リアルサウンド映画部に、新海誠監督の最新作『すずねの戸締まり』のレビューを書きました。
『すずめの戸締まり』に新海誠が込めた切実な思い “生きる意味”の問いに応える一作に|Real Sound|リアルサウンド 映画部
本作についての原稿はもう一本大きいのが控えているのですけど、こちらは公開直後に出すものとしてあまり大きなネタバレはせずにストレートに作品のポイントを解説するような感じにしています。
新海監督が震災を向き合うことの作家としての必然、破壊のカタルシスの問題、忘却から思い出しへというキーワードで新海監督の作家としての変遷などについて軽く論じてみました。
素晴らしい作品なので是非見てください。
以下、原稿作成時の構成案とメモ、参照したものになります。
————–
こっちは内容論より作家論的な方向でいくか
(1582) m22shinkai – YouTube https://www.youtube.com/user/m22shinkai/about
かたログ(1)「なみのおとプロジェクトとは?」 – えいぞう – 3がつ11にちをわすれないためにセンター – 東日本大震災のアーカイブ
Download | なみのおと
新海誠なりのやり方で「生きろ。」と発した作品・・・入れるか?
この世界がそれでも好きなんだと思う。
↓
新海誠と自然と日本社会
過去の新海誠作品といかにつながるか
震災を描くのはどうしてかを過去作との連続性から説く
↓
君の名はへの批判という要素
↓
それだけでなく、そもそも新海誠という作家の持ち味とは
風景に託して描いてきた作家
↓
この国の自然は美しいが、同時に凶暴でもある。美しい部分だけを借り受けているわけにはいかないだろう。
忘却から思い出しへ
↓
この10年、絶えず大きな地震はあった。忘却をこの大地は許さない。
参照
新海誠の世界 時空を超えて響きあう魂のゆくえ
新海誠 国民的アニメ作家の誕生
新海誠論
新海誠の世界を旅する
すずめの戸締まり 小説
月刊MdN 2016年10月号(特集:君の名は。 彼と彼女と、そして風景が紡ぐ物語 / 新海誠)
ユリイカ 2016年9月号 特集=新海誠 『ほしのこえ』から『君の名は。』
新海誠監督「今描かなければ」と“焦り” 「すずめの戸締まり」で3.11を描いた理由 : 映画ニュース – 映画.com
「震災直後、それでも冷酷冷徹に桜が咲くことに心底驚いた。我々には無関心な自然の鋭利な美しさを、エンタテインメントとして映画にするなら、こういう形なんじゃないかと考えた」と本作に込めたメッセージを語った。
古口正康@場面緘黙 on Twitter: “東日本大震災以降、東北に関わってきた者として「すずめの戸締まり」を作ってくれた新海誠監督に感謝しかないです” / Twitter
『君の名は。』新海誠インタビュー後編 震災以降の物語/『シン・ゴジラ』との共時性? – KAI-YOU.net
**新海誠(以下、新海)** **『君の名は。』は、震災以降でなければありえなかった作品だと思います**。とはいえ、物語を考える過程で、自然に出てきたモチーフでした。
【3.11】『君の名は。』新海誠監督が語る 「2011年以前とは、みんなが求めるものが変わってきた」 | ハフポスト NEWS
@lu_mapleさんの伏せ字ツイート | fusetter(ふせったー)
朝日新聞11月11日夕刊の映画評
(評・映画)「すずめの戸締まり」 自分語り封じ、彼方の声きく:朝日新聞デジタル
映画『二重のまち/交代地のうたを編む』公式サイト|小森はるか+瀬尾夏美 監督作
せんだいメディアテーク
3がつ11にちをわすれないためにセンター – 東日本大震災のアーカイブ /
東日本大震災アーカイブ|Japan Earthquake|ナガサキ・アーカイブ
公益社団法人3.11みらいサポート » 津波伝承ARアプリ
https://www.tohoku.meti.go.jp/s_service/contents_sangi/sightseeing_content/pdf/03.pdf
アニメーション・ドキュメンタリー | 現代美術用語辞典ver.2.0
(1593) 【決断】第1話「真珠湾奇襲」 – YouTube
アニメーション・ドキュメンタリーを知るための10の文献 – Database for Animation Studies
現実とフィクションの間で融解するアニメーション『映画 山田孝之3D』&アニメーション・ドキュメンタリー | WIRED.jp
書評 Animated Documentary – メディア芸術カレントコンテンツ
アニメーションによるドキュメンタリー再考
自伝的アニメーション・ドキュメンタリー : 個人の記憶と体験をアニメーションで表現する
アニメーション的想像力の現在:ノルシュテインから『この世界の片隅に』まで 『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』(フィルムアート社)刊行記念イベント 資料
【Preview】アニメーションとドキュメンタリーが交わる??――〈GEORAMA 2014〉開催!! text 岩崎孝正 – neoneo web
第6回「現実はアニメーションであり、ヒトはアニメーションになりつつある?」 ~世界認識のモデルとなるアニメーション表現の今~ | 七里圭 Kei Shichiri
