ポン・ジュノ監督のハリウッド映画『ミッキー17』を観た。これまでのポン・ジュノ作品の中でも最も予算のかかった1本と思われる。ハリウッドでの仕事は、これまでにも何本かあるが、これが一番大規模か。
結論的には面白いし、平均的なハリウッド大作よりも全然良い。けれど、韓国で作っている作品の方がやっぱり面白いなとも思う。
人体を「プリントアウト」する近未来
主人公のミッキー(ロバート・パティンソン)は、違法な金貸しから金を借りて返せず命が危うくなったので、地球にはいられないと判断。なんでもいいから地球外での仕事を探して、契約書をよく読まずに「ひたすら死んでは生き返ることを繰り返す」過酷な
仕事にサインしてしまう。
宇宙探索には危険がつきものだ。ミッキーの仕事はリスクの高い仕事を請け負うというもの。彼は記憶も全身のデータもすべてスキャンされ記録されたので、何度でも複製体を作ることができるようになった。死んでもまた「プリントアウト」できるのだ。
政治競争に敗れたとある政治家(マーク・ラファロ)が、夢のプロジェクトとして宇宙開拓に乗り出していて、その船にミッキーは同行しているのだが、まあ扱いがひどい。とある惑星に着いて、謎の病原体がなどがないか、まず彼の身体で調査する、そして、免疫ができるまでミッキーは死を繰り返すのだ。
そんな中、ちょっとした手違いでミッキーが2人になってしまう。ルールでは、前のミッキーが死亡してから次のミッキーをプリントするのだが、死んだと思われていた17番目のミッキーが生きていた。その日から、奇妙な二重生活を始めることになる。
何度も死んではリセットして手軽に生き返れるという万能感を享受する物語だと感じられるかもしれないが、その全能感を利用するのは、権力者であってミッキーではないというのがポイントだ。ミッキーは「エクスペンダブル(消耗品)」と呼ばれているくらいだ。
ポン・ジュノらしいユーモア
ポン・ジュノ監督らしい、シニカルな笑いはわりとある。バンバン死にまくるミッキーに、政治家連中のグロテスクな感じ。トニ・コレット演じる政治家夫人は、夫を意のままに操りながら、妙にソースにこだわるなぞのグロテスクぶりを発揮する。
ミッキーは宇宙船内で恋人ができるのだが、2人に増えた後は、両方のミッキーを独占しようとして、欲深い。非常に滑稽な人間模様が限定された空間で描かれるのに対して、惑星の見た目はグロテスクな生物・クリーパーはわりといい奴だったりする。
実存をめぐる問いの曖昧さ
とはいえ、気になるのは2人に増えてしまったミッキーの、実存をめぐる問いがそんなに深堀されるわけでもないということ。そもそも、記憶と身体データをスキャンしてプリントするというアイディアに対して、「そうして生まれたミッキーはどこまでミッキーか?」という問いが当然あるはずだが、ミッキーも周囲もそんなにそこには突っ込まない。
しかし、2人に増えたらさすがにそういう問いかけが深くなっていくのでは、と思っていたけど、案外そこはそうでもないのである。2人のミッキーはどういうわけか結構性格がちがっていて、それは面白いのだけど、なんであそこまで性格が異なるのか。
最終的には、人体複製のシステムが破壊され、18番目のミッキーもいなくなった。彼の自己犠牲によって17番目のミッキーは唯一のミッキーとなり、フルネーム「ミッキー・バーンズ」を取り戻す。
とはいえ、外部要因として、人体複製のマシンが壊れたので、彼が本物のミッキーですということで納得していいのか、という疑問は残った。人の唯一性ってなんなのかという問いはあまり掘り下げられなかった印象だ。
マルチバース作品のような場合、個々の世界に生きる彼らは基本的に別人であり、それぞれの体験と記憶を別個に持っている。『ミッキー17』の場合は、同じ記憶を持つ存在だ。だとすれば、魂みたいなものはどこに行っているのか。その答えがない限り、人とモノの違いは明確ではなく、ミッキーもまた「消耗品」のままなのではないか。
そんな気もするわけだが、それこそがポン・ジュノが本作に仕掛けた最大の皮肉なのだろうか。