リアルサウンド映画部に、賀来賢人主演のNetflicシリーズ『忍びの家 House of Ninjas』のNINJA像について書きました。
『忍びの家』海外ヒットの理由は”Ninja”にあり? 日米共作で生まれた新しい忍者像|Real Sound|リアルサウンド 映画部
海外でNinjaはひとつの英単語となっていますが、どうやってこの概念が定着したのかを紐解き、『忍びの家』がいかにその間違ったイメージを活用して作品を作っているかを明らかにしようと試みました。
そして、海外の人も間違えているけど、そもそも日本人の持つ忍者像もいい加減で史実とはことなるよ、という点にも触れています。
忍者の概念は、フィクションの影響力の強さを物語るもので、文化とは誤読によって広がるのだという好例でもあります。調べてみるととてもおもしろい世界なのです。
以前、NARUTOの公式サイトでショー・コスギさんに取材したときの経験がこのコラムにも活かされています。
以下、原稿作成時のメモと構成案。
—————
Thesis
NINJA概念の拡がりと需要が、日本人に忍びの家を作らせた
過去記事
海外で忍者がなんで人気なのか、その起源であるショー・コスギさんにインタビューしました – Film Goes with Net
“NINJA”の逆輸入? 『NARUTO』が海外で人気を博した理由とは|Real
Point3つ
忍びの家の国際的成功は必然。。。その描写のディテールに迫る
世界のサブカルの共有財産のようになっているNINJA。独り歩きしていったその歴史
そもそも、日本人の忍者イメージも間違いだらけ。。。文化の誤読と拡がりのユニークな事例だ
Intro
忍びの家がグローバル市場で大ヒット
それはなぜか、だれでも忍者だからと答えるのでは。
では忍者はなぜ海外で受けるか。その歴史の積み重ね
その積み重ねが忍びの家にも生きている
Body1忍びの家の忍者描写
普段はその正体を隠している、現代に生きる忍者一家。
自販機の補充
バスの車体にはりつく
黒装束をまとい、人知れず社会を動かす存在
忍者もののお約束の踏襲が観られる
念のために断っておくが、本作の忍者描写は現実の忍びとは全く関係はない。実際の忍者は黒装束を着ないことがわかっているし、手裏剣も投げないし、刀で戦うこともあまりないことが研究でわかっている。
「黒装束で手裏剣を投げる忍者」はウソである…三重大学が10年以上続ける”忍者研究”の驚きの成果 本物の忍者は「農民の格好」をしていた | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) https://president.jp/articles/-/65904
ほぼフィクションの中で作られたイメージを踏襲している。
Body2海外の忍者需要の歴史、サブカル世界の共有財産
そのフィクションのイメージは海を渡ってさらなる誤解を生み、拡散している
なんで忍者は海外で人気があるのか。
筆者はその歴史を負うべく、海外で忍者を広めた張本人のショー・コスギに取材したことがある。
↓
忍者は抑圧に耐えて内にすごい力と信念を秘めている。こういうキャラクターに欧米人は弱い。
ネロさんだけでなく、ニンジャのことをあまり理解していなかったのは『燃えよニンジャ』のスタッフたちも同じです。僕はスタッフがニンジャの武器を小道具として用意しているものだと思っていたんですけど、聞いてみたら、「フィリピンで手に入るだろ」と言っていて、何も用意されてなかったんですよ(笑)。もちろん、1980年代初頭のフィリピンでニンジャの武器なんか手に入るはずがありません。それで、仕方なく僕が自分の訓練用に持ってきていたヌンチャクやトンファーを撮影で使うことになったんです。
もちろん、「本来の忍者像」をどう取り扱うか、撮影現場でも多くのやり合いがありましたよ。例えば、映画ではニンジャが真昼間から黒装束を着て街を歩いていますが、このシーンではプロデューサーとかなり議論したんです。「なんで、真っ昼間から堂々と黒装束を着ているんだ。目立ってしょうがないだろう」と。
するとプロデューサーは「夜に黒い衣装を着るのなんか当たり前だし、観客から見えないじゃないか。日中に堂々と黒い衣装を着ているから格好いいんだ」と言うんです。世界中の人が観るハリウッド映画の中で、ニンジャ=スーパーヒーローとして描くならば、隠れてコソコソしてちゃダメ、という理屈なんです。
そこから、でたらめなニンジャ像が多くの影響を与えて、様々な派生作品を生んで、Ninjaという日本語とはもはや別の意味の単語として定着した。
↓
ニンジャタートルズもGIジョーもこうした影響下にある
↓
0年代に始まったニンジャブームの頃はアメリカの観客は「東洋の神秘」的なものをニンジャに見ていたと考えています。それが90年代になると、アメリカ独自のニンジャを生み出そうとする気運が見られます。1998年に公開された映画『ブレイド』は、ヴァンパイアが作品の重要なモチーフになっていますが、主人公は全身黒ずくめの衣装で、刀や手裏剣を武器とするなど、そこかしこにニンジャの要素が受け継いだ、アメリカ独自の発展的作品だと考えています。
↓
そういう概念が逆輸入して来て生まれたのが、NARUTOという作品とも言えるだろう。
そして、忍びの家もまたそういう逆輸入の系譜と言える。海外の人がイメージするNinjaのイメージは多岐にわたるが、本家の日本が作るということで興奮したNinjaマニアが大勢いたのではないかと思われる。
Body3そもそも、日本人のニンジャ像もデタラメ
リアルではない。
本当の忍者とはどういうものか。
井上
:歴史上の忍者はいわゆる忍装束に身を包んでいたわけでなく、手裏剣も刀も持たず、農民や町民と同じ恰好をして、街に溶け込んでいたそうです。歴史研究とは、学術的な立場からこうした「正しい忍者像」を調べるわけです。
しかし、そんな研究者の私にとっても、さまざまな映画、そして『NARUTO-ナルト-』のような作品で描かれる幅広いニンジャ像に触れるのはとても楽しいです。ショーさんが語られているように、型にはめないがゆえに、新しく魅力的な作品や文化が形成されるのかもしれませんね。
↓
だが、そういうことではない。リアルかどうかではない、忍者は文化の誤読がどのように拡がり、それが受容されていくのかのユニークなサンプルとして接するべき。
↓
アメリカで正確な日本の描写をしようと情熱を傾けた真田広之がいるその頃、日本国内で賀来賢人が忍びの家で間違った日本を描くという。それってどうなのよって思わなくもないのだが、ニンジャは忍者ではもはやないのであり、日本人もほとんど間違って認識しているということを」踏まえれば、これは史実とは別の文化的概念として、これからも誤読を交えて発展させていくべきものだ。
↓
忍びの家は、現代を舞台に、ニンジャ像を紡いでいる。ニンジャという概念ははまだ進化する。
—————-
メモ終わり。
最終的にはBody1とBody2の順番を入れ替えています。まず、NINJA概念の成り立ちから入って『忍びの家』の描写にしました。その方が歴史的な順番に沿っているのでわかりやすいと思うので。
NINJAはひとつのグローバルカルチャーとして広がっています。文化の広がりの研究対象としても興味深い実例なんですよね。今も世界のどこかで、新しいNINJAのイメージが生まれているかもしれないですね。