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『北極百貨店のコンシェルジュさん』のレビューを書きました

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 リアルサウンド映画部に、『北極百貨店のコンシェルジュさん』のレビューを書きました。

 『北極百貨店』の“心地よさ”はどのように作られた? 目を奪われてしまう演出を徹底解説|Real Sound|リアルサウンド 映画部

 素晴らしい作品ですよね。いきいきとしたアニメーションの動きが堪能できる作品で、キャラクターデザインもいいし、今年を代表するアニメーション映画の一本だと思います。

 動きが面白いとはどういうことで、動くことに人間はなんで惹かれて共感したりするのか、ということについて書いてみようと思いました。運動共感という概念を導入して、動きを分析するということに挑んだ次第です。上手くいっているかどうかはわかりません。

 英語ではkinesthetic empathyと言いますが、例えば「ダンサーの動きを見る鑑賞者が、自分がじっと着席しているにもかかわらず、ダンサーの動きを疑似的に体験してしまう現象」のようなものを言います。アニメーション作品の魅力はこういうものじゃないかなと思うわけです。

 やさしく受け止められるという動作が、映画の冒頭にありますが、あれを見てどうして自分もやさしく受け止められて安心したような気持ちになるのか。そこには運動共感という現象が起こっているのかなと。『北極百貨店のコンシェルジュさん』はそういう共感覚をたくさん呼び起こしてくれる作品だと思うのです。
 
 詳しくは、上の記事をご覧ください。
 
 
 以下、原稿作成時のメモと構成案。 
 
 
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 お題
アニメーション表現について

昨今のアニメの中でどういう位置づけと言えるか。

Thesis:アニメーションの動きの快楽はどこからくるのか。動きそのものの面白さをどう伝えるのか、を考える
 
 
気持ちいい動きの多さはシンプルなキャラデザにある。。動きの面白さを活かすシルエット、線がカットごとに変わることで感情も表現される。
リアルとは異なるレイアウトの面白いところと平面構図の面白さ
本作を彩る色について
 

参考

アニメ表現の可能性とは? 手描きアニメの良さとは? 原恵一監督、片渕須直監督らが語り合う|第36回東京国際映画祭(2023)
板津監督も「アニメーターがレイアウトをつくる意味というのは、カットの印象を決めようということなんです。正確であるとか、パース(遠近法など)が合っているということではなくて、絵コンテで描かれているものを、色を塗ることができる素材にする。まずは感覚からはじまって、(具体的に)素材に落とし込んで、次の人に渡せるものにするというのがアニメーターの大きな仕事なんですけど、まずは絵コンテに込められたその感覚を読み込めないといけない。今、いちばん鍛えなきゃいけないのはそこかな」と語ると、原監督が「やっぱり手描きのレイアウトって微妙に正確じゃないんですよ。でもそれが味になる。まさにアニメーションって、嘘ですからね」と補足した。

板津監督が「自分がアニメーションの肝だと思うのは身体性かなと。アニメーターが絵を描くときは、最初にイメージがあって、印象があって。そこからいろいろなものを見てから、そこから一回、自分の身体に入れてから、こんな感じだよと描く。そしてそれを見た人が、その体験に共鳴するというか、それがアニメーションを見て気持ちいいと思うことだと思う。そしてそれはどんなものでも変わらないかなと。写実的じゃないからこそ、伝わりやすいものがあるんじゃないかなと思っている」

– パンフレット

シンプルなキャラクターと精密な背景描写

多彩な表情と線をできるだけ少なくしている。立体感を

コンセプトカラー・デザインの功績について

身体的共感

第7回:運動共感の二つの起源 | 新建築オンライン

第5回:動きの美学を掘り起こす | 新建築オンライン
Designing Objects in Motion

(PDF) Cinematic Empathies. Spectator Involvement in the Film Experience | Adriano D’Aloia – [Academia.edu]

(592) Kinesthetic Empathy: The Keystone of Dance/Movement Therapy – YouTube

Kinesthetic Empathy in Creative and Cultural Practices, Reynolds, Reason
 

 
 

Intro

動くそのものへの共感。この映画にはそれがある。

本作はわずか上映時間70分で豊穣な世界を作れるのは、アニメーションのひとつひとつの動きと表情、色とレイアウトその映像構成のあらゆるものを用いて見事に演出されきっているから。その豊穣さは、物語の仕掛けにも追う部分はもちろん大きいが、動きそのものから生じる感性の広がりが大きな要素を占めている。

この映画はとにかく動きがいい。動きは気持ちいい。しかし、動きそのものの面白さを言葉で伝えることが極めて困難である。アニメーションを語ることの難しさに直面しないといけない作品である。

動きそのものの良さは極めて非言語的な領域であるため、語ることの難しさがある。特に、まだその動きの魅力を直接体験していない人間にいかに動きが素晴らしいかを伝えること。そのための言葉を紡ぐ必要がある。
 
