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村上春樹原作のドラマ「地震のあとで」第1話「UFOが釧路に降りる」中身のない岡田将生の震災後の心の傷を埋める唐田えりかとの奇妙な旅


村上春樹原作、脚本が『ドライブ・マイ・カー』の大江崇允のドラマ『地震のあとで』の第一話「UFOが釧路に降りる」は、非常に奇妙な作品だ。白日夢を見ているような感覚に襲われる。

しかし、震災のような未曾有の災害の後、信じられないことの後の日常とは、そういう白日夢感覚があるものだと思う。

阪神大震災直後、ニュースにしか興味を示さない妻

第1話「UFOが釧路に降りる」は、阪神・淡路大震災の翌日という時代背景を持ちながらも、震災そのものを描くのではなく、“何かが揺らいだ後”の人間の心の空白と回復を静かに追っていく作品であった。

主人公・小村(岡田将生)は東京で働く平凡な男。彼の職場はオーディオショップで、仕事に情熱を持っているわけではなさそうで、同僚の佐々木(泉澤祐希)にはよくわからない人物のように扱われている。

物語は彼が地震のニュースを伝えるテレビの音声とともに目覚める場面から始まる。彼の妻・未名(橋本愛)は、テレビに釘付けで、一心不乱にニュースを見つめている。小村が語りかけても、まるで彼の存在がそこにないかのようだ。未名の視線は一貫してテレビの向こうの惨事にしか向いておらず、その異様さはどこか病的ですらある。

やがて未名は、理由を告げずに家を出ていく。「あなたはわたしにとって空気の塊のようだった」という一文を残して。突然の別れに、なぜ彼女が出て行ったのかもわからず、小村はただ呆然とするだけである。離婚届を持って現れた未名の叔父・神栖(吹越満)は「悪い夢でも見たと思ってください」と告げるが、小村にとってはそれすらも現実感の乏しい、虚無に包まれた時間であった。

釧路に届ける”箱”の中身は?

そんな折、小村は佐々木から頼まれて北海道・釧路に荷物を届けに行くことになる。彼が受け取ったのは、正方形の箱。ただそれだけでありながら、その“箱”が後に物語の大きな象徴となるのが面白い。

釧路では、佐々木の妹・ケイコ(北香那)とその友人・シマオ(唐田えりか)に出会う。どこか不思議な雰囲気を持つこの二人との交流が、小村の内面の旅の始まりとなる。シマオは何かを見透かすような言動を繰り返し、視聴者にとっても彼女の正体や目的は掴みきれないまま進んでいく。

物語の核心は、“喪失のあとに人は何を取り戻そうとするのか”という問いにある。小村にとって未名との生活は「自然なもの」であり、だからこそ、失ったときにはじめてその“中身”が空っぽだったのかもしれないと気づく。だが、その“空気の塊”とまで言われた自分自身を、小村は真に理解していただろうか。

釧路の荒涼とした平原、凍てついた湖、UFOの話にまで及ぶ奇妙な会話――それらの描写はすべて、現実と幻想、過去と現在、生と死の境界を曖昧にする。この作品において、震災はただの背景ではない。地殻の揺れがもたらした亀裂は、人の心の深部にも直結しているのだ。

あなたの「中身」は何?

最終盤、小村はシマオと一夜を共にするが、それすらも現実か幻かわからない。未名の言葉と震災のニュース音が脳裏に響き、肉体的な接触すら“確かな実感”には結びつかない。その夜、小村はようやく問いを口にする――「あの箱には何が入っていたんだ?」

シマオの答えは衝撃的である。「あなたの中身が入っていた。それを知らずに人に渡したから、もう戻ってこない」――自分の“中身”を失った男が、知らずに旅をしていたことの残酷な結末である。

だが、ラストで小村は少しだけ変わる。「ずいぶん遠くに来た気がする」と呟く彼に、シマオは「でも、まだ始まったばかり」と返す。何が始まったのだろうか。この“旅”は喪失の終わりではなく、再生の始まりなのかもしれない。

本作は、震災という現実の衝撃を背景に、“個の内面の揺らぎ”を描く静謐な心理劇であった。言葉にされない痛み、触れることのできない記憶、そして気づかぬうちに失われていた“自分”をめぐる旅。その静かな余韻は、視聴者の胸に長く残る。

 

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