映画界の巨匠、ジャン=リュック・ゴダール監督の遺作『シナリオ』が9月5日より公開予定、それに先立ち、「感情、表徴、情念 ゴダールの『イメージの本』について」展が、新宿王城ビルにて開催されている。
これに合わせて7月5に『シナリオ』の先行上映とトークイベントが開催。映画監督の黒沢清氏と、ゴダール監督の長年の協力者であるファブリス・アラーニョ氏が登壇した。ゴダール監督の晩年の制作手法や、人間性、そして作品に込められた個人的なメッセージが明かされ、会場に集まった観客に深い感銘を与えた。
目次
黒沢清はゴダールに会いたかったが「怒られたらどうしよう」と恐れていた
トークイベント冒頭、黒沢清監督は、かつて一度は会ってみたかったものの、「気難しい人」という噂から会うのを躊躇していたと告白。会って「いきなり怒られたらどうしよう」という恐れを抱き、「伝説の人」として自身の心の中にイメージを留めていたという。しかし、今回ファブリス・アラーニョ氏との対面を通じて、「ようやく生のゴダールに出会えたような、不思議な幸福な感じに包まれて」いると語った。
一方、アラーニョ氏もゴダール監督との初対面(2002年)では、「難しい人である」という前評判と「物知り」であることから、「相当ビビっていた」と明かした。当時の大学の教師たちもゴダールを「とにかく厄介な人」と評していたという。しかし、実際に会ってみると、ゴダールはアラーニョ氏に自身のファースト・ネームである「ジャン=リュック」を名乗り、その後の20年間、アラーニョ氏はゴダールではなく「ジャン=リュック」として彼と付き合ったと語っている。アラーニョ氏は、伝説のゴダールではなく、生身の「ジャン=リュック」であれば、「ビビる必要はない」と述べている。
最終作品が示す強烈な自己宣言とアナログな創作姿勢
黒沢監督は、今回上映されたゴダール監督の最後の作品(亡くなる前日の自身の姿で幕を閉じる)に衝撃を受けたという。わずか20分程度の映像の中に「世界の全ての事柄と、全ての歴史と、全ての映画をとにかく詰め込もうとする、ものすごい欲望」を感じた上で、最後に「この映画の主演は自分である」と強烈に印象付けて終わる点に深い感銘を受けたと語る。ゴダール作品には、自分以外の主人公が登場する場合と、監督自身が完全に主演となる場合の両方があるが、この最後の作品は、監督自らが「あなたが見た映画はつまり私なのだ」と高らかに宣言していると黒沢監督は感じたという。
また、黒沢監督が驚いたのは、ゴダール監督が作中で自身の作品を説明する際に、紙と鉛筆、コラージュなど、極めてアナログな手法を用いていたことだ。近年はデジタル編集機を駆使しているものと思っていた黒沢監督にとって、そのアナログなアプローチは意外だったという。アラーニョ氏によると、ゴダール監督がデジタル編集機を操作したのは2008年の作品「ゴダール・ソシアリスム」の際の一度きりのレッスンが「最初で最後」であり、それ以降のパソコン操作は全てアラーニョ氏が担当したという。しかし、ゴダール監督はスマートフォンやiPhoneの操作のコツはすぐに覚え、映像への書き込みや送信を瞬時に理解したというエピソードも披露された。
ゴダール監督は、作品中の映像断片について、DVDやVHSで鑑賞し、DVカムやベータカムを使って自身で映像をいじっていた。元の映像品質が悪い場合は、色彩を操作して改善していたという。ビデオ編集では、「黒」「明るさ」「色」の3つの要素を操作し、まるで子供がお絵描きするように「遊んでいた」とアラーニョ氏は述懐。
特に「イメージの本」という作品では、ゴダール監督自身がビデオでいじった映像が「とんでもなく素晴らしかった」ため、デジタルでの改善を試みたところむしろ劣化してしまい、そのまま使用することにしたという。
ゴダールの光の哲学
