの事件が大きくニュースで取り上げられた、隣人が突如やばくなるかもしれない時代の恐怖
日常の習慣的行動と殺害が同じテンションで地続きで出てきてしまう

まず時代性について語る
しかし、時代性にだけ回収され得ない、映画史な評価も書く
国内外の多くの映画研究者の対象となっている。
 
 

黒沢清、『CURE』『蛇の道』『蜘蛛の瞳』を語る!|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS
黒沢「初期プロットでは、萩原さんに演じてもらった役のほうがずっと歳上だったんですね。レクターのキャラを引きずっていて、そうするとどうしても『羊たち~』と印象が近くなってしまう。それで逆に若くしようかというアイデアが出て、萩原さんの名前が挙がってきたんです。役所さんもダメ元でオファーをしたら受けていただけて、お二人とも引く手あまたの人気者なのに、よくぞこんなおぞましい映画に出演してくださいました(笑)」
海外でたびたび上映され、だんだんと僕の代表作になっていった。どうも未だこれを超えていないんじゃないかという声もありますし、『CURE』のおかげでその後の僕のキャリアがあるのは間違いありません」

怖いやびっくりする恐怖、というより、「おぞましいものを目撃してしまった」という感触を残す。
 
 
BODY2 濱口監督たちはなんと言っているか。

観客に対するわかりやすさみたいなものと、自分の作家的なこだわりみたいなもの、どっちを優先したらいいんですかと。そしたら「圧倒的に正しい映画というのは作家映画と商業映画の中間にある」と返信に書かれていて、黒沢さんの言葉というのは不思議で、何か普通のことを言われたような気もするけど、すごく腑に落ちたりするんですよね(笑)。僕も自分の経験に照らして、面白い映画とは、まったくもってそういうものなんだろうなと思います。だから僕もその中間に狙いを定めて、常にバランスを考えています。
ゲ!偉大! | 第五回 濱口竜介 | 2ページ目 (2ページ中) | 東京藝術大学 (geidai.ac.jp)

LIBRA2021年5月号 インタビュー (toben.or.jp)

 
ポン・ジュノの『殺人の追憶』に大きな影響を与えた作品

ポン・ジュノ監督×濱口竜介監督がスペシャル対談!黒沢清監督を巡ってライバル宣言!?「アジアのファンクラブを作るなら…」 – Kstyle
「映画『殺人の追憶』を準備するとき、今は連続殺人犯が刑務所にいるが、作成当時は未解決事件だった。事件に関連する刑事の方々に会ってインタビューしたものの、最も会いたい犯人と会うことができないのだ。頭の中で想像だけして、黒沢清監督の『CURE』(1997)に出てくる殺人鬼のキャラクターを見て参考にした。現実の世界で会うことができなかった殺人鬼を監督の映画を見て解消した」と述べた。


黒沢清以外にも90年代の日本映画は面白いものがある

特集上映の情報につなげる

1990年代日本映画――躍動する個の時代 | 国立映画アーカイブ (nfaj.go.jp)

90年代日本映画を大回顧「躍動する個の時代」、国立映画アーカイブで計66本上映 – 映画ナタリー (natalie.mu)
国立映画アーカイブは1990年代の日本映画を「ハリウッド大作の勢いに押されて興行では苦戦しながらも、ビデオ市場の広がりや自主制作の隆盛、海外映画祭での評価などの後押しを受けて盛んな創作活動が続き、才能ある個人が娯楽映画から芸術性の高い映画、アニメーションやドキュメンタリー、実験映画まで、映画のさまざまな領域で頭角を現しました」と回顧。さらに「映画の内容も多様化し、家族や地域共同体、国、性別といった既存の境界を超えるような題材が採り上げられ、個と個のつながりが模索されました。個人の感覚に根差したこうした映画作りは、現在の多くの日本映画にも継承されていると言えるでしょう」と分析している。


今の時代を代表する作家たちにも大きな影響を与えたという点で、興行的には日本映画最低の時代だったが、新しい時代を切り開いた作家の時代でもあった。
 
 
 
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メモ終わり。

 この原稿を書くために、久しぶりに本作を見ましたがやっぱりすごい。間宮というキャラクターを造形できたのは偉業だと思います。
 
黒沢清監督だと『蛇の道』と『蜘蛛の瞳』の2つもいいですね。ちょっと前にDVDが出てたので紹介したい。Vシネとして作られたと思うんですけど、中野かどこかの映画館でレイトショー公開していて、そこで観たんですよね。懐かしいな。
 
 
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