 
Body1動きそのもののデザイン

そもそも、なんぜ運動は面白いのか。動くものに興味を惹かれるのはどうしてなのか。

動くものを目撃すると、自己の中に何かが発生する。例

例えば、重さや軽さといったさまざまな身体的な質感を見る者に感じさせるのも事実である。例えば私たちは、風になびくカーテンを見て、同じように風に吹かれたときの感覚を想起したり、(P4)

キネススティック・エンパシー
ダンサーの動きを見る鑑賞者が、自分がじっと着席しているにもかかわらず、ダンサーの動きを疑似的に体験してしまう現象について、この現象をキネススティック・エンパシーと呼んでいる。運動共感(P29)

例えば、映画の鑑賞体験についても同様のことがいえる。ミーカムスと同じく著者の一人であり、映画学を専門とするアドリアナ・ダロイアは、映画鑑賞における共感を次のように捉える。私たちが映画を観るとき、そこに現れる登場人物に対して感情移入をする。登場人物が焦る場面では一緒にハラハラするし、悲しみにくれる場面ではその悲壮感を共有する。運動共感も当然はたらくため、登場人物の身体動作や感覚に対しても私たちは同様に疑似体験する。しかし映画の観客が体験するのは、映画に描かれたキャラクターとの完全な融合や投影ではなく、あくまで同伴であるとダロイアが考える。つまり、登場人物との「一体化」ではなく「共存」という表現が正しい。
 こうした共感の捉え方は、共感する主体が自己を忘却し、共感される対象と融合するというような、フィッシャーや彼と近い世代の考え方とは本質的に異なる視点である。
  同化ではなく同伴。一緒になるのではなく、一緒にいる。この捉え方は、人工物に対する運動を考えるにあたって意外なことにスムーズに適応できる。(P80)

動きのクオリティ(ここでは感覚的な性質を指す。レベル感の話ではない)というものは私の感性が変化したことによって初めてそれに対して自覚的になることができたのであって、外の世界にクオリティが単体で存在し誰でもそれを発見できるということではない。私たちが何かを近くしたときに生まれる感覚、クオリティ。それらは世界の中に独立して存在しているのではない。私たちの中で作られる。(P99)

心理学用語で「オーバーシャドーイング」と呼ばれる。
味の好みなどの非言語的な経験を説明するように求められると、人々は「説明を本当の好みに合わせるのではなく、逆に好みを説明に合わせてしまう」可能性があると示す研究も存在する。(P144)

不動や静止は我々の運動感覚を相対的に意識させる」と考え、動きの本質的な要素のひとつとして静を捉えた。(P194)
静止には安定したものと不安定なものの二種類があるとされている。(P194)

運動共感は受動なのか、能動なのか(P287)
結論からいえば、運動共感にはそのどちらも含まれる。

動かないものへの運動共感(P308)
運動共感エレメント、
「静」と「動」を対立する概念と捉えるのではなく、さまざまな形態をもつ「動」のひとつの姿として「静」を捉える方が自然であろう。
 
 
Body2シンプルなキャラデザで動きを誘発

運動共感を多く引き出すには、それだけ多彩な動きを描く必要がある。

原作の魅力をこう説明、「シンプルなキャラクターと精密な背景描写」

線が多ければ多いほどワンカット上げるのに時間はかかる、だから、動きそのものを追求する時間は少なくならざるを得ない。しかし、最近のアニメは線が多い。ワンカットのキャラの情報量を高めて映像の密度を上げていく。カットの情報量を高めるのは、ハリウッドの大作映画も同様の方向だと思うので、トレンドとは言える。

服の皺も骨格も極めて簡略化して、線を少なくしている。その代わりに書くキャラクターのシルエットが特徴的でひと目見て、誰かわかる。文字通り、モノクロの影にしてもだれか一発でわかるほどに。

動かしやすさをキャラの個性を両立しているキャラデザが本作にはある。

だから、熟練のアニメーターたちは動かしまくってキャラクターの個性を引き出しまくっている。


運動共感として強い力を喚起する動きが多いのだ。

例:お辞儀しながらステップバックするとか、面白さしかない。
よろめきながら、客の間を縫って走る秋乃にひやりとするのは、
商品オススメを全力で身振り手振りする時に、何かを誤魔化している様。あらゆる感情がオーバーなアクションで表現されるところに、運動自体に共感を発揮させる力がある。

また、特徴的なシルエットを活かすポージングも多彩。コンシェルジュの丁寧な角度が強調されたお辞儀、丁寧さを煮詰めたような角度である。また爪先までピンと伸びて鋭いのも面白いのだ。これはなぜそんなに鋭いのか、爪の先端まで接客の神経が行き届いているのである。

また小さい動物のお客さんの目線に合わせる時に、地面に顔をこすりつけるくらい低く姿勢をたもり、お尻が一番高い位置に来る時の独特のポージングなども、彼女の接客への真面目さゆえにそのようなポーズになるのだが、はたから見て滑稽であるというギャップに、笑いと彼女の必死な思いが両方刻まれていてとてもいい。