ゴダール監督の映像制作における「光」の捉え方についても議論が及んだ。黒沢監督は、ゴダール監督が1980年代に「自然光」での撮影に強く執着し、その映像は「世界の映画の中で最も美しい」と形容した。アラーニョ氏は、ゴダール監督の光に対する考え方自体は変わらず、「さらに自由になった」と説明。ビデオを使うことで結果がすぐに分かり、カメラの感度も高いため、見たものから考え方を瞬時に変えることができたという。
特に「さらば、愛の言葉よ」での撮影エピソードでは、居間での撮影において、一つのスポットライトだけを使って強いコントラストの絵を撮った後、カメラを180度転換させても光の位置は変えないことで、柔らかい雰囲気から一転して「アウシュビッツのガスオーブン」のような陰鬱な雰囲気を生み出す手法を披露し、ゴダール監督がそれを「これはこれでいい」と淡々と受け入れていたことを明かした。
黒沢監督はその映像を、愛のシーンなのに「冷たい感じ」や「血が通ってないような感じ」がすると評し、80年代のゴダールを想起させる印象的な映像だったと述べている。アラーニョ氏は、ゴダール監督が「目の前にある現実を信頼して撮影している」ことに変わりはないと強調した。また、ゴダール監督が新たなハイビジョンカメラを試した際、アラーニョ氏が「使い物にならない」と感じたカメラの「高品質」ではなく、あえてその「欠点」に「良さ」を見出す特異な視点を持っていたことも語られた。
さらに、ゴダール作品に多用されるハリウッド映画などの断片映像について、黒沢監督は、深刻な社会情勢や戦争といった重たいテーマが流れる中にこれらの映像が挿入されると、シネフィルとしては「つい楽しくなってしまう」と述べた。これに対しアラーニョ氏は、ゴダール監督が「映画を通して私たちが生きてる現実を見せたい」と考えていたと解説。かつて彼の2本目の作品「小さな兵隊」で戦争を描いた際に全く受け入れられなかった経験と、アメリカ映画が戦争を「美しく見せる」ことへの批判として、あえて戦争を映像断片によって提示していたのではと語る。
最期まで作品に込められた個人的な事柄
トークでは、ゴダール監督の作品に隠された個人的なメッセージも明かされた。遺作「シナリオ」に登場する、拳銃を何発撃たれてもなかなか死なず、最後に相打ちになる人物の場面について、黒沢監督は「ゴダールの生き方そのもの」に見えると感想を述べた。アラーニョ氏はこの場面がゴダール監督の初期の作品「はなればなれに」の一場面であり、アンナ・カリーナが演じた「オディール」はゴダール監督の母親の名前でもあると説明した。
この引用はゴダール監督の死の前日に彼自身が使用を指示したものであり、死への抵抗や、南米の作家ボルヘスの引用、そしてネイティブアメリカンの伝説にある、自身が空を飛び回っていた大きな鳥から「手のひらに乗るくらい小さな鳥」になるというイメージは、全て彼自身の死と母親への思いが込められていると語られた。
さらに、ゴダール監督の母親が原付事故で亡くなった際、彼がパリにいて死に目に会えなかったという事実が、ロッセリーニの「無防備都市」における母親の死の場面の使用に繋がっている可能性をファブリス氏は指摘した。
ゴダール作品を「解体」し「旅する」体験としての展覧会
現在新宿で開催中の展覧会は、ファブリス・アラーニョ氏がキュレーションを担当している。この展覧会は2020年にフランスで初開催されたものだが、その際、ゴダール監督からは展覧会のタイトルにスイスのレジスタンスの名前を入れること以外、何も指示がなかったという。
アラーニョ氏は、開催3日前にゴダール監督に展覧会を見せた時の心境を「非常に怖かった」と振り返った。20年間共に仕事をしてきたにもかかわらず緊張したという。「イメージの本」という作品を「解体して、それを空間に置き直す」という概念で企画されたこの展示に対し、ゴダール監督は「非常にびっくりして、また感動に打たれたような感じ」だったとアラーニョ氏は語る。
