ハフポストに掲載した濱口竜介監督のインタビュー後編です。
濱口竜介監督が考える映画製作の極意。作家性か商業性か「自分も大衆の1人という意味では、欲望は創作のベース」 | ハフポスト アートとカルチャー
前編はこちら。
前編では。最新作『悪は存在しない』の話を聞いていましたが、後編では作家性や生きる上でのバランスの大切さみたいなことを聞いています。「自分もよくいる大衆の1人」と濱口監督がおっしゃってたのが印象的です。
以下、原稿作成時のメモと構成案。
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後編、バランスの話
生きる上で、社会と自然のバランスの話から、映画製作のバランスの話へ。
Body1
村の人間も自然を壊しながら今の生活を築いてきた。要はバランスの話なのか、当然バランスは大事だと監督は言う。
資本主義って特に都市生活と相性が良い。資源の採取や廃棄物の処理などを地方や、もしくは、よりイノベーションが進んでいるであろう未来の世代などの『外部』に任せてしまう
「自分たちの祖先もかつてはここに移住者としてやってきて、畑を開墾するなど自然を破壊してきた」という作中の台詞。
バランスの普遍性と難しさ:
バランスは全ての社会に必要不可欠である。
しかし、バランスを取ることは簡単ではない。
バランスを取ることの難しさの理由:
人間は通常、一度に1つのことしか集中できない。
相反する2つの目的を同時に達成することが難しい。
個人と全体のバランス:
多くの人は自分の役割に集中し、全体のバランスは他者に委ねがちである。
これにより、全体としてのバランスが崩れやすくなる。
Body2 映画製作のバランス
1. 映画制作におけるバランスの難しさと面白さ:
– 商業性と芸術性のバランスを取ることは難しいが、同時に面白い挑戦でもある。
– この難しさは映画産業特有の特徴である。
2. 映画制作の技術的・経済的側面:
– 映画は専門的な機器と技術を必要とする。
– フィクションを作り出すために多くの専門家(美術、照明、衣装、メイクなど)が必要。
– これらの専門家を維持するために持続的な資金が必要。
3. 映画の商業的側面:
– 多くの観客にチケットを買ってもらうことで資金を調達する仕組み。
– 大衆の欲望に沿った作品を作る必要性がある。
4. 20世紀から21世紀にかけての映画産業の制約:
– 大衆の欲望に応える必要性は、現在も続く制約である。
5. 映画制作者のジレンマ:
– 大衆の欲望と自身の芸術性のバランスを取る必要がある。
– 一方に偏ると、精神的バランスや映画の存続自体が危うくなる。
6. バランスを取ることの重要性と難しさ:
– 題材ごとにバランスを見出す必要がある。
– 他者の欲望を考慮しつつ、自身の表現を行う必要がある。
7. 映画産業の特殊性:
– 他者の欲望を考慮しないと生き残れない芸術形態である。
– この特性が強調されているメディアであることが、映画を面白いものにしている。
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今のところは、そのジレンマを楽しめているのだそうだ。
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自己理解の重要性:
監督自身も「大衆の1人」であるという認識。
自分自身の欲求や欲望をベースにすることで、大衆の欲望とのギャップを縮小できる可能性。
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メモ終わり。
芸術性と大衆性のバランスが、映画を形つくる、そのバランスとりは難しいけど、楽しい作業でもあるというのが面白い部分ですね。大衆性を否定しないし、くだらないとも考えていないようです。たまに巨匠だと大衆性を軽んじてしまう人がいるわけですが、そういう態度ではないんですね。
自分も大衆の1人という自覚がある大作家、というのは強い気がします。この姿勢がある限り濱口監督はこれからもいい作品を作り続けるのではないかと思いました。大衆性という観点から濱口竜介監督の作家論を考えるのも面白いかもしれませんね。
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