※以前、あるウェブメディアに書いた原稿ですが、そのメディアがなくなってしまったので、こちらに掲載します。初掲載日は、2022年11月。
『君の名は。』と『天気の子』の大ヒットで日本を代表する映画監督となった新海誠監督の待望の最新作『すずめの戸締まり』は、これまでの作品よりもさらに力強く生きる力を与えてくれる作品でした。
本作は、さわやかで、快活で、スリリングで、感動的です。魅力あふれるキャラクターが、美しい全国の風景を駆け巡り、笑いも涙もたくさん溢れています。
日本は今、元気のない時代に突入していて、将来に漠然とした不安を感じる若い人も多いと思います。
しかし、この映画にはそんな不安を吹き飛ばす力があります。日本の現実に向き合った上で、それでも生きることは素晴らしい、と言い切っているのです。
現代日本を舞台にした解放感いっぱいの冒険活劇
叔母の環と2人暮らしをしている高校生の鈴芽(すずめ)はある日、謎の青年・草太と出会います。彼を追って廃墟にたどりついた鈴芽は不思議な扉を見つけるのですが、その扉は、放っておくと災いを呼び起こすもので、草太は全国の扉を閉じて周る「閉じ師」だったのです。そんななか、突如現れた謎の猫「ダイジン」によって草太は姿を椅子に変えられてしまいます。鈴芽は彼と一緒にその猫を追いつつ、全国の扉を閉めるため日本列島横断の旅に出るのです。
今回の作品は現代日本を舞台にしたアドベンチャー映画です。アドベンチャーと聞くと、異世界っぽい世界で展開するものだと思う人が多いかもしれません。でも、本当はいつの時代だって冒険はできるのです。ここ数年、コロナ禍で思うように旅行にも行けず、自分の世界が狭くなってしまったと感じている人も多いでしょう。本作はそんな今だからこそ、解放的な冒険の楽しさが、観る人に深く刺さります。
鈴芽の旅は海のある静かな九州の町から始まり、四国、関西、東京、そしてさらに北へと続いていきます。新海監督といえば、美しい風景描写が持ち味ですが、それは今作でも健在。過去2作では主に東京が舞台だったのに対して、今回は日本列島を横断して全国の様々な景色を美しく見せてくれるので、日本の景色の魅力を再確認させてくれるのです。
ストーリーを彩る魅力的なキャラクターにも注目
そんな旅のバディとなるのが、可愛い椅子に変えられてしまった草太です。この椅子は、足が一本欠けている古い子ども用の椅子で、3本足でトタトタと可愛く動き回ります。動いているところを人に見られたら大変だけど、随所で鈴芽を助けてくれる椅子の草太の活躍と、2人の可愛いやり取りも本作の大きな見どころになっています。
そして、椅子を抱えた鈴芽は旅の途中、様々な人と出会い、助けられます。実家の旅館を手伝う女子高生の千果、双子の子どもを育てるシングルマザーでスナックのママのルミ、ちょっとチャラいけど実はいいヤツな草太の友人・朋也など、それぞれの地域で地に足をつけて生きる人たちが登場し、鈴芽の世界を広げていってくれるのです。
知らない土地で知らない人たちと交流することは、旅の醍醐味とも言えます。この数年は、このように全く知らない他者と触れ合う機会も極端に制限されてきましたから、人々との温かい交流の楽しさも思い出させてくれます。
そして、神出鬼没な謎の猫、ダイジンの存在が秀逸です。不気味さと愛らしさを併せ持ったデザインも優れていますが、気まぐれに主人公の前に現れては、思わせぶりに振り回すその態度がまさに猫。とんでもない厄災をもたらそうとしているのに、憎めません。
ダイジンは、全国の扉から出現する災いに関するカギを握る存在です。この災いは日本の地下にうごめく巨大な「ミミズ」と呼ばれています。巨大ミミズを閉じ込めるシーンでは、ダイナミックなアクションも展開します。風景描写、人間ドラマ、そしてアクションと多くの娯楽要素をハイレベルで詰め込んでおり、物語は一時も飽きさせることなく、駆け抜けるように進んでいくのです。
鈴芽が旅のなかで目撃する日本の現実
そんな本作は、楽しく解放的なだけでなく、自然災害に苦しむ日本列島の実態をまざまざと見せる作品でもあります。
この映画には、地方で廃墟になった町がいくつか登場しますが、それは、災害によって復興不可能となった町や、過疎化で打ち捨てられた町だったりします。東日本大震災から10年以上が経過し、日本社会はますます混迷の度合いを深めていますが、鈴芽の旅は、そんな日本の現実を目の当たりにする旅でもあります。
日本が自然災害の多い国であるのは、この10年だけの話ではありません。映画はそのことを示唆するために、1995年、阪神・淡路大震災の被害を受けた関西や、大正時代に関東大震災に見舞われた東京も舞台にしています。。
どちらも今では大都市で、災害の面影を感じ取れません。しかし、日本列島はいつでも、どこでも大地震に襲われる可能性があり、何気なく日常を過ごしている僕たちにそのことを強烈に思い出させる作品でもあるのです。
主人公の鈴芽は、震災にまつわる「ある大事なこと」を忘れているのですが、全国の災いを鎮める旅路の中でそれを思い出していきます。その記憶を取り戻す旅を通じて、観客にも震災の記憶を忘れないようにしてほしいという願いを込めているのでしょう。
新海誠がおくる混迷の時代を生き抜く力
災害は理不尽に大切な町を破壊し、大切な人を奪っていきます。やるせないことですが、この国はどう転んでも地震大国であることは変えられません。したがって、日本人は理不尽な自然災害と一緒に生きるしかないのです。
そんな人生にどんな希望があるのでしょうか。この映画は、それでも希望があり、豊かに生きることはできるんだと力強く断言しています。全国の美しい景色とそこで出会った人々の笑顔や温かさがそれを証明しています。そういう人たちと一分、一秒でも長く一緒に過ごして、この世界を謳歌すること、それ自体がとても尊いことであり、災害で命を落とした人たちに報いることでもあるのだと、新海監督は考えているのだと思います。
この国では、これからも大変な災害は起こるでしょう。さらに経済は伸び悩み貧富の差も拡大するかもしれません。しかし、それでも生きる価値があるほどに、この世界は美しくて人は温かい。だからこそ、これからもこの世界で生きていきたい。心からそう思わせてくれる、傑作です。