NHKドキュメンタリー『映像の世紀 バタフライ・エフェクト』2月10日放送「麻薬 世界を狂わせた欲望」の視聴メモを残しておく。ドキュメンタリー番組の内容を後から検索してもなかなか見つからないものなので。
中東・アフガニスタン――一面に広がるケシの花畑。
かつてから栽培され、食用や薬として用いられてきたこの花。しかし、人類最古の麻薬の一つであるアヘンの原料でもあった。
19世紀、アヘンをもとにモルヒネやヘロインが生み出される。医療用鎮痛剤として開発されたが、その強烈な陶酔作用が新たな中毒者を生んだ。こうして麻薬は人間の欲望に入り込み、時に世界を動かしていく。
第二次世界大戦――兵士たちの戦闘力強化を目的に、各国が薬物を使用。
ベトナム戦争では、残酷な戦場から逃れるため、兵士たちは麻薬に手を伸ばした。
1980年代――南米、コロンビア。
反米感情を抱く国家がアメリカ社会に混乱をもたらすべく、麻薬王と結託。コカインの密輸が横行し、多くの命が失われた。
「人はなぜ、罪と知りながら麻薬に手を染めるのか」――ジョン・レノンの証言。
アヘン戦争――中国を蝕んだ麻薬
18世紀、イギリスは植民地インドで生産したアヘンを密輸。
それを取り締まった中国に戦争を仕掛け、勝利。結果、アヘンの輸出が加速し、中国は世界最大のアヘン大国へと変貌した。
アヘン窟の摘発映像が残るが、中国政府の取締りは焼け石に水だった。
労働力不足により、クーリーとして多くの中国人が欧米へ移住。アヘンの習慣もまた、世界へと広がっていった。
アメリカ――麻薬と裏社会
1920年代、禁酒法時代――闇ビジネスを支配したアーノルド・ロススタイン。
アヘンからヘロインへ。より強力な麻薬が登場し、犯罪組織の収益源となる。
ロススタインは警察や判事を買収し、マネーロンダリングを駆使。現在に続く麻薬カルテルのスキームを築いた。
1928年、ロススタインは殺害される。
だが、麻薬ビジネスは衰えず、彼の部下たちによってさらに拡大した。
ハリー・アンスリンガー――アメリカの麻薬取締り
1930年、アメリカ財務省に連邦麻薬局が設立。
初代局長に就任したハリー・アンスリンガー。彼を駆り立てたのは、幼少期に見た麻薬中毒者の姿だった。
標的は大麻。アンスリンガーは黒人ジャズミュージシャンと結びつけ、大麻の悪評を植え付ける。
ルイ・アームストロング――「マリファナは薬の一種だと思っていた」
一方、白人のハリウッドスターたちの薬物依存には目をつぶる。
ジュディ・ガーランド――10代の頃から薬物を服用。
「睡眠薬で眠らされ、4時間後にまた目覚ましの薬を飲まされる。それが私たちの日常だった。」
1969年、彼女は薬物の過剰摂取により死去。47歳だった。
戦争と薬物
1939年、第二次世界大戦勃発。
ドイツ軍は「ペルビチン」(覚醒剤の一種)を兵士に投与。
「誰も眠ることなく、数百キロを疾走した。倒れた兵士にペルビチンを与えると、30分後には『気分が良い』と言い出した。」
連合軍も覚醒剤「ベンゼドリン」を使用。
日本では1941年、「ヒロポン」が販売。
夜間作戦の兵士、軍需工場の工員、特攻隊員にまで覚醒剤が投与されていた。
戦争が終わっても、薬物の需要は消えなかった。
1951年、日本でヒロポンが禁止薬物に指定。
アメリカ――ジャズと麻薬
「モダンジャズの父」チャーリー・パーカー。
重度のヘロイン中毒者だった彼は、ライブに遅刻し、ついには密売人に印税の半分を渡す契約まで交わしていた。
1955年、34歳で死去。
死因はアルコールと麻薬の過剰摂取による肺炎。
冷戦と麻薬
アンスリンガーは、麻薬犯罪の背後に「共産主義者がいる」と主張。証拠はなかったが、世論を操作するには十分だった。
しかし彼自身は、ジョセフ・マッカーシー議員に密かにモルヒネを提供していた。
「この立法府のリーダーは、重度のモルヒネ中毒者であり、何の対策も講じなかった。」
ベトナム戦争――兵士と麻薬
「死の恐怖と罪悪感から逃れるため、俺たちは麻薬に頼った」
戦場ではマリファナやヘロインが蔓延。帰還兵の多くが薬物中毒となり、社会問題化した。
LSDの時代
1960年代、リゼルグ酸ジエチルアミド(LSD)が登場。
精神疾患の治療薬として開発されたが、やがてカウンターカルチャーの象徴となる。
麻薬ビジネスの変遷と世界への影響
1980年代、麻薬ビジネスの中心は中南米へと移った。アメリカの麻薬取締局(DEA)の映像には、連邦麻薬局が国際的な捜査権限を持つ巨大組織へと発展していく様子が記録されている。
