ハフポストで、「ぼくが生きてる、ふたつの世界」の呉美保監督と原作者五十嵐大さんにインタビューしてきました。
ろうの役をろう者が演じ、手話演出、コーダ監修を実現「ぼくが生きてる、ふたつの世界」が写すリアリティ | ハフポスト アートとカルチャー
コーダである五十嵐さんが自らの半生を綴った原作を、『そこのみにて光輝く』の呉美保監督が久々に長編映画の監督、そして主演は吉沢亮さん。大変素晴らしい作品です。今年を代表する一本といってもいい。
登場人物は、ろう者当事者によって演じられ、そのリアリティが作品の完成度を大幅に上げています。その当事者の起用をいかに実現させたか、原作者から見て映画のリアリティはどう写ったのかを中心に聞きました。
吉沢さんはコーダ当事者ではないですが、ご自身もコーダである五十嵐さんからは絶賛されておりました。「コーダ仲間も試写で映画を観てくれたんですが、『吉沢さんって公表してないけどコーダなの?』って言う人もいたぐらい、違和感がなかったんです。」とのこと。現場には、手話演出の他、コーダ監修もいて、徹底して本物志向で作り込むという意識で臨んだようです。
本作を見て、呉美保監督は日本のトップクラスの映画作家だと改めて思いました。これからもコンスタントに作品を発表してほしい。
以下、原稿作成時のメモと構成案。
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構成
Thesis
当事者を起用した本作、原作者はどう思って映画化を許可し、その思いをどう監督は受け止めたのか。
Point3つ
原作者は当事者を起用してほしい、監督はどう答えたか
映画のリアリティレベルの話について、具体的なシーンとともに
社会は変わっているのか、という実感について
Intro
ぼくが生きてる、二つの世界
ハフポストの連載から生まれた本が、映画になった。
この映画は当事者のリアルを描くために、どのような姿勢で作られて、原作者はどう観たのか、監督と原作者の五十嵐さんに話を聞いた。
Body1原作者は当事者を起用してほしいとお願い、監督はどう答えたか、制作体制も含めて
原作者は、当初はある種の不安もあった。
映画化のオファーを受けた際の率直な感想
嬉しかったが、同時に不安も感じた。
障害者を感動材料に使うような描き方をされるのではないかと懸念した。
監督やスタッフとのミーティングでの様子
原作だけでなく、五十嵐さん自身や作品世界について深く質問された。
監督の姿勢が真摯で、信頼できると感じた。
監督や脚本家もマイノリティとしての経験があり、共通の痛みや葛藤を感じた。
映画化を依頼するに至った理由
スタッフの姿勢や経験から、作品が正しく描かれると確信したため。
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映画化の際に当事者に機会を与えてほしいという要望を出していた。
そんなに強いお願いではなかったんですけど、起用というか、 当事者の方がいるので、何かしら関われる形になると嬉しいですっていう話だけはした
聾者のキャラクターは全員聾者なので。で、さらに手話演出とかコウダ監修とか、 僕が思っていた以上の関わり方だったので、 そこは本当にありがたい
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こうした原作者の不安や要望に映画製作サイドはどう応えたのか。
呉美保監督
映画化の経緯と当事者との関わり
原作を読んだ際の感想: 原作を読んだ際、コーダに共感し、普遍的な人間の感情を描ける可能性を感じた。
映画化の企画段階: 当初は、当事者を深く関わらせるという具体的な計画はなかったが、企画を進める中で、コーダ愛のうたという映画に触発された。
コーダ愛のうたの影響: 制作手法、特にろう者の俳優と手話演出家が深く関わるという点に感銘を受け、今回の映画制作にも取り入れることを決めた。
手話演出の役割: 従来の手話指導とは異なり、手話演出は、ろう者の登場人物の人生やキャラクターを深く掘り下げ、物語に合わせた手話を作り出す役割を担う。
制作過程: 手話翻訳を基に、ろう者の俳優や手話演出家、コーダ監修者など、多様なスタッフが協力し、現場で細かな調整を重ねながら作品を作り上げた。
手話演出の具体的な内容
登場人物の深掘り: 各ろう者の登場人物の人生やキャラクターを深く掘り下げ、物語に合わせた手話を作り出す。
手話翻訳: 日本語のセリフを手話に翻訳し、ろう者の俳優と共同でより自然な表現に仕上げる。
