リアルサウンド映画部に、吉田恵輔監督の最新作『神は見返りを求める』のレビューを書きました。
『神は見返りを求める』は誰もが表現者の現代人必見 スマホという“凶器”を理解するために|Real Sound|リアルサウンド 映画部
YouTuberを題材にした作品です。子供の憧れの職業ですね。承認欲求の暴走を描いた作品といえますが、これは現代人なら誰もが感じる何かがある作品だと思います。
有名になりたいという気持ちは、今にはじまったものではありませんが、かつてないほどにそれが社会全体に浸透した時代かなと思います。かつて、映像は限られた人にしか扱えないものでした。カメラは高価でしたし、発表するのも非常にハードルが高いものでしたが、YouTubeは、映像を民主化してだれの手にも届くものにしたと言えます。
だからこそ、いろんな人はそのヤバさも認識しないといけないのですが、なかなか難しいですよね。本作は、そこを絶妙に突いてきた作品で、さすが吉田恵輔監督です。
以下、原稿作成時のメモと構成案。
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Point4つ
子どもたちの憧れの職業、YouTuber。。。それ自体は悪いことか
Youtuberのやっていることはくだらなくて誰でもできる?
誰でもできるから、万人に開かれていて夢を見れるとも言える
カメラは凶器であるということ
自撮り棒を向けあってカンカン突きあうシーンは象徴的
凶器を振り回している点で映画もテレビも変わりない、ペンもキーボードも凶器にできる
今最も誰もがかんたんに振り回せる凶器としてスマートフォンがある。
何者にもなれない者たちの最新ドラマ
「ドキュメンタリー制作者は皆、悪人である」 是枝裕和&想田和弘が背負う“被写体への責任” : 映画ニュース – 映画.com
10年前には愛知県でも同様の事件を起こす 埼玉県でネットカフェに立てこもり逮捕された男(42) | 東海地方のニュース【CBC news】 | CBC web (1ページ)
逮捕後の調べに「有名になりたかった」などと話し、2013年4月に懲役9年の判決を受けていました。
ペンは剣よりも強しとは – コトバンク (kotobank.jp)
構成6月24日
Thesis
表現の自由とYoutuberと倫理と数字で全てが格付けされる時代
Point3つ
有名になりたいという気持ち・・・古くて新しい問題、今はワナビー全盛時代、一億総ワナビー時代
その象徴がYouTube、子どもの憧れの職業1位がYoutuber
誰でも参入できるプラットフォームだから
残酷なまでにすべてが数字で可視化される世界でもある、そんな時代に劣等感を抱かずに生きるのはほとんど無理だ。個性を尊重して生きていいんだ、周りに合わせなくて自分らしくいきていいんだ、という一方で、目立てる個性がなくてはいけないという強迫観念にもにた感情を抱かせられている。
カメラという凶器
ペンは剣よりも強し。。。。今一番強い武器はスマホか
スマホという凶器を凶器である自覚ないままに振り回す現代人
自撮り棒を付けたスマホでデュエル(決闘)するシーン
しかし、それでも映像を民主化した。。。映画やテレビは限られた人にだけできる特権だった
表現の自由は最大限許容されるべきで、それとある種の表現の暴力性といかに向き合うのか
映画や音楽のように残っていくものだけがえらいわけじゃない。
Intro
ペンは剣よりも強しという格言がある。
言論は武力よりも世の中を動かす力があるということだ。
しかし、今ペンよりも強い武器がある。スマホだ。スマホはペンとカメラを録音機と全ての表現手段を兼ね備えている。
そして、その武器の効力をフルに発揮できる、誰でも利用できるプラットフォームが今はたくさんある。その代表格がYouTubeだ。誰でも動画を公開できるこのサービスは、一部の限られた人に限定されていた映像による表現を一般化、あるいは民主化したと言える。
そして、それは今や子供の憧れの職業Youtuberを誕生させた。スマホ一つでのし上がれる世界、夢がある
この映画はそんなYoutubeをめぐる物語。
Body1 ワナビーという古くて新しい問題を加速させるYoutuber
概要
有名になりたいと思う人はいるのは、今に始まったことではない。
しかし、Youtubeはその具体的な道筋を万人に示してしまった。
特殊な才能もセンスもなくても有名になれるかもしれないと思わせる世界。実際に美男美女じゃなくても(実際にはその方が有利だけど)、一芸に秀でていなくても有名になれるチャンスがある。。。映画のゆりちゃんは何もできない
誰もが個性を欲しいと思っている。というか、SNSで目立つには何かを持っていなくては、持っていたほうが有利だという感覚に支配される。そして、人気は残酷なまでに数字で示される
Body2 カメラは凶器
誰でも参入できて、特別な才能がなくても有名になれる可能性をYoutubeは見せてくれる
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しかし、それだけ競争は激しい。現実には、才能ある人間は目立ちやすく美男美女は注目されやすい。
特別な何かを持たない奴は、たとえば脱ぐしかない、あるいは誰もやらない危険なことや悪いことをするしかないかもしれない。
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ペンは剣よりも強いということは、剣より危ない凶器だということでもある。
スマホはもっと危ない、爆撃機のようなものだ。それは誰かを必ず傷つけるし、自らも例外ではない
後半、だれもが相手を攻撃する凶器としてスマホを振るうようになる。誹謗中傷合戦を繰り広げる。
象徴的なのは、呼び出された田母神とゆりちゃんが自撮り棒ついたスマホを向け合いののしり合うシーン。まるでフェンシングのように自撮り棒をカンカンと叩き合いながらデュエル(決闘)シーンは象徴的だ。現代人は剣で決闘しない、自撮り棒のついたスマホで決闘するのだ。
フェンシング技術はかつて決闘に用いられていた技術だ。名誉を傷つけられたら死闘の決闘を申し込み雌雄を決していたりしたのだ。あれは、Youtubeなりの「名誉のための決闘」
少なくとも田母神は金銭的な見返りが欲しかったんじゃない、結局は名誉や人としての尊厳を求めている。
結局のところ、2人ともそのスマホの凶器としての威力に充分に気づいていない。最終的には、まわりまわってその凶器は自分に向いていく。
Body3それでもYoutubeは駄目じゃない
それでもなお、Youtubeは一部の特権だった映像表現を大衆に開いた功績がある。
映画やテレビが偉いなんてことはない。いま、Youtubeは確かに若い人に希望を与えているのも確かで、何者でもなかったゆりちゃんが誰かに夢や希望を与えていることも確か。
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表現の自由は最大限許容されるべきで、そしてスマホという凶器を倫理を持って使い続けるにはどうすればいいか。凶器を凶器と気づかずに振り回し、いつの間にか狂気に飲み込まれないようにするため、この映画にはたくさんの教訓が詰まっている。
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メモ終わり。
記事のサムネイルの写真になっているシーンが多くのインスピレーションを与えてくれました。フェンシングの決闘みたいんですよね。フェンシングって貴族の決闘方法だったんですけど、互いの名誉を守るために行われるものでした。これは、YouTuberによる名誉のための戦い何だなと思いました。
このシーンを思いついたのがすごいなと思います。絶妙なシーンでした。スマホは現代の剣なわけですね。
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