TBS日曜劇場、松坂桃李主演のドラマ『御上先生』の3話、このドラマは描くものはなにか、ますます混迷としてきた。
御上先生は携帯電話で、例の件を明日にやろうと思うと話していた。御上先生はいったい誰と話しているのか、なにをやっているのか、主人公の動機と行動が読めなくなってきた。教育の改革が主目的なのか、それとも兄の復讐が目的なのか、隣徳学園とどう関係があるのか、謎が深まってきた。倭健命を名乗るFAXを送ったのも御上先生なのだろうか。
冒頭は、二話から続く面会室のシーン。真山弓弦(堀田真由)は、実際には試験会場で爆弾テロを起こそうとしていたが、不発に終わり、一人の青年を刺殺するプランに変更した。御上先生は、社会は一ミリも変わらなかったと言い放つ。地下鉄でサリンを巻いても、飛行機で世界貿易センターに突っ込んでも、世界は変わらなかった。一人を殺したところでなんにも変わらない。
この作品には、世の中をよくしたい、変えたいという動機が根本にある。しかし、なかなか変わらない社会に苛立つ気持ちが凶悪な犯罪に走らせることがあるということを、このシーンはほのめかしている。良くしたいという思いは一歩間違えるとテロにつながるということだ。
テロしないで世界を変えるにはどうすればいいのか。それが教育を変えるということなんだろうと思う。御上先生のクラスでは、活発に生徒たちが意見を言うようになってきた。このエピソードでは、帰国子女の倉吉由芽(影山優佳)を中心にディベートについて語られた。もうひとつ、離婚した父親が倒れた東雲温(上坂樹里)のエピソードが大きく取り上げられる。
中学校の元教師だった東雲の父親は、教科書検定を通っていない独自の教科書を用いて授業をしていたころで、教師を辞めさせられたという。義務教育の教科書は文科省の検定を通ったものを使わないといけない。副教材として独自の教科書を使うぶんにはOKらしいが、東雲の父親は主教材として使用していたのが問題だった。それがきっかけで両親は離婚。
しかし、教育とは思考力や判断力を養うものであるという本分に立ち返れば、東雲の父親の教育は悪いものではなかったのではないか、だとすれば、教育の現場を奇妙に硬直させているのは何なのか、という問いが発生する。そんなディベートのシーンだった。
神崎(奥平大兼)は、冴島先生(常盤貴子)のアパートで話を聞くが、そこを写真に撮られて、文科省で槙野(岡田将生)や塚田(及川光博)が圧力をかけようかという話をしている。やはり、冴島先生の不倫の一件と青山弓弦の母であるということが、文科省の上層部に何か関係があるということははっきりしてきた。
その槙野は、最後に花を持って墓参りに来ていた。あれは誰の墓なのだろうか。22年前に死んだ御上先生の兄だろうか。兄の死の真相と、刺殺事件に天下り、隣徳学園に送られてきた、倭健命を名乗る謎のFAX、謎は多く積み重なっていく。
謎以上に、この作品が問いかけるものは一筋縄ではいかない複雑さがある。世の中はどうしたら変えられるのか。ほとんど答えようがない問いにこのドラマは挑んでいる。教育を地道に変えていくというのは、良い着眼点ではある。では、良い教育とは何か? この答えもまた複雑で難しい。