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【ネタバレ考察】『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』の5つの賛否両論ポイントを擁護してみる


投票で決まった『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』のレビューをやっていきましょう!

 

 

個人的にお気に入り度:7/10

映画.com:3.3/5 Filmarks:3.8/5

IMDb:7.5/10、Rotten tomatoes:87%

興味深いのは、上のレビューサービスの数字を見てもわかる通り、日本での評価が賛否両論の一方で、アメリカ本国では好評寄りだということ(その理由の推測は後述します)。

 

※『ファンタスティック・フォー』の以前の映画については以下の記事の項目5でも書きました。

 

日本では自分も含めて「良いじゃん!」派もけっこう多い一方で、「虚無」「薄っぺら」という激烈な酷評も見かけるのも事実。自分も2回目を見てきて、冷静になって「厳しい意見もわかるけど、やっぱり面白いし、擁護したいところもあるよ!」な気持ちになりました。

何より、「犠牲」をめぐる物語として(後述する通り若干の欺瞞を感じる部分もなくはないけど)、よくできていると思ったのです。否定的な意見を擁護するため、あるいは「確かにそうだ」と認めざるを得ないことにも触れつつ、今回はもうネタバレ全開で記していきましょう。

 

※以下、『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』の本編を含むネタバレに触れています。

 

 

 

 

 

 

物語の始まりが「妊娠」なことからつまずいている?

まず、この『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』支持派でも「あれ?」と思ったのは、「スーの妊娠がわかった」という場面から物語が始まっていることです。

本作は他のマーベル・シネマティック・ユニバースとの物語のつながりが少なく、一見さんが入りやすい作りなのですが、肝心のこの始まり方は「テレビドラマを続きからいきなり見たような」印象を抱いてしまうんですよね。たとえば、カッコいいヒーロー活動を初めにバシッと提示してから、スーの体調が悪そう→そうか妊娠していたんだ!という流れを踏んだほうが良かったかもしれません。

ただ、今回の物語の主軸となるのは、「ヒーローチームに子どもができた」「その子どもを犠牲にさせない」ことであり、その「起点」となる妊娠の判明を初めに置くというのも、作り手の心情としてはわかる気がするんですよね。上の記事でも書きましたが、2007年の映画『ファンタスティック・フォー:銀河の危機』を見ていると、そちらでは結婚直前だった2人に子どもができたことで、キャラの関係性が「先に進んだ」ような感慨深さもありますよ。

 

敵キャラのモールマンの活躍がおいしくないかも

ファンタスティック・フォーのこれまでの活躍をテレビでサラッと短く提示すること自体は良いと思ったんですが……物語の後半で重要になってくるはずの敵キャラ「モールマン」もそのダイジェスト的なまとめの一部になってしまっているので、まったくと言っていいほどに思い入れができないのが厳しいと思ったり。

そのモールマンを演じたのは『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』や『クルエラ』でも印象深かったポール・ウォルター・ハウザーで、さすがの存在感だっただけに、ニューヨークの住民たちを地下に避難させたくらいの活躍に止まっているのがもったいなかったなあと。原作コミックでモールマンのことを知っていれば、彼の行動と立ち位置そのものに感慨深くなることもあるでしょうけど……。

 

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前述した妊娠のこともそうですが、この『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』は一見さんにも入りやすい内容に思える一方で、キャラの掘り下げはやや浅めで、これまでの『ファンタスティック・フォー』の作品群で描かれたキャラや物語の印象に頼りすぎている印象もあるかなと。そこが原作コミックを知っている人が多い本国アメリカと、原作を読んでいない人が大多数な日本との評価が大きく異なる理由の1つなのかもしれません。

 

宇宙船に出産のシステムがなく、計画性のなさが際立ってしまっているかも

複数見かけた指摘で、個人的にも本作のテーマとも齟齬がある、なるほど擁護はしにくいと思ったところは、スーの出産を想定したシステムが宇宙船の中になかったこと。

妊婦でも世界を救うために宇宙へのミッションに向かうこと自体は先進的でいいと思ったのですが、その後は逃げまどうアクションサスペンス中に産気づいて、その後すぐに出産するという、どちらかといえば悪い意味で危うい感じになっているんですよね(あと、出発時に凄まじい「G」がかかる問題にも触れて欲しかった)。

スーが「予定と違う」と言ってたように、出産予定日よりもかなり早まっていたのでしょうが、それでも宇宙船の旅は1ヶ月もあったのだから、その最中でも出産も想定してほしいんですよ。あれだけ我が家ではベビーベッドなどを用意していたんですから。

それに付随して、主人公であるリード、引いてはチームが「最悪の事態も想定して」「それでも最善のプランを見つけていく」というのが今回の物語の主軸になるはずなのに、肝心なところで計画性に欠けているという齟齬を生んでいると思うのですよ。ここはもう、リードが病的なまでに出産に過剰に配慮しまくることを、コメディ的に描いても良かったと思います。

その一方で、擁護したいと思ったのは、帰ってきたリードが演説も何も用意せず、「ギャラクタスが地球を見逃す代わりに子どもを差し出せと要求してきた」ことを、報道陣の前ではっきりと言うこと。

