[PR]

劇場版『ベルサイユのばら』のオスカル像:原作回帰で描くオスカルの生き様と現代的意義


リアルサウンド映画部に、映画『ベルサイユのばら』のレビューを書きました。

映画『ベルサイユのばら』オスカルのキャラはなぜ変更された? 旧作との違いが示す現代性|Real Sound|リアルサウンド 映画部

リメイクアニメが流行りですが、本作も名作を旧作に持つ作品と言えます。では、旧テレビアニメ版とどう異なるのか、原作も交えて比較することで見えてくる物があるかなと思い書きました。

より原作に忠実になっているわけですが、意外と旧テレビアニメ板だけで『ベルサイユのばら』を認識している方も多いと思います。実は結構、オスカルのキャラクター性が異なるんですね。今回の新劇場版は、オスカルが原作により近い、不屈の精神が強調されることになりました。これによってかえって現代性を獲得することになっています。

旧テレビアニメ版の画面の構成など、それはそれで目を見張るものがありますが、今回の新劇場版にも価値が高いものが内包されていると思います。
 
 
以下、原稿作成時のメモと構成案。
 
 
——————
 
 

個人的なタイトル案:『ベルサイユのばら』徹底比較:オスカル像の違いとリメイクの意味
リメイクアニメの想像力
70年代、2020年代、映画、テレビ、男、女
対原作
対テレビ版

ジェンダー表象と革命表象、市民の困窮と戦い、平等VS自由
旧作の時代性をいかに解き明かし、書くか。それに対して2020年代の時代性・・・原作に忠実であることはかえって現代的になるという点を強調
 
 
参考

 
芝居の違いについて参考

テレ朝POST » 田島令子、社会現象になった『ベルばら』のオスカル役。演じるうちに自分の声が出なくなり…「回復まで20年ほどかかりました」
「プロデューサーの方が最初に、『田島さん、オスカルはあくまでも女性ですからね。それを心にもって演じてください』とおっしゃったので、その言葉を心に置いて演じておりました。
ですが、そのときの演出家の考えと私の思いが演じる上で徐々にすれ違いはじめて、気がつけば本来のワタシノ声が出なくなってしまったんです。それからは、マイクの前に立つと自分の声で演じることができなくなってしまって…。演出家の演技指導と私の演技方法との違いから、制作サイドの意向により彼は現場を去ることになりました」

ベルサイユのばら アニメ大解剖に田島令子さんのインタビュー掲載
 
時代性の違いについて参考

池田理代子さん 「ベルばら」オスカルはなぜ女性に – 日本経済新聞
「仕事やお金や企業に結び付く勉強に抵抗感があったし、哲学が一番『純粋な学問』という感じがしたからです。成績が良かったので研究者になろうと思っていました。でも父は女性が大学に進むことに消極的で『浪人はダメ』『公立で』『学費は1年しか出さない』という条件を出されていた。大学では70年安保闘争が吹き荒れ、私も共産党の下部組織の民青に所属し、学生集会などに参加しました。ヘルメットの上から鉄パイプやゲバ棒で頭をたたかれた経験もあります」
「ヒットした要因は、やはり男装の麗人、オスカルという架空人物を登場させたことでしょうね。革命時に市民の側に立ったフランス衛兵隊の隊長を描きたかったけど、私はまだ24、25歳で男性心理がよく分からない。だから苦肉の策で女性という設定で描くことにしたんです。最初はアントワネットを主人公にするつもりでしたが、中盤からはオスカルが主人公になります。ケガの功名のようなものですね」

「頼りないアンドレは理想の夫かも」ベルばらファン、三浦しをんが池田理代子と語るキャラクター愛
池田 1789年の7月14日、フランス革命の発端となったバスティーユ襲撃のときに権力側の軍隊でありながら、市民側に寝返ったのが「フランス衛兵隊」です。その衛兵隊を指揮した隊長がいまして、作中で活躍させたいと思ったんです。私はまだフランスに行ったこともなく、資料もほとんどなかったので、それを逆手に取って、隊長は女性に変えた方が自由に描けるなと考えました。
池田 連載していた当時は絶対的な男性社会でした。どこにいってもセクハラがあり、原稿料も人気とかは関係なく、女性マンガ家は男性マンガ家の半分でした。
三浦 あまりにひどい話……。
池田 でしょう。それはおかしくないですかと編集長に聞いたら、「家族を養う男が高いのは当たり前ですよ」みたいな顔をされまして。そういう時代だったとはいえ、女性が軽く扱われるのも、これは女のもの、あれは男のものと分けられるのも悔しくて。オスカルが馬に乗り、剣を使い、自由にふるまう姿を描くのが、ストレス解消になっていた部分はあります。
 
