NHK Eテレの対談番組「スイッチインタビュー」に新海誠と坂元裕二が登場した。4月4日の初回は、坂元裕二から新海誠への質問だ。
この手のドキュメンタリー番組は、後から内容を確認しようと思っても難しいから、メモ代わりに番組内容を記しておく。
坂元は、新海誠の大ファンと言っている。大好きだととにかく伝えたいという。対談場所はコミックス・ウェーブ・フィルムで、新海監督が坂元をスタジオ内を案内している。新海監督は、坂元との対談が実現して驚いている、実写とアニメは普段は交わりにくい領域なのでと語る。
自分の作業デスクで、『君の名は。』のVコンテを見せている新海監督。坂元さんは、新海監督は「脚本を書いている、テキストを作る人だというのは(作品から)薄々感じていた」という。確かに村上春樹などを愛読して、モノローグを多用するタイプの作り手である新海監督は、アニメ作家だけど「テキストの人」という感覚は確かにあると思う。
一方で、Vコンテが監督として一番大きな仕事だと紹介。ここでカットの尺も決める。
そこから、本格的な対談がスタート。坂元さんの弟が誠という名前で、新海監督と同じ年なので弟みたいな感覚があるという。
新海監督は92年ごろ、東京都庁ができたときに上京、未来的な建物ができたこと驚いていた頃、坂元さんは、都庁の隣のヒルトンホテルで缶詰めになった『二十歳の約束』の脚本を書いていたという。
坂元さんは『天気の子』が好きらしい。バニラのトラックが出てくることに驚いたそうだ。新宿をただ描くことはできるがバニラまで出せるのはすごいと。
新海監督は、当時の新宿を切り取ろうと思ったら外せないと思ったと語っている。
坂元さんは、新海監督は1作ごとに前の作品を書き直すかのように違うことをしながら、前進していると言っていた。新海監督も前作の反省を生かしてそれを繰り返すという。坂元さんは作り手の筆跡がきちんと刻印されていることはすごいことだという。
『秒速5センチメートル』のフッテージの話題になる。坂元さんは、新海監督がSFとリアルな地に足の着いた作品を交互につくっているのはなぜと問う。新海監督は、その頃は『秒速』のような作品をアニメでやるのは珍しかった。しかし、日常を描くアニメが増えてきたのと、坂元さんのドラマのような深いものを見ると、やはりアニメでしかできないことをやらないといけないという気持ちが出てきたという。坂元さんは、新海さんの中には『秒速』のようなものが心の中心にあるのではと尋ねる、新海監督は、苦しかった時期のことをアニメで描きたい気持ちがある。『花束みたいな恋をした』を見てノリノリで二人を別れさせていていいなと思ったという。
『君の名は。』のような大きな仕掛けのある物語の方がアニメは得意だろうと思って作ったという。当時は褒められもしたが批判もたくさん受けた、居酒屋で悪口が聞こえてくるとか。
坂元さんは、『君の名は。』には明らかに大きなジャンプがあるが最初からそういう決意だったのかと問うと新海監督は、あの時はできる気がした、順番が回ってきた感覚があったという。そして、その順番のバトンは誰かに渡した気がするとも語っていた。
新海監督は、あの作品は東日本大震災のことを考えて作った。そして、それは作品ごとに形を変えていき、『天気の子』で豪雨を描き、『すずめの戸締り』では直接311を描くことになった。311は、
坂元さんは、311の時、「それでも、生きていく」の執筆中で、影響を受けないように必死だったというが、今から思うとすごく311の影響を受けている作品だと語った。新海監督が、311は自分自身が書き換わったような体験だったと思うとという。
坂元さんは『天気の子』について、昨今は共感やヒューマニズムを描いて善なる行為を求めるものが多いが、『天気の子』は自己犠牲を否定して世界を壊す行為を描いているのがすごいという。
新海監督は、『君の名は。』が嫌いな人にもっと嫌われるようなものを作ろうとしたと語る。嫌うということは何か動かされたということだから、もっと動かさないといけないんじゃないかと。本当は自己犠牲を否定する少年に共感してもらいたくて作った、今ならもっと上手く描けたのではという思いがある、あるいは坂元さんが書けばもっといいものになる気がするという。
坂元さんは、人が見なくてもいいと思って書いているという。ただうまく作りたいという一心なのだと。自分が見たことや聞いた会話、その人々の葛藤をテキストで再現したいという欲があるのだという。
新海監督は最後に、「新海の作品はこうだよね」という風に観客に読まれちゃうのが怖いと語る。