以前フェイスブックのノートに書いたレビューに加筆・修正して再掲します。
東京国際映画祭にて、小林政広監督の「ギリギリの女たち」を観ました。
この映画の舞台は宮城県気仙沼の唐桑町を舞台にした3姉妹の愛憎劇ですが、小林監督の居宅で撮影されています。
震災を題材にした映画は、ドキュメンタリーではいくつか出てきているものの、劇映画ではまだまだ少なく、また監督自身も気仙沼にお住まいの被災者でもあるので、貴重な作品であろうと思い、観ることにしました。報道やドキュメンタリーで被災地の「事実」はたくさん見る機会はあるのですが、当事者ではない被災地の外にいる僕のような人間には被災地の方の心の奥のリアリティは簡単に捉えることができないものです。簡単に共感できるなどと云えばそれはきっと傲慢でしょう。
物語は、渡辺真起子演じる長女が、NYから帰ってくるところから始まります。がらんどうの実家を空しそうに見つめる長女、さらに次女もほどなくして帰ってきます。二人とも15年前に家を出て以来、初めての帰省。家は三女が管理しているようだが、姿が見えないし、埃を被った家は誰かが住んでいる気配もない。長女と次女も15年来顔を合わせることはなく、互いの近況も知らず噛み合わない会話を続けているうちに三女もふらりと現れる。二人の姉を見るなり三女は罵声を浴びせて追い出そうとする。それはそうだろう、両親も亡くなり、当時高校生だった三女を置いて家を出てしまった二人を歓迎できるはずもない。電気も水道も通っていない家で15年ぶりに再会した姉妹は、被災した故郷でそれぞれの人生で抱えたつらさを吐き出し始め、バラバラだった姉妹は絆を取り戻していく。
冒頭いきなり35分もの長回しで三姉妹の関係を見せたあと、どうもこの辺では唯一の食料の調達場所らしいコンビニへ次女と三女が連れ立つシーンでは津波と震災の被害が生々しく残る道を行く。窮屈な屋内での緊迫シーンから一転して外のシーンになったらそこは破壊された家や道路が広がる。そんな中コンビニだけは元気に営業しているというのが妙に印象に残ります。
気仙沼で被災した三女は、職を失い、避難所を転々としていたけど、家があるからという理由で追い出されたという話をします。台詞だけで表現してるので、この破壊された風景がないとリアリティを失ってしまいそうな話です。
この映画はバラバラだった姉妹が震災をきっかけとして再会し、絆を取り戻す、という筋立てになっているのですが、そこに小林監督の思いが込められているんでしょう。震災当初、僕らは確かに日本人の連帯みたいなものを強く感じたと思うのですけど、時が経つにつれ、むしろ断絶を感じるようになってきました。典型的なのは原発と瓦礫処理を巡る問題でしょうか。ホントは1億人以上もいる日本人全部が絆で結ばれるなんてことは幻想なわけで。幻想だとわかっていても「絆」を安っぽくキャッチコピーとして使用する行為がさらに分断を促進してしまっているようにもたまに感じてしまいます。
そんな中でも、もし僕らが絆的なものを取り戻せるとしたら、こういう姉妹とか家族とかそういうミニマルでしか単位でしかないのかもしれませんね。で、実は生きていくためには、そういうミニマルな強い絆さえあれば人は生きていけるのかもしれません。だから、何か「大きなもの」にすがるんじゃなくって、目の前の家族大事にするっていう当たり前のことからやっていくしかないんですよね。
この映画では、「忘れる」ということにについても考えさせられます。
物語の途中、三女が「明治にもその前にも津波があって、たくさんの人が死んだのに、そんなこと忘れてまた同じ所に家を建てて人が死ぬ」、という台詞を云うんですが、一方次女の方はラストで「今までのこと全部忘れた」なんて宣言をします。でもこの「忘れた」宣言がいい加減な感じじゃなくとても清々しいんです。
人間、忘れちゃいけないこともあるかもしれませんけど、忘れないと前に進めないというのも人間です。前向きに生きるためには「忘れる」ことも「伝える」ことも両方大事なんでしょうね。
被災地の方にはこの3.11は悪夢で、当然忘れたい物であると思うのですが、一方で伝えなくてはいけないという気持ちも同時にあるのでしょう。小林監督のこの映画はそういう被災者の気持ちを代弁しているように僕には思いました。映画のラストで「忘れる」ことを奨励しつつ、映画を作ることで「伝え」ようとする、一見矛盾したその態度が。
思いなんてそんな簡単に真っすぐ一つになんてできるわけないんだから。
今日(3.11)、全国で様々なイベントが「忘れないため」に開催されていますが、きちんと後世に伝える意味のあるものになってくれればいいな思います。お祭り好きの喉元過ぎれば熱さを忘れる日本人の変な特性の発露だけで終わりませんように。