アニメ!アニメ!敵役連載に、『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』小比類巻健一について書きました。
映画「デデデデ」小比類巻が体現する現代社会の不安と“陰謀論”の関係性 | アニメ!アニメ!
漠然とした不安に翻弄され、陰謀論へとハマっていく人を体現している小比類巻ですが、現代を活写する上で必要なキャラクターで、彼を敵役に置いていることが、作品にとって重要な意味を持っていると思います。
前章と後章で小比類巻の立ち位置は大きく変貌するのですが、その変貌っぷりに現代社会の怖さが詰まっている用に思いました。結構、解像度の高いキャラクターですね。
彼には(それが一方的な決めつけであれ、デマであれ)信じるモノがあるんですね。それが彼の覚悟の強さになってしまっている。信じているモノがデマでも、それを信じる彼の心、感情は本物であるという点が厄介な点です。
おんたんと門出にとっては互いの友情が「絶対」で、小比類巻にとっても「絶対」の正義がある。歪んでいるけど、本人が絶対と信じればやっぱり強い力になってしまう、それが社会を壊すものであったとしても。
こういう存在とどう向き合うかは、現代社会にとって重要な課題です。
以下、原稿作成時のメモと構成案。
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Thesis
陰謀論と社会
主人公と敵対していないが、見つめていることは対照的と言える
おんたんや門出は友達が絶対、ミニマムな関係性だけを重視している
小比類巻は、良くも悪くも大きなものを見ようとしている
ある種のテロリスト的な存在。。。陰謀論とテロの関係についての考察が必要か。
前章と後章で小比類巻の変貌ぶりについてきちんと抑える
陰謀論にはまる要因・動機をどう描いているかに言及する必要がある
↓
不安や不信感が根底にある。。。この「感情」そのものは「本物」であってウソのものではない。
信じてしまうと人は覚悟が決まって強くなってしまう。
おんたんが門出との友情を「絶対」と信じているように、小比類巻も自分の信じるものにもはや疑いがないので、強い。
Point
陰謀論と本物の不安(社会に対する)
信じることの強さ、好対照なおんたんたちと小比類巻
テロリスト的な活動から、新党結成
Intro
デデデデの危険なキャラクター、小比類巻
しかしながら、リアリティのあるキャラだ。
普通のサブカル青年だったはずの彼は侵略者狩りから電波ジャックから殺人を辞さないようになり、新たな秩序の担い手にまでなろうとしていく。
これを駆り立てるものはなんなのか。主人公たちと必ずしも敵対してるわけではないが、確かに一つの軸で好対照をなしている存在
Body1
前章での小比類巻を描写
不安を抱えた青年であるということを強調
↓
その不安に寄り添ってくれたのが、SNSの怪しげな情報だった。
目の前の彼女の言うことは信じられない
↓
後章での変貌
彼が信じたものが陰謀論に過ぎなかったとしても、それを信じてしまう「不安」は本物の感情であるということ。不安に寄り添える存在がSNSにしか見つからないということ。
Body2信じるものは強い(というアイロニー)
小比類巻は、おんたんや門出を必ずしも敵対していない。
おんたんたちは、自分たちの半径数メートルの友情が絶対だ。一方小比類巻は半径数メートルの身近なものを大事にできない男になっている。その代わりにもっと大きなことを成そうという。
敵対していないが、おんたんたちと対照的な存在として、作中に存在している。
彼は何を信じているのか。自分の信じるものが絶対的に正しいと信じている。
信じる者は強い。覚悟が決まってしまっている。なあなあに生きていないことは確か。
それがある種の人々にとって、おそらく同じ不信感や不安を抱える人にとってカリスマ的な魅力を発揮してしまう。
おんたんたちは自分の友情を信じる。それもまたある種の信じる者の強さとしてある。
一方、小比類巻の強さも信じるところから生まれている。
歪んだものを信じることでも人は異様な強さを発揮してしまう。
恐ろしいことだが、一面の真実でもある。
陰謀論を退けることが難しい時代、小比類巻のような暴走をくい留めて社会を回していく方法はあるのか。
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メモ終わり。
小比類巻のような人と相対することになったら、どうすればいいんでしょうね。説得は難しい気がします。理屈ではどうしようもなく、論戦は意味をなさないように思えます。分断が加速する世界は、あちこちに火種が増えていきます。どこまで社会は持つのか、この映画を見ていてそういう不安を抱きます。
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