大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第2話では、平賀源内のエピソードが語られた。
1話の最後で吉原細見(当時の吉原のガイドブック的なもの)を見直そうと、アイディアを弄する重三郎。序の文章を平賀源内に書いてもらえると、みんな吉原に来たくなるのではと、行方を探すが、1話で厠で出会った男が平賀源内であった。
なんとか吉原の良さを知ってもらおうともてなす重三郎だが、平賀源内は男色であった。2話では男色の源内を吉原がどうもてなし、序の文章を書かせるのかが描かれる。
源内には、かつて本気出会いした歌舞伎の女形、瀬川菊之丞がいた。回想シーンでは菊之丞が登場するが、これを演じたのは三代目・花柳寿楽。さすがにとても美しい所作で感動した。
そして、後に五代目瀬川となる花の井(小芝風花)が、菊之丞になりきって源内をもてなすシーンも面白い。歌舞伎の女形の瀬川菊之丞を、後に花魁として瀬川の名を継ぐ花の井をダブらせるというのは、面白い発想だ。
瀬川とは、この女郎屋で第第受け継がれてきた花魁の名前だ。この名前を継ぐエピソードもそのうち出てくるのだろうか。
このエピソードの肝は、重三郎の「男色の源内先生が吉原の案内を書けば、きっとウケる」という点にある。男色の源内さえ虜にするほど、吉原は魅力的なんだと思わせることができると重三郎は言う。つまり、性別・性的指向の垣根を超えた魅力をここに書いてもらいたかったということだ。
この「細見嗚呼御江戸(さいけんああおえど)」は実際に国書データベースで読める。
国書データベース
ほんのひきだしのnoteが現代語訳しているので、引用する。
「人買いを商売とする女衒ぜげんが、吉原で働かせる目的で娘を買い取るときに用いる評価方法がある。一に目、二に鼻筋、三に口、四に髪の生え際という順にチェックしていく方法だ。女郎として望ましい肌は凝固した脂のようなのがよく、歯は瓢ひさごの種のようなのがよい。遊郭にはそれぞれの家風というものがあり、好みの顔というのもある。尻の形や大きさにしてもそうで、足の親指がどういう風になっているかということも口伝になっている。刀豆なたまめや臭橘からたちに見立てる秘術も存在し、選ぶのもなかなか骨が折れるが、牙ある者には角はなく、柳の葉はいつも緑ではあるが、華というものが感じられず、それと同じように、智恵があっても醜くかったり、美しくても馬鹿だったりすることもあるし、もの静かなのはいいが溌溂としていないのはまずく、賑やかな者はお転婆だったりする」
「顔・心・容姿と三拍子そろった遊女は、座敷持ちの高位の『中座ちゅうざ』となり、『立者たてもの』(立役者)と呼ばれる。これぞ人といえる者がいないように、これぞ遊女と呼べる女は稀なのである。そういう遊女がいたら、貴いこと限りなく、得がたいこと限りなしといえる。あるいは、骨太で毛深い者も、太短い猪首いくびで獅子鼻で出っ尻の者も、虫食い栗を食べていた者も、拍子木が四ツ時(午前10時)を告げると、居残っていた者がどの遊郭の張り店からも引き揚げてしまい、格子の向こうには誰一人として女郎の姿はなく、だだっ広くなるのが、あゝ、お江戸なのである」
平賀源内に『吉原細見』の序文を依頼した蔦重の狙い|江戸の仕掛人 蔦屋重三郎|ほんのひととき
外見が悪くても、10時ごろになれば、みんな売れていく。いろんな嗜好があり器の広いのがお江戸なんだと語っているわけだ。確かに、売り文句としては非常に魅力的だ。
源内は、これ以前にも『江戸男色細見』という陰間茶屋のガイド本も書いたことがあるらしい。これも国書データベースで見られる
国書データベース
この吉原細見の序の文についてのエピソードは、現代で言うところのマーケティングセンスに関する物語であるが、こういう経済的なアプローチの大河ドラマは珍しいし、文化発展と商業の兼ね合いとか、上からの表現規制とか、今後色々な側面から文化について考察するエピソードが出てくるに違いない。
重三郎といえば、度重なる表現規制をかいくぐって様々な表現を発展させた版元だ。2話までのところは非常に面白いし、江戸文化をどう描くのか、よく練られていると思う。
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