「そんなバカ正直に言ったら糾弾されることが予想できるだろ」「帰るまでに約半月も時間があったんだから演説の内容も考えておけよ」とツッコミたくもなるものの、「何ごとも正直に答える」ことが、リードでありこのチームなんだろうな、とそれまでの彼らから想像できるからです。まあ、それでも、事前にその決断に至る、最低限の葛藤を示した会話があってもいいとは思いましたけどね。

「自分よりも他人を優先する」家族の尊さと、「誰かの命を犠牲にはしない」一貫性

ほぼほぼネガティブなことばかりに触れてきましたが、それでも自分が本作が好きなのは、やはり「犠牲」の物語としてよくできていると思うから。

特に、シルバーサーファーこと「シャラ・バル」は自身の星を救うために、ギャラクタスを他の星へと導いて数えきれないほどの命を犠牲にしてきた、そのことをジョニーに突きつけられ、罪の意識に苛むというのは胸が締め付けられるものがありました。最後の最後でそのシャラ・バルが、ジョニーを跳ね飛ばして自己犠牲的な行動を取る様は、悲しいと同時にやはり感動したんですよ。

本作で描いているのは、つまるところ「自分よりも他人を優先する」という「家族」の尊さなんですよね。世界中に正体が知られて愛されているファンタスティック・フォーというチームにとってはチームの4人だけでなく、全人類が家族とも言える。その家族にとって、共通の目的のためだったら、みんなで大規模な節電という犠牲を払うことだって大したことじゃない。その価値観が家族で共有できている、という物語でもあるのかな、と。

その全人類が一丸となった作戦そのものは、シャラ・バルが世界中の装置を壊したために完全にダメになってしまうので、じゃあ今までの話はなんだったの?と思ってしまう、という意見もわかるのですが、個人的にはここも擁護したいところ。

なぜなら、その後にニューヨークの人々を地下へと避難させることにこそ、やはり自分や生活は犠牲にしても、誰かの命は犠牲にはしない、という意志がみえるから。本作は終盤で市政の人々がほとんどいなくなる(=ヒーローものとしてのカタルシスが欠けている)ことへの批判も見かけたのですが、それも必然性のあることなのかな、と。

また、「けっきょくは犠牲にしないと言っていたはずのフランクリンをおとりに使っているじゃないか」ということに、若干の欺瞞めいたものも感じなくはないのですが、そこも個人的には許容できる範囲かなと。

なぜなら、チームが早すぎるくらいのタイミングで、ギャラクタスが来るより前にフランクリンをカラのゆりかごとすり替えているから(けっきょくはバレて作戦が失敗している)。やっぱり、「誰かの命が最優先」ということは貫かれていますよ。

そして、スーが「最後に死んだかと思ったら命を吹き返す」というのは、今ではもう使い古された、言ってしまえば陳腐な展開とも言えるところを、「フランクリンに命をよみがえらせる力があったからかもしれない」と思わせる演出にしたのも上手いものだなと。ここで余計なエフェクトなどをつけず、「どっちとも取れる」バランスに仕上げているんですよね。それも誰か(フランクリン)の命を最優先にしたからこそのハッピーエンドです。

ただ、ちょっと気になったことは、あの悲しい自己犠牲を選んだシャラ・バルへのフォローがあまりないこと。ジョニーはその後のテレビ出演前に「サーフボードとは別」ということを言っていたりするので、彼女のことを思っていないわけじゃない、むしろ思っているからこそたわいもない話題として出した……とも言えるのですが、それでも淡白に思えてしまうんですよね。

ジョニーの、シャラ・バルに恋愛に近い感情を抱いているけど、もちろん敵なので安易にそれを表に出さない(でもチームにはバレバレ)で、それを自覚した上で「ナンパしてくる」などと軽口を叩くキャラは大好きになれただけに、ここはもう少しバランスを考えて欲しかったかなあと。

 

ラストのやり取りが象徴していることは

前述したように、リードの計画や行動が天才のそれというよりも、直感と思いつきが前面にでているように思えてしまうし、チームとしての連携も取れていなくない?とツッコみたくもなるのですが、それも半ば意図的なことじゃないかと思えるんですよね。

なぜなら、映画のラストシーンが、テレビ出演をドタキャンし、新しいミッションに赴くも、フランクリンのチャイルドシートの装着で、すっげえモタモタするチームのダメダメぶりを描いている、というものだから。中盤でリードはベンに「お前は賢くない」と茶化されていましたし、最後にもちゃんと「この人たちやっぱりダメでは?」と自覚的に打ち出しているともいえるんですよね。

また、本作は2026年12月18日に日米同時公開の『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』への「ブリッジ」であり、今回やっていることは「キャラ紹介」に止まっている、だからこそ虚無的に感じるということもわかるんですが、やはり自分ではトータルでキャラがみんな好きになれたから良かったのだと思えるんですよね。ダメなところも含めて。そのダメなチームの成長がさらに楽しみになったので、自分はやはりこの映画の肯定派なのです。