1975年の公開以来、ハリウッドのサマーブロックバスターの礎を築いたスティーブン・スピルバーグ監督の傑作『ジョーズ』。その撮影現場は、監督自身が「悪夢のようだった」と振り返るほど困難を極めていたことが明らかになった。ナショナルジオグラフィックのドキュメンタリー「Jaws @ 50」の世界初公開に際し、スピルバーグ監督がマーサズ・ヴィニヤードの観客に向けたビデオメッセージで、当時の心境を語った。
50年前の悪夢:マーサズ・ヴィニヤードでの苦闘
当時27歳だったスピルバーグ監督は、リアルな海のシーンを追求するため、マーサズ・ヴィニヤードをロケ地に選定。しかし、撮影に投入された機械仕掛けのサメは「これまで仕事をしたどの映画スターよりも気まぐれだった」と監督は語る。1974年夏のマーサズ・ヴィニヤードは、本来なら夢のような場所であるはずが、予算とスケジュールの大幅な超過、そして監督自身の経験不足により、「悪夢」と化したという。
「予算もスケジュールも大幅に超過し、私自身も手に負えない状況だった1974年の夏は、それが生涯の夢となる前に悪夢でした」とスピルバーグ監督は述べている。ピーター・ベンチリーの原作小説の映画化は、予想以上に過酷な環境での撮影を強いられた。
監督のキャリアをかけたサメとの闘い
当初55日間の予定だった撮影期間は159日間に、そして予算は当初の300万ドルから900万ドルへと3倍に膨れ上がった。スピルバーグ監督は、この困難な状況下で「『ジョーズ』が、私が今後監督する機会を与えられる最後の映画になるだろうと本気で信じていた」と告白している。ローラン・ブーズローが監督を務めるドキュメンタリー「Jaws @ 50」は、撮影チームがいかに若く、大西洋での撮影や気まぐれなメカニカルシャークの扱いに不慣れであったかを詳細に描いているとのことだ。
全世界を震わせたヒットがもたらした「救命浮輪」
しかし、結果的にこの悪夢のような撮影は、全世界の観客を震え上がらせる大ヒットへと繋がった。1975年の劇場公開後、観客が示した熱狂的な反応は、スピルバーグ監督にとって「救命浮輪」となり、彼のハリウッドでのキャリアを救ったと監督は語る。ジョン・ウィリアムズによる象徴的な2音のモチーフで構成されたサウンドトラックも、見えない捕食者への根源的な恐怖を煽り、作品の成功に大きく貢献した。
スピルバーグ監督は、「公開から50年経った今でも、『ジョーズ』の製作は私たち全員にとって極めて重要な経験であり、50年という歳月は、私のキャリアの中で最も圧倒的で、刺激的で、恐ろしく、そしてやりがいのある経験の一つであったという記憶を少しも薄れさせていない」と強調した。
「Jaws @ 50」は、スピルバーグ監督のアンブリン・ドキュメンタリーとネッドランド・メディアが製作を手掛けており、7月10日にナショナルジオグラフィックで公開され、翌日にはDisney+とHuluで配信開始される予定だ。
ソース: Steven Spielberg Thought ‘Jaws’ “Would Be the Last Movie I Would Ever Be Given to Direct”