「小さい頃は、神様がいて、奇跡だって起きると信じていた」。そんなノスタルジックなモノローグから始まる物語は、しかし、大人になった私たちが直面する、決して奇跡だけでは乗り越えられない現実を静かに、そして鋭く描き出す。フジテレビ系列で放送が開始された新ドラマ『小さい頃は、神様がいて』。その第一話は、どこにでもいそうな一つの家族と、彼らを取り巻く人々の日常に潜む不協和音を丁寧に映し出し、観る者の心を強く揺さぶる幕開けとなった。
平穏な日常に隠された、夫婦の「静かな断絶」
物語の中心は、小倉渉(北村有起哉)とあん(仲間由紀恵)の夫婦。朝、渉があくびをしながら妻の布団をかけ直すシーンから始まる彼らの日常は、一見すると穏やかそのものだ。しかし、食卓を囲む何気ない会話のズレ、渉が食べ終えた食器をシンクに置くタイミングと、あんが「いただきます」を言う瞬間がすれ違う描写など、細やかな演出が二人の間に横たわる深い溝を浮き彫りにする。
渉の視点(ナレーション)で語られる「自分の幸せは、必ずしも相手の幸せとは限らない」という言葉は、この物語の根幹をなすテーマだろう。彼は家族を愛しているように見えるが、どこか鈍感だ。消防士として働く息子の順(小瀧望)から「母さんのストレスに気づいていない」と指摘されても、ピンとこない。その一方で、あんは何を苦しみ、何を諦めてきたのか。育児放棄をしていた過去を匂わせる描写や、一人で優雅に紅茶を飲む時間の意味深な表情は、彼女が長年抱え込んできた静かな絶望の深さを物語っている。
個性豊かな住人たちが織りなす人間模様
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物語の舞台となるアパート「たそがれステイツ」には、小倉家のほかにも個性的な住人たちが暮らしている。一階には、いつも朗らかで仲睦まじい老夫婦、永島慎一(草刈正雄)とさとこ(阿川佐和子)。二階には、愛を育む若い女性カップルの樋口奈央(小野花梨)と高村志保(石井杏奈)。彼らの存在は、それぞれが悩みや困難を抱えながらも、確かな愛情で結ばれており、小倉夫婦の冷え切った関係性と鮮やかな対比を生み出している。
台風の夜、明かされた衝撃の「約束」
⋱#小さい頃は神様がいて🏠 ⋰
第𝟏話🍁只今絶賛放送中
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄嵐の中、
渉はとあることを思いつき…“ぜひぜひ✋”
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🔗https://t.co/ou8eUpGEoJ#北村有起哉 pic.twitter.com/zak37woesI— 『小さい頃は、神様がいて』10月期木10ドラマ【フジテレビ公式】 (@chiikami2025) October 9, 2025
物語が大きく動き出すのは、大型台風が接近する夜。渉の提案で、アパートの住人たちは三階の小倉家に集い、予期せぬ共同生活を送ることになる。ぎこちない自己紹介から始まり、奈央と志保が作った豪華な料理を囲む食卓は、束の間の温かいコミュニティを生み出す。しかし、この団らんの中心にいるはずの渉とあんの間には、依然として見えない壁が存在していた。
そして、台風が過ぎ去った朝。何気ない会話の中で渉が口にした「子どもが20歳になったら離婚する、なんて昔話していたね」という言葉。それは、彼にとっては過去の冗談だったかもしれない。しかし、あんにとっては違った。
「あの約束、まだ生きてるよ。離婚の日まで、指折り数えて生きてきた」
彼女が静かに、しかし揺るぎない意志で告げた言葉は、渉だけでなく視聴者にも衝撃を与えた。離婚までのカウントダウンは、あと54日。あんにとってそれは、絶望的な日常からの解放を意味する希望のゴールだったのだ。
ユーミンの主題歌が彩る懐かしい思い出のシーンと、現在の乾いた現実。神様を信じられなくなった大人たちが、これからどんな選択をし、どこへ向かうのか。特に、仲間由紀恵が演じるあんの、諦めと決意が入り混じった表情は圧巻だ。彼女が突きつけた「54日後」という未来は、渉に、そしてこの物語に関わる全ての人々に何をもたらすのか。静かながらも、心を鷲掴みにされるような人間ドラマの開幕に、今後の展開から目が離せない。