展覧会を鑑賞した黒沢監督も「ゴダールがこの中で生きてるのかな」と感じ、「ゴダールに包まれる」ような感覚を覚えたと述べている。新宿の古い喫茶店跡地を利用した4階建てのビル全体が「まさにゴダールだった」という表現で、その没入感を伝えた。ゴダール監督のレマン湖の自宅にある椅子やランプシェードを再現した展示もあり、ファンならずとも訪れるべき「独特な体験」であるとアラーニョ氏は強調し、「ゴダールに出会えるだけでなく、ご自身に出会える」展覧会であると結んだ。
孤高の巨匠は「共に創り続けた」存在であった
最後に、黒沢監督はゴダール監督に対する「唯一無二の孤高の映画監督」というイメージが強い一方で、実際には初期のヌーベルヴァーグの仲間たちやアンナ・カリーナ、撮影のラウール・クタール、さらにはアンヌ=マリー・ミエヴィルといったパートナーと「共同制作」を続けてきた人物であると指摘した。そして、ゴダール監督の晩年の20年間は、ファブリス・アラーニョ氏やジャン=ポール・バタジア氏などが「仲間として、共同監督として」彼を支え、共に作品を創り続けたと強調し、「みんなとずっと作り続けたというのがこの人生だったんだな」と強く感じると語った。
アラーニョ氏も「確かに小さなチームではあったが、チームワークがあった」とこれを肯定。ただし、ゴダール監督自身とは頻繁に会っていても、編集室には「一人で夜間閉じこもって作業していた」という側面も付け加えた。
このトークイベントは、ゴダール監督の多面的な姿と、彼の作品に深く刻まれた個人の歴史や感情を紐解く貴重な機会となった。
作品概要
監督・脚本・編集:ジャン=リュック・ゴダール
撮影:ファブリス・アラーニョ
製作主任:ジャン=ポール・バタジア
製作助手:オーレリアン・プティ リゾン・ドゥート
『シナリオ:予告篇の構想』(原題:Exposé du film annonce du film “Scénario”)
監督・脚本・編集:ジャン=リュック・ゴダール
共同執筆:ジャン=ポール・バタジア ファブリス・アラーニョ
助言:ニコル・ブルネーズ
撮影:ファブリス・アラーニョ
製作主任:ジャン=ポール・バタジア
製作助手:オーレリアン・プティ リゾン・ドゥート
プロデューサー:ミトラ・ファラハニ ファブリス・ピュショー 川村岬
アソシエイト・プロデューサー:槻舘南菜子
製作: Écran noir productions Arte France ねこじゃらし/Roadstead
配給:ねこじゃらし
54 分|カラー|フランス語|日本語字幕(英語字幕なし)|2024 年|フランス/日本|ねこじゃらし
映画『シナリオ』公式 X:https://x.com/jlg_scenarios/
<Introduction>
「そのふたつのシナリオを完成させて、自分の映画人生、映画監督人生を終わりにする。そして映画に別
れを告げる」(2021 年 3 月「ケララ国際映画祭」ビデオインタビューより)。
2022 年 9 月、ジャン=リュック・ゴダール監督は居住していたスイスで安楽死によって亡くなった。
本作は、その前日に撮影された彼の本当の遺作である。コラージュ技法による 18 分の本編『シナリオ』
(原題:Scénarios)と、ゴダール自身が制作ビジョンを語るドキュメンタリー映像『シナリオ:予告篇の
構想』(原題:Exposé du film annonce du film “Scénario”)の二部で一つの作品として構成されてい
る。時代を超えた美学と革新的な映像表現を追求し続けた巨匠が、映画と私たちに贈る最後のメッセージ
とは。
展覧会概要
展覧会名:ジャン=リュック・ゴダール《感情、表徴、情念 ゴダールの『イメージの本』について》展
会期:2025年7月4日(金)~8月31日(日)
会場:王城ビル(東京都新宿区歌舞伎町1-13-2)
チケット:一般2,200円(税込)※6月より販売開始予定
公式サイト:https://godardtokyo.com/