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排外主義では日本を豊かにできない。映画『ファミリア』『東京サラダボウル』に描かれた移民社会ニッポンの今


「他人事」ではない。データと物語で見る「移民社会ニッポン」の今と、私たちが選ぶべき未来

かつて、多くの日本人が自国を「単一民族国家」だと信じて疑わなかった時代があった。しかし、その認識はもはや、ノスタルジックな幻想に過ぎない。私たちが暮らすこの社会は、すでに多様な国々にルーツを持つ人々によって構成される「移民社会」へと静かに、しかし確実に姿を変えているのである。

その現実は、映画やテレビドラマにも反映されている。例えば在日ブラジル人のリアルを描いた映画『ファミリア』や、多様な人々が交差する新宿を舞台にしたドラマ『東京サラダボウル』のレビューでも繰り返し触れてきたように、文化の混じり合いはすでに日本のエンターテイメントが切り取るべき「現実」となっている。

しかし、この変化に目を向けず、あるいは意図的に無視し、「外国人」という記号で彼らを一括りにして排除しようとする排外主義的な言説が、残念ながら後を絶たない。それはあまりに現実を見ていない、ナンセンスな主張だ。本稿では、客観的なデータと、これまでの記事で描かれてきた「物語」の両面から、なぜ今私たちが排外主義と決別し、共生の道を選ばなければならないのかを、改めて論じるものである。

データが示す、もはや後戻りできない現実

出入国在留管理庁の発表によれば、2024年末時点での在留外国人数は約377万人と過去最高を更新し続けている。これは、もはや「一部の特殊な存在」では片付けられない規模だ。

労働市場に目を向ければ、その存在感はさらに決定的となる。厚生労働省の統計では、2024年10月末時点の外国人労働者数は約230万人に達し、こちらも過去最多である。特に「医療・福祉」分野での伸びが著しく、介護業界の人手不足を支える重要な担い手となっている現実は、ドラマ『東京サラダボウル』第5話のレビューで指摘したが、建設、製造、農業、飲食…私たちの生活を支える多くの産業が、彼らなしでは立ち行かなくなっている。

国際的に見ても、日本はすでに「移民受け入れ大国」の仲間入りをしている。OECDの2019年のデータでは、日本の労働移民の年間受け入れ規模は世界第4位であった。私たちは、自分たちが思っている以上に、世界から多くの人々を受け入れているのだ。

一方で、技能実習制度が抱える人権侵害、低賃金、長時間労働といった深刻な問題は、彼らを「安価な労働力」としてしか見てこなかった日本社会の歪みを象徴している。制度が「育成就労制度」へと変わろうとしているが、単なる看板の付け替えで終わらせず、彼らを共に社会を築くパートナーとして尊重する意識の転換が不可欠である。

 

フィクションが映す、血の通った「個」の物語

データは社会の骨格を示すが、そこに血肉を与えるのは一人ひとりの物語だ。

映画『ファミリア』が描いたのは、リーマンショックのような経済の波に翻弄されながらも、日本に根を張って生きようとする在日ブラジル人の姿であった。劇中で俳優たちが語ったように、「『ガイジン』と日本人から言われるのは嫌だ」という言葉の裏には、仲間内で使うスラングとは全く違う、鋭い痛みが伴う。それは、この社会で常に「外の人」として扱われてきた彼らの歴史そのものである。

ドラマ『東京サラダボウル』は、さらに多様な現実を私たちに見せてくれた。

  • 言葉の壁や文化の違いが生む「誤訳」が、いかに簡単に人を追い詰めるか(第2話)。
  • フランスのパンとベトナムの具材が融合した「バインミー」のように、文化の混交が新しい豊かさを生み出すこと(第3話)。
  • 「不法滞在」という言葉の裏に、母国で子供を誘拐され、帰るに帰れなくなった個人のっぴきならない事情が存在すること(第4話)。
  • 「外国人を働かせてやってるんじゃない、働いてもらっているんです」という介護現場からの叫び(第5話)。
  • そして、近年急増した人々だけでなく、古くからこの日本社会を構成してきた在日韓国・朝鮮人の存在(第6話)。

これらの物語は、私たちが「外国人」という大きな主語で語りがちな人々が、それぞれに固有の人生、喜び、そして痛みを抱えた「個人」であることを教える。彼らは「労働力」である前に、私たちと同じように悩み、笑い、家族を愛する「生活者」なのである。

 

なぜ排外主義は、社会を衰退させるのか

これらのデータと物語が示す現実を前にした時、排外主義がいかに非論理的で、かつ有害であるかは火を見るより明らかだ。

「移民が増えれば治安が悪くなる」といったステレオタイプな主張は、多くの場合、偏見に基づいている。ドラマ『東京サラダボウル』が描き続けたように、問題の本質は国籍ではなく、貧困や孤立、社会からの排除にある。むしろ、彼らを社会の一員として包摂し、安定した生活基盤を提供することこそが、最も有効な治安対策と言えるだろう。

経済的な観点から見ても、排外主義は日本の首を絞めるだけの愚策である。深刻な人口減少と少子高齢化に直面する日本が、社会の活力を維持し、経済を回していくためには、海外からの人材はもはや「選択肢」ではなく「生命線」だ。彼らを排除することは、自らの未来を捨てることに等しい。

何よりも、排外主義は私たちの社会から豊かさを奪う。異なる文化、価値観、言語が混じり合うことで生まれる新しい発想やエネルギーこそが、社会を前進させる原動力となる。『東京サラダボウル』というタイトルが象徴するように、多様な具材がそれぞれの味を保ちながら一つの器に盛られることで、より美味しく、豊かな味わいが生まれるのだ。

 

「共生」という名の、希望ある未来へ

もちろん、多文化共生社会への道は平坦ではない。文化的な摩擦や言語の壁、制度の不備など、乗り越えるべき課題は山積している。

しかし、目を閉ざし、扉を閉ざすことは解決にはならない。それは、緩やかな衰退への道である。私たちが選ぶべきは、困難を直視し、対話を重ね、試行錯誤しながらでも、共に生きる道を探ることだ。

それは、映画『ファミリア』で描かれたように、国籍の違いを超えて助け合う気持ちを分かち合うことであり、ドラマ『東京サラダボウル』の主人公・鴻田麻里のように、こぼれ落ちてしまう人々を一人でも救おうと手を差し伸べることである。

この記事を読んでいるあなたも、筆者も、この「移民社会ニッポン」を構成する当事者だ。「自分には関係ない」などということはありえない。隣にいる、自分とは違うルーツを持つ人に関心を持つこと。彼らの言葉に耳を傾けること。その小さな一歩の積み重ねこそが、排外主義というナンセンスな空気を変え、この国を真に豊かで、希望ある社会へと変えていくのだと思う。

こちらの橋本直子さんの投稿が非常に参考になる。客観的なデータを是非参考にしてほしい。不安に煽られるよりも、冷静に社会を見つめる目線が世の中を良くしていくものだ。