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「死ぬほど悔しい」から生まれる、新たな響き 「響け!ユーフォニアム3」の劇的改変

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リアルサウンド映画部に、『響け!ユーフォニアム3』について書きました。

『響け!ユーフォニアム3』はなぜ傑作になったのか “原作改変問題”を考える重要な一作に|Real Sound|リアルサウンド 映画部

原作と大きく展開を変えたことで騒然となっていましたが、そのことについてきちんと考えてみようと思い書きました。原作は何を重視して、アニメは何を重視したのか、どちらもユーフォであり、どちらにも良さがあることを整理して、アニメ版の改変がどう優れているのかを考える、そんな内容になっています。

この作品の根幹を大事にしたからこその変更だったのだと思うのです。僕自身はこの変更をすごいと思いましたが、許せないと考える人もいていいと思います。その気持は作中のキャラクターにも代弁されています。

 
以下、原稿作成時のメモと構成案。
 
 
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Thesis
否定派も肯定派も、一人も取りこぼさないレビューを目指す。
 
2024年は、映像作品と元になる原作との向き合い方について、重大な転換点となり得る、非常に重要な年になっている。
これを入れるか否か。
 
 
Point
改変の内容とその意図
許せない感情はキャラクターが代弁しているということ。言い換えれば、久美子は死ぬほど悔しい思いにシンクロしているとも言える。
ユーフォシリーズは何を描いたのか。

努力は報われる、ただしそれは本人が望む形とは限らない。というのがユーフォシリーズを書く上で一貫して決めているルールです。北宇治高校以外の学校にもドラマがあり、全ての部員たちが努力している。その結果がどんな形であれ、きっと一生大切にできる何かを得られるんじゃないかなと思います。

真由にもドラマがあった。そのことをアニメは救い上げた
 
悔しくて、納得できないという形は原作とこの作品に対する愛ゆえなので、捨てる必要はない。作品は形を変えることがあるということ。

その時、その変化は作品の核を持っているのか、拡張しているのか。京アニは「死ぬほど悔しい」と涙する麗奈から始まったこの物語を、「死ぬほど悔しい」と涙を流す久美子で応答させることで、二人の特別を描こうとした。
 
 
intro
久美子のように、一人も取りこぼさないレビューを目指す。

きっと、それはとても難しくて、できなくて「死ぬほど悔しい」と思う可能性が高いけど。
 
 
Body1原作を変えるということ
原作ものを手掛けることはどういうことか。

血だけ抜いてくる。その本質、同じ血が通っているかどうか、ガワではなく、血が見えるかどうか。

あらゆる創作には、絶対の正解はない。どんな作家も悩みながら、より良い答えを探し続ける。誰にも分らない答えを探し続ける。

原作ものには「正解」が一応、存在している。その通りにやれば模範解答にはなる。しかし、本当は他にも答えがある可能性がある。それは誰にもわからないが、それを勇気をもって模索の一歩を進むことが時に必要なことがある。

それが原作者と一緒にできるのであれば、なおのこといい。

そして、創作の答えが1つではないことを知れるということは、実のところ文化を豊かにするのだと思う。

いつだってゼロからイチを生み出すのは一番難しい。そのイチを知れるアニメ最後は普通に考えてそれだけで有利。

ユーフォはどう変えたのか。(書くかどうかわからないが、久美子と麗奈の関係はアニメはより濃密になっている)。。。この濃密さでドラマを決着づけるには、特大のドラマを必要かもと思う。

第一話、真由の登場のさせ方が異なる。。。アニメでは北宇治が全国金賞を目指すことを決めた採決のシーンに真由はいない。その後に登場する。全国金を目指すという部全体の大義名分に参加していなかったことが、この物語を複雑にしている。真由は実際はどういうスタンスなので、12話まで謎のまま進むことが、推進力の一つともなっている。

原作では採決のシーンにいる。

第四話、求に久美子が言う「気持ちは演奏に出る」というセリフはずっとパンチが効いている。

第5話、麗奈は「私は久美子のが好き」という。久美子のが上手いではない。(原作にはないシーン)

8話合宿に行くバスの中、一人楽譜を真剣なまなざしで見つめている真由のカット。物言わぬこのワンカットにどういう思いを描くか

久美子のモノローグ「関西大会に向けて、練習は次第に熱を帯びるだけでなく、今年は・・・」

真由は一人、そのパートの楽譜を真剣な眼差しで見つめている。

気持は演奏に出る。そして真由の演奏には寺井無く清廉な音色だった。

演奏にウソはつけない人であることを12話で正面から認める構造になり、ここではじめてただ楽しければいいというスタンスとは異なることがわかってくる。

原作の場合、ある種「音を楽しむ」スタンスの違いを乗り越えられるのかを真由を通して描いたとも言える。原作では、真由のバックグラウンドは描かれない。アニメでは描かれないやり取りを考えると、真由は本当にコンクールの結果などはどうでもいいと思っていて、演奏することをみんなで楽しめればそれでいいと考えていると判断するのが妥当。その点で最後まで久美子とはすれ違う

小説を引用する

アニメ版には、真由にも譲れない何かがあるという。似た者同士だという久美子との相似形の過去があるということが、そして、それは中学時代の久美子に近い。自分の過去とも向き合っていた。
 
 
Body2ユーフォシリーズの音で進行する物語
ユーフォは音で物語が進行する時、最大の力を発揮するシリーズ

音楽が題材であるだけに、映像化の強みを最大限に発揮させている。

しかし、3期はなかなかそういうシーンがなかった。なかったとは言えない。

一話の出会いのシーンに音を持ってきていた。

久美子のソリ練習を手伝うことに嫉妬心を覚える麗奈

しかし、最大級の音のドラマを12話に持ってきた。

最終話に向けて、その傾向はどうなったか。

12話はほぼクライマックスでドラマの結論といっていいのでは。

原作のオーディション後はさらりと展開する
 
 
Body3許せない感情も捨てなくていい

きっと、絶賛している人もそうでない人も久美子同様「悔しい」のだ。

部員にも反応様々あるように、その悔しい気持ちの発露の仕方は様々なのだ。

少なくとも、これだけ苛烈な反応を視聴者から引き出せること、それ自体がこれが傑作だということの証。

並みの作品なら、「ふーん、それもありかもね」くらいで終わってしまうからだ。

キャラクターが最も悔しい気持ちを代弁している。その気持ちをシンクロできたということ。

「死ぬほど悔しい」と「これを誇れる人間でありたい」という2つの気持ちを同時に持っている。

どちらにフォーカスするかでも感想は変わる。

久美子はこの残酷さに負けないくらいの強い人だと、この3年間でそれだけ成長したのだと知れたことは

ひとつの作品をめぐって、唯一絶対の解はない。アニメ制作者も原作者も時間が許す限り悩んで決断している。

第5話「きみとのエチュード」で久美子は月永求「気持ちは演奏に出る」と言う。衒いなく清廉な音を出す真由もまた、演奏に嘘をつけない人だと久美子は最後になってわかる。そして、久美子は自らの進路や部のことなど多くの葛藤を抱えながら演奏していたことが最後に「音に出た」と語る。少ないながらも、重要な場面ではやはり音楽で語ることを忘れてない。
 
 
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メモ終わり。

最後まで素晴らしい内容で終わりました。9年のシリーズ、全てがクオリティの高い見事な内容で京都アニメーションでなければできなかっただろう、描写の数々。忘れられない傑作になりました。
 
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