 
Point3つ
TV版と原作(映画)、オスカル像はどう違うか
映画が重視したもの、TV版が重視したもの
オスカルというキャラクターを今、蘇らせることの社会にとって重要な意味を考える
 
 
TV版のオスカル
時代のうねりに翻弄された、悲劇の人物
第一話、最終話に象徴。
 
映画と原作
力強く、激怒の時代を自由の意思を持って生き抜いた人。
 
 

Intro

リメイクアニメの想像力

ベルサイユのばらが現代によみがえった。本作は70年代前半に原作マンガの連載が展開され、70年代後半にテレビアニメ化された。

昨今リメイクが流行りではある。ベルばらについては、その優れたジェンダー表象とフランス革命をの描写も今なお色褪せない。

今回の劇場版は、かつてのテレビアニメとどう異なるか、原作との距離感も踏まえて分析を試みる。
 

Body1全体構成の違い

テレビ版のOPの話・・・バラの蔦にがんじがらめのオスカル・・・美しいが不自由さを象徴する

映画はそれに比して、力強く時代を切り開く先兵に積極的に、自由な意思でもって突き進む強さが際立つ。

端的に言う

テレビ版:激動の時代に、運命に翻弄された悲劇の人物

映画:激動の時代を自由な意思で生き抜いた人

テレビ版:革命の意義や民衆の困窮など、市民が立ち上がり時代がうねる。その中で翻弄される登場人物たちが群像劇のように描かれる

映画:オスカルというキャラクターの年代記であり、生き方を原作に忠実に描く

テレビ版は、シャトレやロべス・ピエール、サン・ジュストらの革命を推進する側のドラマもかなり色濃く描かれる。特にサン・ジュストの狂気は、原作にない要素であり、暴力を含んだ民衆の革命の怖さが描かれる。同時に困窮する民衆の惨状も描かれ(アランの妹など)、その中でオスカルたちが時代のうねりまきこまれていく

原作は、そうした革命の物語も丹念に描くが、オスカルが自由への意思を見つけていく過程を重ねられる。

映画は、革命や民衆側の登場キャラは大きく削られる。2時間の作品におさめるための取捨選択で、オスカルというキャラクターの生きざまに焦点を絞っている。
 

Body2 オスカルの違い

テレビ版、1話の描写

衛兵隊に行く動機:近衛をやめる理由が違う。男として生きたいという決意。より男として生きたいという理由に。

アンドレの妻になってからの言動、アンドレの半歩後ろをいく妻となる。アンドレに決めてもらおうとする、革命に参加するかどうかを。

最後の言葉はアデュー・バスティーユの白旗を見ることなく暗く狭い路地で死んでいく

この言葉は、映画では代わりにオスカルがアントワネットに別れを告げるシーンで使われる。

映画:男として育てられたことを後悔していない

衛兵隊に行く理由は、市民をより知るため、祖国のため。(原作と同じ。要確認)

アンドレの妻になる、結婚式だと自ら良い、自ら貴族であるとこを捨て、隊を指揮する

最後の言葉は、フランス万歳、不滅の理想を信じて逝く。バスティーユの白旗を見て死んでいく。

このオスカルというキャラクターの違い

映画版では後半、歌唱パートでイメージ映像のような形で、オスカルが軍神マルスの子として生きる意志を固めた後、両手にはめられた鎖が壊れるというイメージ映像が挟まれる。バラの蔦に身体の不自由を奪われているオスカルは、ここにはいない。