またお辞儀の時、肘の鋭さを角度を同じように、スーツの上着の裾まで同じ角度で立っている。ユニークな構図で見逃せないポイントだらけである。

決めカットで線の感じが変わるのも面白い。ナラティブなレイヤーだけでなく、絵の調子、レイアウトなど、あらゆる情報がキャラクターの個性と感情を表現するので、時間は70分で充分、ドラマが語れる。3時間も必要としない。

気持ちいい動きの多さはシンプルなキャラデザにある。。動きの面白さを活かすシルエット、線がカットごとに変わることで感情も表現される。

作品の中が同じリアリティラインではないこと。この瞬間は身体感覚が大事だったり、この瞬間は台詞が大事

カットごとに印象が優先される。そこに作り手のセンスがダイレクトに現れる。

板津監督が「自分がアニメーションの肝だと思うのは身体性かなと。アニメーターが絵を描くときは、最初にイメージがあって、印象があって。そこからいろいろなものを見てから、そこから一回、自分の身体に入れてから、こんな感じだよと描く。そしてそれを見た人が、その体験に共鳴するというか、それがアニメーションを見て気持ちいいと思うことだと思う。そしてそれはどんなものでも変わらないかなと。写実的じゃないからこそ、伝わりやすいものがあるんじゃないかなと思っている」

身体性というキーワードをかみ砕いてみたい。
キネススティック・エンパシーは身体的共感を訳されることもあるという。身体的共感とは模倣の論理。動きを模倣することで、相手に共感を感じることを言う。
最初にイメージがあって、一度自分の身体にいれてから描くことの大切さとは、おそらくここにある。そして、それを映像として提示することで、じっと座っているだけの観客の脳内に、運動共感が発揮され、キャラクターたちと同伴する。だから、見ていて動きそのもので面白いと思わせる。
 
 
Body2リアルとは異なるレイアウトのおもり沿いところと平面構図の面白さ

背景美術含む空間のあり方も素晴らしい。

本作は、正確で立体的な空間を目指して作られていない。

空間についての板津監督の発言。。。適当というか感性で?

(590) アニメ・シンポジウム アニメーション表現の可能性|第36回東京国際映画祭 – YouTube

アニメーターがレイアウトを描く意味というのは、カットの印象を作りましょうということ、正確だとかパースが合ってるかとかじゃなく、まずは感覚からはじまって、(具体的に)素材に落とし込んで、次の人に渡せるものにするというのがアニメーターの大きな仕事なんですけど、まずは絵コンテに込められたその感覚を読み込めないといけない。今、いちばん鍛えなきゃいけないのはそこかな」

手描きのレイアウトは微妙に正確じゃないが、それこそがアニメーションの味と原監督。

絵としての面白さと正確さ、正確がまず先にきて、絵としての面白さが抜けているのではという指摘。

本作は絵としての面白さに全振りみたいな作品になっている。

構図も時に極端に平面的で、時に奥行きを強調する。

平面構図でわかりやすく面白いのは、秋乃がエレベーターに乗るカットだ。彼女は扉が開くとまっすぐに乗り込み、振り返り、そのままエレベーターのボタンを推している。ボタンを押す前に横移動するなどの動作もなく。リアルに考えればありえない、エレベーターのボタンは扉の正面についていない。だが、そのアクションがなくても秋乃が何をやったのか、動きだけでちゃんとわかる。

空間について、積極的に嘘を付きましょうという姿勢でやっている。

ちゃんと3Dで作ると、正確にある程度決めないと絵にできない。手描きならこんな感じだよねという、場所を設定としてきっちり決めずに美術のスタイルとして同じ空間に見えるようにしましょうということにしている。わざと繋がりを考えていない、

シーン、カットにキャラがのっかってそのカットが魅力的であれば前のカットと多少違ってもOKというルーズだけれどセンスが問われる作業。

その空間を支えるのが、色の役割。本作の色表現が優しい色調で、四季の移り変わりを表現しているが、この色彩空間もまた気持ちいい嘘に彩られている。

例えるなウェス・アンダーソン監督の作品の色使いを思い浮かべるといい。アンダーソンは実写映画の監督だが、実写をリアリズムの原則から解き放とうとしている作家の代表だ。彼の映画の色使いもリアルより印象優先である。

写実的ではないからこそ、より積極的に感性が伝わりやすい、動きの気持ち良さも空間の嘘具合も同様に、理屈ではなく、観客と感性でつながる作品。
 
一度書いた後、さらに動きそのものの魅力を伝える方向でリライトする

店内を駆け回る主人公・秋乃の姿、首を回すワライフクロウや求愛で羽を広げるクジャクなど、動物たちの特徴を生かしたユニークな動きが色彩豊かなアニメーションに、終始観客は目を奪われ続けただろう。
 
 
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 メモ終わり。

 「動きそのもののデザイン』はとてもおもしろい本ですので、おすすめです。動きを科学的に分析した一冊で、アニメーションの本ではないですけど、色々援用できる要素が満載だと思っています。
 
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