弁護士JPに、選択的夫婦別姓を求める集団訴訟の第2回口頭弁論に関する記事を書きました。
「選択的夫婦別姓」求め集団訴訟 最高裁は過去2度「合憲」判決も…「多くの学者によって批判されてきた」 | 弁護士JPニュース
この集団訴訟は過去2回、2015年と2021年にもあり、いずれも最高裁で敗訴していますが、3度目の集団訴訟が立ち上がりました。今回の売ったは、柱が2つ「事情変更」「旧姓の通称使用の限界」です。
世論はかなり選択席夫婦別姓に前向きになってきており、社会の変化と、今の社会情勢で同姓を矯正することの不合理さを証明し、通称使用ではその不合理を解決できないことを立証しようという意図です。
国側の反論についても書きました。国の反論は前2回の訴訟時とあまり変化ないようで、「夫婦が同氏を名乗ることは社会の構成要素である家族の呼称としての意義がある」「どちらの氏を称するかは夫婦の協議により選択可能であり不平等には当たらない」「旧姓の通称使用の拡大によって不利益が緩和されている」という反論を繰り返しています。
一応、今回始めて出てきた要素もあるそうで、それも記事に列挙しています。
新総理大臣を選ぶ総裁選も控えていますが、この問題はトピックの一つとなっています。自民党支持者でもすでに過半数が選択席夫婦別姓の導入に賛成しているという状況になっているので、国は早く動いた方がいいと思います。経済界からもそのような要請が多く出ているし、国際社会の競争にどんどん不利になってしまっていることからも、国力の衰退につながる話ではないかと。
弁護団の寺原先生と三浦先生の本を読みましたが、そもそも夫婦同姓は日本の伝統ってわけでもないんですね。北条政子は源頼朝と結婚しても北条のままだったし、武家社会は本来夫婦別姓なんですね。この制度は明治時代になってできたわけですけど、明治の最初からではなく、明治31年になってできた制度です。
お二人の本によると、「当時の明治政府は不平等条約の改正(治外法権の撤廃・関税自主権の回復)を目指していましたが、近代的な法制度を欠くことが諸外角から問題視されていました。そのため明治政府は民法典(明治民法)の編纂を急ぎ、1898年(明31)年に親族や相続といった家族法の分野が成立しました。」とあります(P17、『選択席夫婦別姓』岩波ブックレット、寺原真希子、三浦徹也)
諸外国の目を気にして作ったものということですね。
この諸外国の目を気にして制度を作るという作法は、いまだに日本には根強くある振る舞いだなあ、と思います。「伝統」という言葉が空虚に響いてしまいますね。選択的夫婦別姓を求める側もこういう視点での反論もするし、国や文化の自立とは何か、と思わずにいられません。
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