父親に感謝の言葉さえ述べる(これはテレビにあるんだっけ?)。。
 

Body革命を描かなくてよいのか。

フランス革命は、民主主義誕生の人類史にとっても重要な出来事。その革命の意義や矛盾や混乱、そういった諸々を原作にも描かれ、テレビはさらに強調する方向で作られている。とりわけ、民衆の困窮からくる暴動の描写は多い。

それに伴ってか、アンドレの「平民」としての部分のドラマもある。映画では、アンドレは平民ではあるが、身分違いの恋という点でのみ苦しむことになる。

テレビ版が製作された79年から80年、学生運動の敗北後の時代で、バブル経済のノーテンキさの直前、民主主義とは、革命とはという問いかけがことさらに強い。

では、映画版に社会的メッセージはないか。

そんなことはない、オスカルという傑出したキャラクターを今によみがえらせることには、現代社会にとって大きな意味がある。

オスカルは何を体現するのか、不自由を跳ね飛ばし、戦う自由な意思で生きること、女性にとってそれがどれほどまぶしく輝くのか。

オスカルの個人史がそれほどまでに社会に大きなメッセージとなり得るし、今求められることでもある。

人は心のみが自由なのではない、指の先、髪の毛1本にいたるまで自由であるべき、というオスカルの信念が、今強く求められる時代ではないか。奇しくも、

というより池田先生の原作にあるこの力強さの普遍性の力だ。
 

フランス万歳であるべきだ。。。。。この理由をきちんと考える

この言葉を言うために自由を信じて戦った人だった。愛を知って強くなる、弱くなるのではなく、強くなる。この映画はオスカルの誇りを守った
 
 
—————
ベルばらテレビアニメ版、気になった所のメモ

1話
オスカルの父親。
赤ん坊を取り上げる、不敵な笑みを浮かべて、

オスカル、ベルサイユに行かなくていいのか、誰があんなところへ。

オスカル
女のおもりなどしたくありません。
階段から突き落とされるオスカル。
私は大勢の前であなたに恥を書かせたくない、ジェローデルに対し。

ドレスの女性の肖像画を見つめているオスカル
その後、アンドレ、「お前の本心は・・・」と問いかける
二階の窓の外で雨が降る中、父とアンドレの会話を聞いているオスカル。
軍服を着るのかどうかで殴り合うアンドレとオスカル。

アンドレ、「今ならまだ遅くない。女に戻るなら今だぞ」

2話
完全にオリジナルな展開。
身代わりとなれと言われるオスカル。ドレスを投げ捨てる。なんかワガママな雰囲気。

3話

4話
アンドレとの決闘、腹に蹴りを入れるオスカル

5話
こんなに大げさになきわめくデュ・バリー夫人。

7話
女の直感というアンドレにむっとするオスカル。

8話
いきなりアンドレを殴るオスカル、このアニメ殴りすぎでは。

9話
デュ・バリー夫人をベルサイユから追放すると、ルイ15世が決断。
明日のパンを手に入れるための心配を語る、デュ・バリー夫人

10話

11話

12話
オスカル、くまの人形を木の下に埋めている?

13話
格差への怒り、それを知るオスカル。民衆の怒りの表現が強烈

15話
ロザリー、オスカルの服と踊る。ロザリーのオスカルへの思慕がもっと激しくなっている。どうして女なんかにお生まれになったの、というセリフ。

18話
男に育てることを反対したと詰め寄るばあや。

19話
女は殿方に愛されねばなりません。それが女の幸せです、という冷たい目のポリニャック伯夫人。
ロザリーが銃をポリニャック伯夫人に向ける。シャルロットが結婚させられようとしている公爵がより気持ち悪い。
狂ったように笑うシャルロットは違和感あるな。

20話
たった一杯の酒、市民の貧困描写。
オスカルがフェルゼン宅を訪れる時、雨が降っている。
オスカルのフェルゼンに対する愛の葛藤がちょっとドロドロしてる方向に

21話
ローアン大司教のかわいげがなくなっている。
ジャンヌが金貨の贈り物、オスカルに。
ジャンヌがローアンにキス、悪女としての憎々しさが増している。
アントワネットの身代わり、目が見えない設定に変更

23話
ロザリーがジャンヌに母の形見で指輪を、オスカルにわたすようにお願いする。
ジャンヌがその指輪を裁判中につけている。
サン・ジュスト登場
ジャンヌの描写が力強い。

24話
ジャンヌの回想録が大きくフィーチャーされている。

25話
フェルゼン、りんごを撃ち抜いて帰還を告げる。劇的に嬉しそうなオスカル
爆弾魔、貴族を爆殺しようとする輩が登場する。

26話
アンドレが教会にオスカルを連れて行く。原作にあったっけ?
アンドレ、自ら黒い騎士になるよう改変。

27話
寝ているシャトレに斬りかかろうとするが止まるオスカル。
やつは盗人だぞというセリフ、会ったか?