「アニメーションは現実を撮っていないけれど、ドキュメンタリーより遥かに主観が描かれている作品がある」|短編映像レーベルCALF定例会「松江哲明xアニメーション!?」レポート – 骰子の眼 – webDICE /
2019年はアニメーションにとってどんな年だったか? | かみのたね
土居 もうひとつ、2010年代の特筆すべきものとして、アニメーションが歴史を手触りあるものとして体験させることに長けているということが発見されたという側面があると思います。
二重のまち
この作品の主人公は、陸前高田に訪れた4人の若き旅人たちです。
陸前高田で聞いた、見たことを、自身の言葉で語り直す姿を追っています。
想像するーそんな彼らの声や身振りから、観てくださる方々の記憶や伝えたいという思いと重なるものがあればと願います。他の作品と重なって一つの鑑賞体験となるのも、映画祭ならではの醍醐味です。
佐藤真の不在との対話 (見えない世界を撮ろうとしたドキュメンタリー映画作家のこと)
日常と不在を見つめて ドキュメンタリー映画作家 佐藤真の哲学
構成 11月8日
1)新海誠は、自然の景観、都市の景観の中で生きる人を空間的に捉えてきた作家
↓
景観を一瞬で買えてしまう災害というモチーフは、必然として彼の中にある。
↓
自然との付き合い方は、必然的にこれからの時代をどう生きていくかを考えることになる
2)喪失と忘却を繰り返し描く
今回、忘却から思い出しへと転じた。
3)運命はあるのか、ないのか。
全ては偶然だとして、生きる意味を僕たちは持てるか。さざ波しか建てられない、大きな流れは変えられないとしても、さざ波を一瞬起こす抵抗に意味はあるのか。
Intro
2011年の震災から11年が過ぎた。
震災が私たちに迫ったものは、なんだったか。
それは自然は理不尽だということ、とほうもなく理不尽な大地の上で生きねばならないということ。
それを忘却するわけにはいかないということ。
新海誠の最新作は、まっすぐにそのことを見つめる作品となった。
そして、それは彼の作家としての歩みからして必然だった。
大自然をどうとらえるか、世界の美しさを煌びやかな光とともに捉えてきた作家にとってh、景観を一瞬で破壊する震災、そして自然災害というものは、まさに作家として向き合うしかない、運命の相手ではなかったか。
原発よりも自然災害そのものなのは。。。景観への想いか
Body1 1)新海誠は、自然の景観、都市の景観の中で生きる人を空間的に捉えてきた作家
↓
景観を一瞬で買えてしまう災害というモチーフは、必然として彼の中にある。
各作品でどう捉えてきたか。
前期
後期(君の名は。以降)
で分けて検討する。
雲のある風景の美しさに、寂寥感ある情景。。。情景に人の感情を託してきた。
その美しさが人を魅了してきた。
後期。。。震災の影響、、、本人のコメントを引用する
災害を描き出す。それはある種の必然。大震災が新海誠に与えたものは、自然の理不尽さだった。
↓
災害は都市だろうと、自然だろうと一瞬で景観を変えてしまう。景観に思いを託してきた作家として、その正体を見つめることは、半ば必然だ。
Body2喪失と忘却を繰り返し描く
今回、忘却から思い出しへと転じた。
災害をなかったことにしているという批判をかなり気にし続けていた新海誠
↓
なぜか。
これまでもすれ違う男女の喪失感、そして忘却、感情の忘却
あの頃、燃え上がるほどに好きだった気持ちがどこかに行ってしまったのか。なぜそれは消えるのか。
↓
しかし、忘却せねば人は前に進むことはできないこともある。
今回の主人公は記憶を封じ込めている状態から始まり、大切な記憶を思い出す。
忘却というものにいかに抗うか
日常力というほどの力が働き、人は普段災害の怖さを忘れているが、それはいつなんどきどこを襲ってもおかしくないもの。
日常力の中で、それは閉じ師の活躍でかろうじて防がれる。そして、観ている観客にも思い出させる仕掛けになっている。
思い出す旅路は、これからも日本人は災害と一緒に生きるしかないということを忘れずにいてほしいという願い
Body3運命は結局、あるのか、ないのか
シンプルな話、人はどう生きるのかということをこの映画は投げかけている。
生き死にの輪郭
いつか人は死ぬ、それはあらかじめ決まっている。
理不尽に命を奪う災害も常に隣り合わせにあることも決まっている。
命はかりそめだとわかっていても、生きるに値する美しさは世界にある。一分、一秒でも長く永らえること
↓
一瞬見える光の美しさがそうだ、彼の、彼女の笑顔と声がそうだ、青空がそうだ、世界の全てがそういうものだ。
舞い散る桜の美しさもそうだし、打ち上げられたロケットが残す白い雲も、降りしきる雪も、全てが美しい。理不尽と美しさに彩られた世界の自然に囲まれて、これからも人は生き続ける。
生きろ。と言う。
————–
メモ終わり。
震災関連の書籍やドキュメンタリー映画、そしてアニメーション・ドキュメンタリー的なものと比較しようとそういう資料を漁った形跡がありますね。これはもう一個の原稿に受け継がれる部分かなと思います。ここで重要なのは、景観で何かを描く作家として新海誠を捉えて、その景観を一瞬で破壊する震災というものをどう見つめたのかという点。登場人物たちが何かを忘れていく話を描いてきた新海監督が、震災を忘れないために思い出しの物語へと転じていることを重要なポイントとして挙げました。