カンヌ国際映画祭でパルムドール、アカデミー作品賞も受賞したショーン・ベイカー監督の『アノーラ』は、ベイカー監督のベストではないと思うが、見ごたえのある作品ではあった。作りがものすごくインデペンデント映画って感じの作品がオスカーを受賞するということに時代が変わったなと思う。
出てくる場所は最小限で、登場キャストも多くない。基本的にはたぶんカメラも一台でいってるのではないか。長回しと手持ちカメラで空気感を切り取るスタイルで、荒々しさと瑞々しさにあふれた作品だった。
物語は、ストリップ劇場で働くアノーラことアニーが、ロシアの富豪の息子イヴァンと出会い、買われ、一緒に時間をすごすうちに結婚を申し込まれるところから本格的に始まるといっていい。ここまでに至るまで30分くらいあるのだけど、この第一部のパートは軽薄さを交えた多幸感に溢れている。
しかし息子が娼婦と結婚したことに激怒した両親は、2人を別れさせようとする。部下をイヴァンとアノーラが住む家に送り込んでむりやし引き離そうとするが、イヴァンは逃走。一人残されたアノーラは男たちに何が起きているのか説明しろと激昂する。男たちもイヴァンに逃げられたことが両親にばれると怒りを買うので、アノーラと協力してイヴァンを探し出すことに。奇妙な3人の協働意識が働きながらニューヨークの街中を探し回ることになる。
このイヴァン探しのパートがとても滑稽にできていて可笑しいやら哀しいやな不思議な気分になってくる。絵に描いたようなボンボンのわがまま息子のイヴァンは、金を持ってる以外に取柄がなさそうだが、金こそはアノーラが持ち合わせていないものでもある。しかし、階級を重んじるイヴァンの両親を目の当たりにしてアノーラは住む世界の違いや考えの違いを思い知らされる。人間とはかくも経済格差によって考えが異なるものなのかと、観客もまた思い知ることになる。
アノーラはイヴァンを捕まえに来た男のうちの2人、労働者階級のイゴールと反発しつつもシンパシーを覚えていく。ここには労働者同士の連帯がある。セックスワーカーとは労働者であるという視点がショーン・ベイカー作品には常にある。
イヴァンは娼婦であるアノーラに見たのは幻想というか、聖なる娼婦よろしく癒しの時間であっただろう。彼はアノーラに金で解決できるものは何でも与えはするが、その関係に心からの愛はあったか。逃げ惑うイヴァンが最後に駆け込む場所がアノーラが働いていたストリッククラブであるというのは、逃げ込む場所としての娼婦というアイデアはこの男にはある。
ショーン・ベイカーの作品には性産業従事者がよく出てくる。彼の主要なモチーフと言っていい。過去作では『タンジェリン』と『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』がおすすめだ。個人的には『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』が最高傑作だと思っている。
色眼鏡のないまなざしで経済的に苦しい人々の生活を見つめるショーン・ベイカーの作品は、社会問題を取り上げた「偉そうな」作品とは一線を画す。むしろ、そういう意識の高さから離れた視点で人を見つめることができる作家だと思う。
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