28話
マリー・アントワネットがキリスト像の前で懺悔する。
フェルゼンとの別れのシーン、涙するオスカル。
ED挿入歌がうまい。
アランがアンドレと酒場で出会う。原作よりも荒っぽい衛兵隊
近衛をやめる理由が違う。男として生きたいという決意。より男として生きたいという理由に。
アンドレに供をすることをしなくても良い。
女は所詮女だということかと問い詰めるオスカル。殴る
ベッドに押し倒すアンドレ。

29話
決闘の相手がオスカルじゃない。

30話
結婚を自問するオスカル、鏡の演出がうまい。
サン・ジュストが狂気的なキャラクターに。
アランがアンドレの良き理解者に、ちょっといい奴になっている。
結婚選びのパーティ、軍服を来て挨拶してすぐに退出するオスカル。

31話
テロに走る若者たちのパリの描写。
サン・ジュストが衛兵隊にスパイを送り込んでいる。
アラン、オスカルを余裕がないと余裕な表情で論評。
憲兵隊が、銃を売った衛兵隊を捕まえに来る。
アランが、アンドレが妹と結婚したらどうすると質問するオスカル。

32話

33話

34話
30話以降は、革命にいたる政治的なエピソードが多くなる。
水に沈んでいる像
サン・ジュストがオスカルの命を狙う。

36話
アランが暴動を革命と訂正する。
ロベスピエールやサンジュストの革命エピソードの話の比重
ロベスピエールは権力目当てという指摘。

37話
アンドレが革命についてモノローグ
オスカル、半年の命と医者に宣告。休めと言われる。
暴徒化する民衆の前に野犬を描いている、なぜ?
ホタルが飛んでいる中でキスするオスカルとアンドレ。

38話
隊長を辞めるオスカル。アンドレに従う、夫の道をともに歩むと言い出す。
アンドレ、命じてくれ、お前の信ずる道は私の道だ。
子どもが撃たれる。
アンドレは流れ弾で死ぬ。

39話
アンドレが死ぬ間際で式をあげてほしいというオスカル。泣いて頼むオスカル。
アランに指揮を託そうとするオスカル、アンドレを失って随分と弱気になっている。
路地裏で倒れているオスカル、アンドレの幻影をアランに見てしまう。アランの胸の中でなくオスカル。一方バスティーユ牢獄の襲撃は始まっている。

40話
くらい路地で静かに休みたいとオスカル。
バスティーユの白旗を見ないで死んでいく。
革命の醜さを知らずに死んだというセリフ、アランがオスカルとアンドレに対して。
民衆の醜さを描く。
すごい悲しい終わり方。原作も悲しい終わりだが。

—————-
 
 
メモ終わり。

テレビアニメ版を見返してみましたけど、オリジナルシーンは確かに多いですね。サン・ジュストがヤバイ奴だった。アランは少し年齢が上がってるのかな。

民衆の描写については旧テレビアニメ版は力入っていますよね。歴史の大きなうねりはこちらの方が実感できることは確か。
 
関連記事
劇場版『ベルサイユのばら』制作陣インタビュー|令和に蘇る“ベルばら”「原作へのリスペクト、映像美、音楽…全てが融合した作品に」 – Film Goes with Net
映画「ベルサイユのばら」号外をゲット!その内容は…? – Film Goes with Net

ベルサイユのばら 愛蔵版(第1巻) (Chuko★comics)

ベルサイユのばら 愛蔵版(第1巻) (Chuko★comics)

池田 理代子
2,970円(02/21 11:17時点)
Amazonの情報を掲載しています