フィルマがに、森達也監督の初の劇映画『福田村事件』のレビューを書きました。
【ネタバレ】映画『福田村事件』を考察。田中麗奈演じる妻・静子が問いかけるもの。関東大震災直後なぜ人々は加害者になったのか | FILMAGA(フィルマガ)
森達也監督は、オウム真理教のドキュメンタリー映画『A』や、佐村河内守を追いかけた『FAKE』などで有名なドキュメンタリー作家ですが、自身初の劇映画には、実話をもとにした作品を選びました。
福田村事件は、関東大震災後におきた不安の中で薬の行商団が、朝鮮人に間違えられて殺害された事件です。当時、朝鮮人が井戸に毒を入れたなどにデマが飛び交い、人々が疑心暗鬼になっていたところ、香川県の部落民だった行商団が言いがかりで殺されたのです。
二重三重に差別が重なるひどい事件ですが、なぜこれが起きたのか、事件の顛末をつぶさに描いています。いくつかの異なる視点で物語が進行していき、最後の事件でそれらが重なるような仕掛けになっています。この村の因習や閉鎖的な空間の居心地の悪さなど、なかなか強烈に描いております。
不安に駆られた人間は差別を正当化してしまうというのがよく分かる内容です。ぜひとも見てほしい作品です。
以下、原稿作成時のメモと構成案。
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構成【触れて欲しいこと】編集部から
①9人は何故殺された
②平澤計七はなぜ殺された(平澤計七を検索する人が多そうなので触れておきたいです)
③️恩田楓(木竜麻生)は報道できたのか。その後はどうなった?
④️「澤田静子」が象徴するもの。「ひどいこと」とは
⑤️キャッチコピー「時代が逆流する」が示すもの
参考
森監督コメント
Intro
作品概要と事件概要
登場人物とキャスト
映画は群像劇のようなスタイルで、いくつかの視点で描かれる。
澤田夫妻、福田村の人々、新聞社、香川から行商団、東京の活動家、それぞれの側面からなぜこのようなひどい事件が発生したのか、その心理的側面を明らかにしていく。
Body1 9人が殺された福田村事件の全容
福田村事件とは
9人は何者だったか。
なぜ朝鮮人と疑われたのか。
映画ではこういう描写:香川の方言が千葉のものと違っていたために疑いの眼を向けられた。そして、道中朝鮮人の飴の売り子にもらった扇子を持っていたこと
そもそも、なぜ朝鮮人は殺されていたのか
その原因は、映画では、内務省からの通達
– 香川から来た行商たちについて
名前は変えています。ただ行商団の編成に関しては史実通りです。男女比もね。彼らに向けられた差別意識こそが、この作品のコアなので。彼らは被差別部落の出で、映画の中でも自分たちのことを「エタ」だと称する。ここで水平社宣言( 1 922 年)も絡んでくる。エピソード自体は創作も 多いですが、リサーチもできる限り丹念にやりました。例えば行商団の面々が朝鮮人でないことを証明するために、村人から歴代の天皇陛下の名前を言わされたとかは裁判の証言として残っています。飴売りの女性からもらった朝鮮の扇子などは佐伯ワールドの賜物ですね。あくまでフィクションとは言っても、史実のエッセンスを損なわないように、とりわけ大切に作っていきました。(公式プレスシートから)
朝鮮人と被差別部落民、2つの差別意識があった。
Body2 平澤計七はなぜ殺された
殺されたのは、朝鮮人や中国人だけではなかった。社会主義者も殺されていた。それはなぜか。
このとき、殺されたのは朝鮮人だけではなく、中国人や、被差別民、思想家も殺されていた。
平澤計七とはどういう人物か
– 公式プレスから
――「澤田夫妻」「福田村の人々」「千葉日日新聞」「香川からの行商団」、さらに5つ目、もうひとつ東京のブロックがある。ここで実在の劇作家、平澤計七(カトウシンスケ)が登場します。
日本のプロレタリア演劇の祖と呼ばれる人物ですが、関東大震災が起こって、 9 月 3 日に社会主義者たちが亀戸警察に逮捕されて殺害された「亀戸事件」も絡んできますね。この補助線も必要だと思いました。「関東大震災朝鮮人虐殺事件」という呼称が一般には定着しているけど、実際は日本人や中国人もたくさん殺されている。映画の中でも権力側は「鮮人や主義者」という言い方をしている。要するにアウトサイダーやマイノ リティーと見做した人々を、権力はいっせいに排除しようとした。有名なのは大杉栄や伊藤野枝の甘粕事件( 9 月 1 6 日)だと思いますが、その前に起きた亀戸事件は意外に知られていない。戒厳令下の国家権力による不法弾圧の代表例として、ぜひこの映画には刻んでおきたかったんです。
平澤計七の活動内容について
亀戸事件では、多くの思想家が殺されていた
亀戸事件 – Wikipedia
Body3 恩田楓(木竜麻生)は報道できたのか。その後はどうなった?
