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「日本の女性アニメ監督2」の内容紹介 #C105 ブース位置など

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12月29日、30日の2日間で開催されるコミックマーケットC105にサークル参加します。2日目の12月30日(月)、東地区イ-50a「hotakasugi」です。

頒布予定の新刊は「日本の女性アニメ監督2」となります。夏コミC104で出した「日本の女性アニメ監督1」の続刊です。価格は700円の予定です。1巻は600円でしたけど、20ページくらい増えてしまい、100円上げざるを得ませんでした。ごめんなさいね。

日本の女性アニメ監督をテーマにした書籍『日本の女性アニメ監督2』の表紙デザイン。青を基調としたグラデーション背景に、女性の横顔のシルエットが描かれている。シルエットには流れるような抽象的な線や円が配置され、カメラのアイコンや機械的な要素が融合しているアートスタイル。縦書きで「日本の女性アニメ監督2」と白と赤の文字で記載され、下部には著者名「杉本穂高」とある。
日本の女性アニメ監督2の表紙

 

本書の目次は以下の通りです。

書籍『日本の女性アニメ監督』シリーズの目次ページ。中央に赤枠で強調され、「2巻はここ!」と赤い吹き出しと矢印で示されている。縦書きの目次には、複数の章タイトルや執筆者名が青い枠で区切られている。右ページの目次タイトルには「日本の女性アニメ監督論」や歴史概観についての内容が見られる。全体的に整理されたレイアウトで、各章が細かく分類されていることがわかる。
日本の女性アニメ監督2目次

 
1巻は、「はじめに」、「日本の女性アニメ監督の歴史概略」、女性アニメ作家論から「ときたひろこ監督」の作家論まででした。2巻は、女性アニメ作家論の続きで、山田尚子監督、内海紘子監督、森脇真琴監督、加瀬充子監督の4名の作家論を取り上げています。

2巻は、全体で4万5000文字ほどで94ページと、1巻から約20ページほど増量。作家論は「日本の女性アニメ作家」全体の中のハイライトなので、できるだけ読み応えのある内容を目指した結果こうなりました。

4人の作家論は概ね1万文字前後でまとめているので、分量的にはときたひろこ監督のものと同じくらいです。山田尚子監督は、もう少し長いですが。

表紙は1巻のモノクロを青くしたものです。全4巻の予定なので、モノクロ、RGBで構成しようかなと。日本の女性アニメ監督は、それだけ多彩なカラーを持った作家がたくさんいるよ、というのを表紙で示そうかと。

 
 

日本の女性アニメ監督2の内容

以下にそれぞれの作家論の概要をまとめます。

山田尚子 「まなざし」のアニメ作家

山田尚子監督は、実写的な演出家と言われますが、そのことを真正面から掘り下げようと思いました。実写的と一言で言っても実写にもいろんな監督がいますよね。アニメにも実写的な演出と言われる作品は多々ありますが、そのどれもが山田尚子監督の作品とは異なります。では、山田監督の「実写的」とはどんなタイプなのかを論じました。

映画監督には、カメラの使い方について違いがあるんです。カメラを使って「どう見せていくか」と考えるタイプと、カメラで「どう見つめていくか」を考えるタイプ。この違いを確認した上で、山田尚子監督の実写的レンズはどちらか、そして、彼女が何を見つめてきたのかを具体的に作品を事例にしながら分析する、という内容です。
 

内海紘子 男性身体と視覚的快楽

視覚的快楽とは、フェミニズム映画批評の始祖として知られるローラ・マルヴィの論文からきている言葉です。内海紘子監督を、男性身体を視覚的快楽として見せることに長けた監督と考えました。

マルヴィは古典ハリウッド映画を対象に、映画が「男性のまなざし」によって作られており、そのための女性の身体が客体化されている。見る男性、見られる女性という権力構造に支配されていると論じたわけですが、内海監督の作品は、見る女性、見られる男性と関係が逆転しています。これが内海監督を特異なポジションに押し上げたと考えました。
 

森脇真琴 シュールとカオスの体現者

森脇真琴監督のカオスなセンスがどこから来たのか、キャリアを振り返って考え、そのカオスがジェンダー表現に何をもたらしたのかを論じるという方向性です。やはり『プリパラ』についての比重が大きくなりましたが、『おねがいマイメロディ』以前の作品についても触れています。『さすがの猿飛』で濃いパロディ回の演出担当してたりするんですよね。あとやっぱり『おるちゅばんエビちゅ』はとんでもない作品だなと改めて思いました。
 

加瀬充子 ロボットアニメの女性監督

女性で初めてロボットアニメを監督したという異色の経歴の加瀬監督のキャリアを振り返り、その功績について考察するというのが基本的な構成です。やはり、「男の子の趣味」と「女の子の趣味」と分かれてしまう中、加瀬監督が「男の子の趣味」の領域で活躍を続けたということに、大きな意味はあると思うのです。
もちろん、加瀬監督のロボットアニメ以外の作品も取り上げています。『ヤング・ブラック・ジャック』や『最終兵器彼女』はやはり興味深い作品ですね。
 
 
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日本の女性アニメ監督について

改めて、『日本の女性アニメ監督』全体のコンセプトについてご説明しておきます。C104で1巻を出した時に書いた文章を再録します。
 

2024年は、劇場版『名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)』を永岡智佳監督が、『化け猫あんず』ちゃんを久野遥子監督が(山下敦弘監督と共同)、8月30日から山田尚子監督の『きみの色』と注目劇場アニメを女性監督が務めています。
 
