トマ・カイエ監督のフランス映画『動物界』は、面白かった。このアイディアならスリラーやホラーに向かいそうなところ、親離れをする少年の旅立ちを祝福する物語へと着地してみせた。
動物化する少年、人間社会で生きるか、森で生きるか
舞台は近未来。だが、未知のテクノロジーなどが描写されるわけではなく、普通に現代に見えるような近未来だ。この時代、人が動物化してしまう、謎の伝染病が蔓延しており、パンデミックの様相を呈している。主人公フランソワの妻もその病に犯され、隔離措置がとられている。しかし、移送中の事故で野に放たれ、妻は行方不明に。フランソワは16歳の息子エミールと一緒に行方を探すことになるが、エミールもまた動物化していく。
冒頭は、文明社会の病とも言える渋滞のシーンから始まる。狭い社内に閉じ込められているエミールと運転するフランソワは、鳥に変異した青年が暴れるところに遭遇する。冒頭で、エミールの鬱屈感が上手くシチュエーションで表現されている。
その鳥の青年に、エミールは森で母を探しているうちに出会うことになる。2人は心を通わせ、鳥青年が飛ぶ練習をエミールは手伝うことになる。この辺りから、物語はホラーではなくなっていく。
動物化した人々は、「新生物」と呼ばれているのだが、人間社会で差別の対象となっている。母が新生物で自分もそうなりかかっているエミールにとって、人間の学校は居心地に良いものではなくなっていた。一方で、森で出会った鳥青年に代表される新生物との交流に安らぎを感じるようになってく。
そして、自分はどの世界で生きるべきなのか、エミールは選択を迫られていく。だが、父親のフランソワは息子まで奇病のせいで失おうとしている。これを何とか止めたいと願う親としての心と、息子が独り立ちして自らの人生を選択しようとしていることを尊重すべきなのか、葛藤する。
この親子の葛藤が物語の中心となっている。子供の親離れをめぐる普遍的な葛藤がこもっているのだ。
宮﨑的より細田的
本作は、森が重要な舞台となっており、人間社会と新生物が生きる森のコミュニティが対比的になっている。森が舞台で、人が動物化するという点でアピチャッポン・ウィーラセタクン監督の『トロピカル・マラディ』を思い出す。あんなに難解な作品ではけれど。当然、その元ネタである中島敦の小説『山月記』も思い出すわけだが、それよりもこのジュブナイル的な展開は、細田守監督の『おおかみこどもの雨と雪』に近いかも、と思った。
『おおかみこどもの雨と雪』はシングルマザーの母と息子と娘の自立と選択をめぐる物語だった。おおかみ男との間に生まれた2人の子供は、おおかみの血も引いているため、変身能力がある。子供たちはそれぞれ、人の世界で生きるか、森で生きていくかの決断を迫られる。そして、母親も子離れをしなくてはならない。辛い別れだけれども、子供が一人前に成長した喜びもまたある。
『動物界』のフランソワの葛藤と、『おおかみこどもの雨と雪』の母親の葛藤は共通するものがあるし、子供が最後に選択する結末も似ていると思う。
『動物界』の公式サイトには、宮崎的ファンタジーに共通点を見出すアメリカメディアのコメントが掲載されているけど、細田作品の方が近いんじゃないかな。宮﨑作品の場合、自然で生きることの大変さとか、自然の狂暴さも描くのではないかという気がする。
なんにせよ、とても面白く見ました。新生物の造形がスタイリッシュで良いし。
しかし、人間社会とは今、頑張って留まるに値するものなのか、みたいなことも考えてしまったな。差別も多いし、分断は加速するし。この映画で描かれるパンデミックへ恐怖する人間社会は、ついこないだ、世界中で体験されてしまったがゆえに、最後のエミールの決断は説得力があるという側面があるだろう。無理して人間社会に留まらなくても、自由に生きられる世界を希求するというその決断は、このご時世、割と多くの人に響くのだろうなと思った。