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【しあわせは食べて寝て待て】最終話感想:人生の本質と「小さな幸福」が心を震わせた理由


本当に素晴らしい作品だった。心底感動できた。このドラマが描いたのは、決して華やかではないが、確実に存在する日常の中の小さな幸福で。最終話を迎え、主人公・麦巻さとこ(桜井ユキ)の成長と変化を通して、僕は生きることの本質的な意味について深く考えさせられた。

最終話の物語の核心にあるのは、高齢化社会という避けては通れない現実だ。団地に暮らす70歳を超える女性は、年金だけでは生活費が足りないため働く場所を探すが見つけられずにいる姿は、まさに現代社会の縮図だ。さとこがその姿に自分の未来を重ね合わせる場面は、視聴者の心にも鋭く突き刺さる。

「働きたくても働けないもどかしさ」を描きながらも、このドラマは絶望に陥ることはない。さとこが「働ける場所が見つからないなら、働ける場所を作ればいい」と発想を転換する瞬間は、物語を通してさとこが成長した証だ。

人と人とのつながりが生む力

青葉乙女(田畑智子)との会話を通じて、さとこの影響が他者に波及していく様子が描かれる。うずらさんが取材を受けるようになったのも、青葉の食べ物選びが変わったのも、すべてはさとことの何気ない交流から始まっている。これは、一人ひとりの小さな行動が、やがて大きな変化を生み出すことを示唆している。

さとこは、団地の共有スペースをレンタルスペースとして貸しだすアイデアを思いつく。しかし、実現のためにはお金が必要で、一度は諦めかけたが、唐圭一郎(福士誠治)が地域の補助金が使えるかもしれないと提案して、再び企画が動き出す。会社の人も手伝ってくれて、自分ひとりでは実現不可能なことを他者の力を借りて進んでいけるようになっていくさとこ。

自分を大切にすることの意味

最も印象的なのは、さとこの内面的な変化である。体調不良に悩み、将来への不安を抱えながらも、彼女は重要な気づきを得る。友人からの愚痴を聞く依頼を断ったことを「冷たくなった」のではなく「自分を大切にできるようになった」と捉え直す場面は、自己肯定感の回復を象徴的に表現している。

「やれるだけやった、そう思うことにした」という言葉は、完璧を求めるのではなく、自分なりの最善を尽くすことの価値を教えてくれる。誰かと比較するのではなく自分にできる最善を尽くすこと。他人と比べてもきりがないのだ、人生というのは。

贖罪と赦しの物語

一方、羽白司(宮沢氷魚)のエピソードは、過去の罪悪感からの解放を描く。徘徊するようになった祖父を見て、いなくなってしまえばいいのにと思ってしまった過去を悔やんでいる司は、山で認知症の老人と出会う。どうやら施設から抜け出してきてしまったようだが、その老人に自分の過去を話したら、突然「一郎、おまえは悪くない」という言葉をかけられる。老人は司を誰か別の人と勘違いしているのであろうが、司にとってその言葉はある種の救いとして機能するのだ。ここはとてもいい場面だ。偶然の出会いと言葉に救われることがある。人生の救いはどこで訪れるかわからない。

日常に潜む幸福への賛歌

このドラマの真骨頂は、特別な出来事ではなく、日常の中にある小さな幸福を丁寧に描き出すことにある。目白弓(中山ひなの)からのゼリー、薬膳料理を作る時間、団地の人々との何気ない会話。これらすべてが、生きることの喜びを構成する要素として描かれている。

最終場面で司が帰ってきたとき、美山とさとこが満面の笑顔で「おかえり」と言う瞬間は、このコミュニティの暖かさが詰まっていた。この温かな光景こそが、このドラマが伝えたかった「しあわせ」の本質なのだろう。

『しあわせは食べて寝て待て』は、現代社会の様々な問題を扱いながらも、決して重苦しくならない絶妙なバランス感覚を持った作品だった。桜井ユキをはじめとする出演者たちの自然な演技、丁寧な脚本に確かな演出。何事も事々しくは怒らないが、じんわり確実に心に感動が広がっていく。

幸福は「食べて寝て待つ」ことでやってくる。急いでつかみにいかなくてもいいんだと言ってくれるこの作品は、派手さはないが多くの人に救いを与えられる力強い作品であると思う。

しあわせは食べて寝て待て 1 (A.L.C. DX)

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水凪トリ
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登場人物
麦巻さとこ(桜井ユキ)
羽白司(宮沢氷魚)
美山鈴(加賀まりこ)
唐圭一郎(福士誠治)
青葉乙女(田畑智子)
マシコヒロキ(中山雄斗)
巴沢(ともえざわ) 千春(奥山 葵)
反橋りく(北乃きい)
八つ頭仁志(西山潤)
高麗なつき(土居志央梨)
目白弓(中山ひなの)
麦巻惠子(朝加真由美)