映画では、平澤は千葉日日新聞の記者の取材風景で登場。
本作は報道の問題にも切り込んでいく。
関東大震災前から、朝鮮人に対するヘイトスピーチまがいの記事を書き、朝鮮人虐殺に対する
下地を作ってしまっていたことが描かれる。事実ではない憶測で偏見に基づく記事が作られていて、憎悪や偏見を助長していたことが大震災直後の虐殺にもつながっていた。
↑
ヘイトスピーチを報道がしない、プラットフォームがさせないことが大事。差別の心は急に生まれるものではなく、普段の社会の積み重ねによって育まれてしまうもの。
報道が虐殺に加担したのか。- 公式プレスから
達也さんが絶対入れたいと言ったメディアパートは「千葉日日新聞」の編集部という形になっています。木竜麻生さん演じる記者の恩田楓など、この造形はフィクションですか?
命名の由来として東京日日新聞や千葉日日 新 報という新聞は当時あったけど、千葉日日新聞はフィクションです。あとこのパートには多少映画の嘘があって、おそらく関東大震災が 9 月 1 日に起きた直後の段階では千葉では暴動の報道は回っていない。内務省が各地の警察署に下達した文書がデマゴギーの源泉なので、それを裏取りせず真に受けた他の地方紙のほうが早かったはずですが、今回はあえて当時の全体的な反応を凝縮する形にしました。僕としては編集長と若い女性記者がやり合うというイメージが欲しかったんです。ここに関しては今の時代と正しく重なる 部分だと思ったので、現代の光景と同質に見えるように描きたかった。千葉日日新聞の編集長・砂田(ピエール瀧)も、「ジャーナリズムは権力を監視する」という本分を当初は守っていたはずなんです。これは映画には表立って出てこないけれど、幸徳秋水と堺利彦らが創刊した反権力的スタンスの平民新聞にかつて勤めていたというプロフィールです。でもそれでは飯が食えなくなるという現実に直面して迎合していった。そして今、政治権力の不首尾から起こった朝鮮人たちの暴動というデマ報道をわざわざ広める立場となり、その欺瞞に恩田楓がまっすぐ異議を 申し立てる。メディアのあるべき姿に向けた対立構造をわかりやすく描いています。
Body4 「澤田静子」が象徴するもの。「ひどいこと」とは
ひどいこと?・・・・不自由ない生活をしている人であり、夫について
かつての差別事件の現場にいた傍観者となる夫、今回も傍観して世捨て人的になってしまう夫への批判。。。傍観者は共犯者か。
日韓併合から続く歴史の中に位置づけられている夫婦。東洋拓殖の重役の娘という設定はどう考えるべきか。
Body5 キャッチコピー「時代が逆流する」が示すもの
これは今もほとんど同じことが起きている。
不安に駆られた人間は差別を克服できない。その意味で、時代がこの時にまた戻っていってるのではないかという危機感が込められている。
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メモ終わり。
メディアが事実を伝えずに時の政府や社会の風潮に迎合してしまう有り様がとても空恐ろしく、しかも説得力があるのがすごいとこです。メディアとは社会不安を煽る側面があります。真摯に事実を伝えても不安を煽ってしまうこともあるぐらいですが、この作品の場合は、不安を煽ることでしか商売ができないような、そんな状態に置かれているように見えます。権力の監視ではなく、飯を食べることを目的にしだすと、どうしてもそうなってしまうときがある。今のメディアにも同じことが言えます。
じゃあ、どうすべきかというのは難しい問題ですが、メディアの売上はメディア単体で上げるのではなく、別の形で収益構造を確保するのがいいのかなという気がしています。メディアって社会が不安になった方が儲かるんです。不安になると人は情報を求めますから。そういう負のスパイラルに陥らないでも運営していける体制作りが必要だと思います。
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