『TATAMI』は、国際色豊かな作品だ。イスラエル人とイラン人が共同監督。舞台はジョージア、題材は日本発祥の柔道の大会。様々な国の事情や文化、考え方や伝統などが入り混じっている。国際色が豊かにしないと描けない、国際社会の複雑な実情とスポーツの関係が浮かび上がる。
モノクロ映像が非常にきれいに撮れていて、それだけでも必見なのだが、緊迫感あるストーリー展開に手に汗握って、100分の上映時間があっという間に終わった。2人の主人公の葛藤と対立が見事に描かれ、抑圧と戦う女性たちの物語を力強く描いている。
柔道世界選手権での実話をもとにした物語
本作はフィクションだが、実際に世界柔道選手権で起きた事件を下敷きにしている。2019年8月の日本武道館で行われた世界柔道選手権東京大会で起こった、イラン出身の男子柔道選手サイード・モラエイに関する事件が原案となっている。この選手は大会後、亡命してドイツに逃れ、その後モンゴル代表選手となり東京オリンピックで銀メダルを獲得しているそうだ。
イラン女子柔道代表のレイラ(アリエンヌ・マンディ)と女子柔道の監督マルヤム(ザーラ・アミール)は、イランの柔道初の金メダルをかけて、ジョージアで開催される世界柔道選手権に臨む。イランでは夫や息子、両親たちがテレビの前で応援している。
レイラにはライバルであるイスラエルのジャニがいる。彼女は反対ブロックなので、対戦するとすれば決勝だ。レイラはジャニとの対戦を心待ちにしているが、ここで政府の介入が始まる。
監督のマルヤムの携帯電話に、ジャニと当たる前にレイラを棄権させろとの要求が国の柔道協会からなされる。イランとイスラエルは政治的に対立関係にあり、世界大会で戦わせるわけにはいかないというのだ。マルヤムとしては、夢のため、国家の威信も背負っているレイラの努力を無にしたくないが、上の命令には逆らうことができない。この問題は柔道協会だけでなく、国の最高指導者をも巻き込んだものなのだ。
レイラはボイコットの指示を聞き入れず戦い続ける。途中でレイラの家族にまで危害が及ぶ。父親は工作員に捉えられ、夫と息子は国境を超えて逃げる。この事態に動揺しながらもレイラは勝ち続ける。その姿に自身の立場も危うくなりそうなマルヤムだが、ついにはレイラをサポートすることにする。
マルヤムも現役時代、決勝をボイコットさせられて悔しい思いをした過去を持っていたのだ。
政府からの脅しは、電話だけでなく会場でも行われる。ファンを装い近づいてきた男は、イランの工作員のようだ。命の危険を感じながらもレイラは決して信念を曲げずに戦いを止めない。
迫力の柔道シーン
まず本作は柔道シーンがかなり本格的だ。俳優演じる役の対戦相手は、実際の柔道家を採用しているそうで、そのことが迫真性を高めたようだ。カメラワークはかなり選手に寄った位置から手持ちの躍動感あるものとなっている。この柔道のシーンのリアリティがないと、国家の圧力の物語にも説得力が生じないし、間抜けな印象を与えてしまっただろう。
対戦型のスポーツ描写でこういう近接のカメラで見せる手法は、近年だと『クリード』などが同じようなやり方をしていた。機動力あるカメラ機材が増えていることがこういう描写の増加につながっている。本作の作劇を考えても、登場人物の心理に入り込むような、近接のクローズアップを多用していくのがいいと思う。国家の圧力と目の前の対戦相手、2つの敵と戦い、気持ちの上で追い詰められていく主人公に、観客を寄り添わせる点でも大きな効果をあげている。
政治とスポーツ
本作のテーマは政治とスポーツの関わりだ。オリンピックのような国際的なスポーツ大会は、国の威信をかけた戦いと表現されることもあるが、実際に国家間の代理戦争的な役割を負っている面があるのだろう。しかしながら、そのスポーツで相対するのは、政治家でもないし軍人でもない、一個人である。国際スポーツを題材にすると、こうした国家と個人の対立や引き裂かれた関係性は浮き彫りになる。
戦争など、人権にかかわる重大事が発生した場合、制裁として国がスポーツ大会から締め出されることがあるのも、スポーツと政治が、本来なら切り離されている方が良いにもかかわらず密接に結びついている例の一つだ。
本作の物語の秀逸な点は、レイラだけでなく監督という要職にあるマルヤムの葛藤も描く点。マルヤムも一時はレイラに対する抑圧者としてふるまうが、それは彼女も抑圧の対象だから。一度同じ目に遭わされているだけに、一番レイラの気持ちが分かる存在なのだが、同時にだからこそ政府に逆らうことの恐ろしさも知っている。マルヤムの存在がこの映画を奥深いものにしている。
国家の対立と個人の連帯
本作は、イラン人のザーラ・アミールとイスラエル人のガイ・ナッティヴの共同監督による作品というのも興味深い点になっている。この2ヶ国は政治的には対立しているが、クリエイターという個人レベルではこうして協力しあえる。映画など、芸術の分野もしばしば国家の政治事情に左右されるものだが、個人として協力しあえる事例を身をもって示していることもまた、本作の貴重な点だ。
偶然にも、こうした国家レベルの対立を超えて協力し合う様を描いたもう一つの映画も公開中だ。ドキュメンタリー映画『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』は、パレスチナ人の青年とイスラエル人の青年が協力して、イスラエルによる土地収奪の惨状を世界に伝える活動を追いかける内容だ。
今、世界情勢は大変にきなくさくなってきているけれど、国家はどうあれ、個人は協力しあえるということを忘れてしまわないようにしたい。文化やスポーツといったものは、国家の対立の道具ではなく、このように個人を繋ぐものであってほしい。この映画を見て、心からそう感じた。