コカイン生産の拡大と密売
南米ボリビアでは、コカインの生産地と密売所が確認された。コカの葉は古来より疲労回復や高山病の薬として利用されてきたが、葉自体には強い中毒性はない。しかし、抽出・精製されることで強力な麻薬コカインへと変貌する。この特性に目を付けた裏社会は、コカの葉を高価な商品へと変え、多くの農家が栽培に乗り出すきっかけとなった。
こうして生産されたコカインは精製され、大量にアメリカへと持ち込まれる。その流通を支配したのが、「コカインの帝王」と呼ばれたパブロ・エスコバルだった。
エスコバルとメデジン・カルテル
コロンビアのエスコバルは、世界のコカイン市場の約8割を支配し、推定30億ドルもの利益を上げた。彼は1987年から7年間にわたり世界の富豪ランキングに名を連ね、日本の堤義明らと並んでいた。
エスコバルは貧しい家庭に生まれ、20代で家族や友人とともにメデジン・カルテルを設立。その最盛期には10万人規模の組織となった。アメリカへのコカインの主な玄関口はマイアミであり、カルテルは無線で暗号を使い売人と連絡を取っていた。これに対し、アメリカ政府も傍受を行い、水際での攻防が続けられた。
麻薬ビジネスと政治
コカインビジネスは反米感情とも結びつき、中南米の指導者たちも関与した。パナマのノリエガ将軍やキューバのカストロ政権は、巨額の裏金と引き換えにエスコバルの麻薬流通を支援。エスコバルは地元メデジンではヒーロー扱いされ、サッカースタジアムや低所得者向け住宅を建設し、「現代のロビン・フッド」と称されることもあった。
しかし、エスコバルは敵対する者には容赦がなかった。1989年のコロンビア大統領選では、麻薬カルテルへの厳しい取り締まりを掲げた候補ルイス・カルロス・ガランが暗殺された。これにより、アメリカとコロンビア政府は取り締まりを強化し、コカインの生産工場を破壊。するとエスコバル側は報復として政府要人や警察を標的とした大規模な爆破テロを決行し、1年間で3000人もの市民が犠牲となった。
エスコバルの最期と麻薬戦争の継続
1993年、ついにエスコバルは特殊部隊との銃撃戦の末、屋根伝いに逃げようとしたところを射殺された。彼の葬儀には2万5000人もの市民が参列した。
エスコバルの死後も麻薬取引は続いた。アメリカはメキシコとの国境沿いに壁を建設し、不法移民と麻薬の流入を阻止しようとしたが、麻薬カルテルは1.3キロにも及ぶ地下トンネルを掘り、密輸を継続している。
新たな薬物の脅威
現在、アメリカでは新たな薬物が蔓延し、深刻な社会問題となっている。その一つがフェンタニルである。がん患者の鎮痛剤として開発されたが、わずか2ミリグラムで死に至る強さを持つ。
コロナパンデミックによるロックダウンを機に、痛みに耐えながらも病院に行けない人々、孤立して精神的に追い込まれた人々の間で急速に広がった。この市場に目を付けたのが、中南米の麻薬カルテルだった。彼らはフェンタニルにコカインなどを混ぜ、さらに強力な薬物を送り込んでいる。フェンタニルなどの過剰摂取による死者は、2年前には10万人を超えた。
シリア政権崩壊と新たな事実
2024年12月、中東のシリアでアサド政権が崩壊した際、驚くべき事実が明らかになった。世界市場の8割を占める薬物「カプタゴン」はシリア産であり、それを管理していたのはアサド大統領の弟だった。カプタゴンはシリアの重要な資金源だったと考えられている。
麻薬ビジネスの終わりなき拡大
人間の弱さや欲望につけ込み、膨張し続ける麻薬ビジネス。その市場規模は50兆円に達し、世界で3500万人以上が苦しんでいる。
かつてヘロイン中毒だったジャズミュージシャン、チャーリー・パーカーはこう語っている。
「ドラッグをやっていた頃は、演奏が良くなっていると思っていたが、今いくつかのレコードを聞くとそうではなかったことがわかる。麻薬をやらないといい演奏者になれないなんて嘘だ。信じてくれ。私が気づいた時にはもう遅かった。そいつは体から抜くことができても、心から抜くことはできない。」
「麻薬 世界を狂わせた欲望」
放送をご覧いただき、ありがとうございました。
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— 映像の世紀バタフライエフェクト (@nhk_butterfly) February 10, 2025