現場での調整: リハーサル室での練習だけでなく、実際の撮影現場で美術や状況に合わせて手話を調整する。
多様なスタッフとの連携: 手話翻訳者、ろう者の俳優、コーダ監修者など、多様なスタッフが協力し、より正確で豊かな表現を目指す。
Body2映画のリアリティレベルの高さについて、具体的なシーンとともに
完成した映画を、原作者は当事者の一人としてどう観たか。
キャラクターの個性が手話で表現されている:
各キャラクターの手話が、単なる翻訳ではなく、その人の性格や感情を表現している。
例えば、豪快な女性キャラクターの手話は、まるで大きな声でまくし立てているように見える。
若者たちの飲み会のシーンでは、マシンガントークのような勢いのある手話が表現されている。
リアルな人間が描かれている:
手話が、単にセリフを翻訳したものではなく、その人物の背景や個性、感情を表現しているため、よりリアルな人物像が描かれている。
観客は、手話を知らなくても、それぞれのキャラクターの個性を感じ取ることができる。
コーダのキャラクターのリアリティ:
主人公のコウダ役も、非常にリアルに描かれており、実際にコウダを知っている人からも共感を得ている。
コウダの仲間からは、「こういうコーダいる」や「吉沢さんって言ってないだけでコーダなの?」といった声も上がった。
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その演出の秘密について
オーディションで見えたこと
演技と日常のギャップ: ろう者の俳優は、オーディションのような正式な場で演技をする時と、普段の会話をする時とで、手話の表現が大きく異なっていた。
意識的な演技: 初めてのオーディションでは、手話を意識的に、そして舞台のような演技をしがちだった。
リアリティの追求: 監督は、より自然でリアルな演技を求め、俳優たちに「適当に」「さらっと」と表現するように求めた。
映画制作への活かし方
自然な演技の引き出し: 俳優たちの普段通りの自然な手話を引き出すことで、よりリアルなキャラクターを表現できた。
多様な表現の追求: ろう者の中でも、様々な背景や個性を持つ人々がいることを表現するため、多様な演技を取り入れた。
キャラクターの深化: 俳優たちの自然な演技によって、キャラクターに深みと人間らしさが加わった。
映画全体の雰囲気作り: ろう者の俳優たちの自然な演技は、映画全体に温かくて人間味あふれる雰囲気をもたらした。
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忍足亜希子さんの家族の一声
ろう者のキャラクターの表現に関する発見と工夫
ろう者の声の表現: ろう者の両親が、子供に話しかける際に声を出したり、感情的な場面で声を出したりするなど、これまでドラマでは表現されにくかった部分を追求した。
自然な演技の引き出し: 俳優たちに「適当に」「さらっと」と表現してもらい、自然な演技を引き出すことで、よりリアルなキャラクターを作り出した。
細かい音の表現: ろう者の俳優たちの呼吸音や食事の音など、細かい音も丁寧に収録し、キャラクターに深みを持たせた。
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忍足亜希子さんの家族の感想
夫「声が出てたんですよって、うちの奥さん」
子ども「いつものお母さんだった」
Body3社会は変わっているのか、という実感について
2019年の投稿: 初めてハフポストに投稿した記事が、映画のクライマックスシーンの基になったことへの感慨。
世の中への期待の変化: 当初は、コーダやろう者の親のことを理解してもらえないのではないかという諦めがあったが、映画制作を通して、世の中は変わっていく可能性を感じた。
監督への感謝: 監督が、何も知らなかった状態から、ろう者に対する理解を深め、映画制作に真摯に取り組んでいる姿に感銘を受けた。
映画の工夫: 映画の中で、背景音楽を控えめにする、エンディングテーマを英語にするなど、ろう者を含めた全ての人が楽しめるように配慮されている点に感動した。
今後の活動: 映画化をきっかけに、今後もコーダやろう者のことを多くの人に知ってもらうために、自分にできることを続けていきたい。
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メモ終わり。
日本映画でここまでろう者を描く体制を整えた作品は、なかなかなかったと思います。ろうの映画監督が作った作品などは別かもしれませんが。