興行収入(コナン)、内容(きみの色)、賞レース(あんずちゃん)とそれぞれに注目されている理由がありますが、今年は女性のアニメ作家が、「映画」という枠組みにおいて活躍していることは間違いありません。
 
しかし、そもそもこの3人だけが突然変異で活躍しているわけではなく、もっと長く女性のアニメ監督の活躍の歴史があったはずです。本書はそれに改めてスポットを当ててみようという内容です。

書こうと思った動機その①

『日本の女性アニメ監督』について書こうと思った動機は、『彼女たちのまなざし 日本映画の女性作家』(北村匡平/児玉美月=著)という本です。日本映画の女性作家について書いた本で、内容も素晴らしく、なにより「女性作家」を取り上げる際の姿勢が良かった。
 
児玉さんの書いた序論にはこうありました。

「女性監督」という言葉は、それが発せられるとき、女性が存在しえなかったかつての歴史、そして現在もなお続くジェンダーの不均衡を都度証立てるだろう。(P7)

 
監督という職業が普通に女性のものなら、「女性監督」とは言われないわけで、その言葉自体がジェンダーの不均衡があることを示してるわけです。では、どうしてその言葉を使うのか。児玉さんはこう答えています。

男性権威主義的な映画界においても女性の監督が確かにいること、性差別がなお温存され続けていることをつねに含意させながらも、同時に私たちは「女性監督」の呼称を、一刻も早く手放せるよう焦燥感に駆られながら用いなければならない。(P8)

また、「女性ならではの感性」という雑なくくりで捉えてしまう傾向を排するためにも、まとめて女性作家を特集することで、一人ひとりの作家が持つ感性はこんなにも異なり、多彩なのだと示すために、「敢えて」女性監督と言う言葉を使っているわけです。実際、この本を読むと、まるで指向も目線も演出スタイルもことなる女性作家がたくさんいることに気づかされるでしょう。
 
僕も基本的にこれと同じ立場をとり、「女性監督」という言葉を用いることにします。アニメにおいて女性の演出家の名前を見かけることは珍しくなくなりましたが、それでも男性と同数というわけでもありません。増えているけど、同数ではない状況。この流れを加速させる援護射撃になればと思ったのは、本書を作るひとつ目の動機です。
 

書こうと思った動機その②

『彼女たちのまなざし』は素晴らしいのですが、取り上げられている監督は、実写映画の作家中心です。長い作家論が16本掲載されていますが、アニメからは山田尚子監督のみ。その理由は共著者の北村匡平さんのこの一文に集約されていると、僕は思いました。

アニメーション映画の女性監督は、実写映画に比べてかなり少ないのが現状だが、2020年代に山田尚子以降の新たな作家の登場が増えていくことが期待される。(P39)

確かに、長編映画という枠組みでは、アニメの女性監督が実写映画に比べてかなり少なく見えるかもしれません。しかし、日本のアニメに女性監督は本当に実写に比べてかなり少ないのでしょうか。
 
これは考えの枠組み、あるいは(実写)映画とアニメの研究や批評のあり方の違いによる齟齬に僕には思えます。
 
日本のアニメについて語る際、長編映画だけを取り上げても、全体像を把握できないと思います。最大の巨匠である宮崎駿監督ですら、監督デビューはテレビシリーズで、高畑勲監督の「生活感をアニメで描く」という画期的な方向性もテレビで実践されたものです。純粋に映画から出てきたアニメ作家、例えば新海誠監督、は例外的な存在と言えます。
 
つまり、アニメについて書く場合、映画だけ見ててもわからないことは大量にあるということです。なので、実写映画の枠組みだけで、女性作家を「かなり少ない」と言うのは実情に即していないと思います。山田尚子監督にしてもテレビからキャリアスタートしていますし。
 
つまり、動機の2つめは、『彼女たちのまなざし』が映画という枠組みに限定して書かれたゆえに零れ落ちた部分にスポットを当てることにあります。
 
『彼女たちのまなざし』が女性監督を取り上げるのは、男性監督に偏っていた批評や研究領域で、不可視化されてしまった女性作家に光を当てることだとすれば、長編に偏る実写研究の枠組みによって不可視化されてしまう存在を救い上げることもまた必要だと考えています。
 
実際、研究・批評領域では、実写の方がたくさん女性作家を取り上げてきたと思います。『彼女たちのまなざし』発売当時は、書店で選書フェアをやっていましたが、選書フェアができるくらいには、関連本があるわけです。同テーマで、アニメで選書フェアできるか疑問です。須川亜紀子さんなど、表象や観客の受容論的な本はいくつかあると思いますが。
 
まとまった本がないとアニメに詳しくない人からは、「かなり少ない」と見えてしまってもしょうがない部分はあると思います。今は不可視化されてしまっている状態なので、「かなり少なく」見えるのもいたしかたない。

 
12月30日の当日には1巻と2巻、両方持っていく予定です。

 

ブース位置・日時

サークル名:hotakasugi
日時:12月30日(月)
場所:東地区イ-50a
 
サークル場所の地図はこちら。

 
 
なんとか夏コミで予告していた2巻を間に合わせることができました。読み応えのなる内容になったかなと思います。当日、是非ブースまで遊びのお越しください!

1巻同様、コミケ後にBOOTHで通販も予定しています。現地までお越しになれない方は、こちらをご利用ください。
hotakasugi – BOOTH