[PR]

『なんで私が神説教』第1話──ニート教師が現代の”叱れない社会”に喝!痛快で危うい学園ドラマが始動


日本テレビ系新ドラマ『なんで私が神説教』の第1話は、”ニートが高校教師になる”という異色の設定で驚きを与える内容だった。

主人公は、広瀬アリス演じる麗美静。2年間のニート生活を経て、興味もないまま高校教師に就任するという、無理筋な社会復帰を強いられる。静は、自分の思いを言葉にするのが苦手な人物だ。そんな静に待ち受けていたのは、クセの強い教師陣と、イマドキの生徒たち。心を閉ざし、深く関わる気もない静だったが、”いじめ”という現実に直面し、思わず本音を爆発させてしまう。

静が生徒に対して初日から放った「黙れガキ」という一喝だ。しかもこの言葉が、動画に撮られ拡散されそうになる現代ならではのトラブルに発展していく。静は「教師に向いていない」と自己否定に陥りながらも、校長(木村佳乃)に叱ることの意義を諭される。そして迎えたクライマックス、静は再び怒りを露わにし、「いじめとイジリは相手の受け止め方ひとつで紙一重だ」と核心を突く説教をぶつけた。

この静の説教シーンは、時代の空気を強烈に突き破る。「パワハラ」「モラハラ」と言葉に縛られ、若者に叱ることすらためらう大人たちが増える中で、あえて空気を読まず、真正面から問題にぶつかる静。それは使命感とかでは全くなく、ただたんに切れて面倒くさくなっただけのようだが。

物語を熱く支えたのが渡辺翔太演じる浦見光のキャラクターだ。静とは対照的に、天然で憎めない熱血教師の浦見は、どこかズレていながらも真剣に生徒に向き合おうとする。静の不器用な戦いに、無邪気に肩入れし、さりげなく背中を押す浦見の存在が、作品に温かみとユーモアを加えている。渡辺の親しみやすさとエネルギーが、硬直しがちな学園ドラマに新風を吹き込んだと言っていい。

『なんで私が神説教』第1話は、ニート教師という極端なキャラクター設定を持ちながらも、現代の社会問題――「叱れない大人たち」「空気を読むことが正義になった集団心理」――に真っ向から挑んでいる。静の怒りは単なる破壊ではない。生徒たちに、自分の気持ちを正直に伝える大切さを教え、何よりも大人自身に「本気で向き合う覚悟」を問いかけるものだった。

少子化で高校側が定員を確保するのが大変になっていることで、生徒に厳しくしないで、問題を起こさない方向に舵を切られかけている学校において、どうせクビになってもニートに戻るだけという、失うものがない静の存在は、偶然にも良いアクセントになっている第一話だった。

『なんで私が神説教』はかなり一風変わった学園ドラマになりそうだ。やる気のないニート教師が自暴自棄になって説教をかます。それが意外と心理を突いている。痛快と同時に危うくもある内容だった。