松竹株式会社は、2025年より映画監督・野村芳太郎の再発見と再評価を目的としたプロジェクト「没後20年(2025年)から――生誕110年(2029年)へ 多彩なる多才のアルチザン 映画監督・野村芳太郎」を始動する。
野村芳太郎は1919年に生まれ、黒澤明監督に「最高の助監督」と評され、山田洋次監督をはじめとする優秀な映画人を育てた名匠である。松本清張原作の『砂の器』『ゼロの焦点』『八つ墓村』など、サスペンス映画の名作を数多く手掛けたほか、喜劇、青春ドラマ、時代劇、女性映画と多彩なジャンルにわたる作品を残した。監督作品は88本、プロデューサーや脚本家として関わった作品を含めると110本に及ぶ。
しかし、2025年には代表作『八つ墓村』の公開から半世紀が経過し、その功績が広く認識される機会は減少しつつある。そこで本プロジェクトでは、野村芳太郎の業績を振り返り、そのブランド力の向上を図る。
主な取り組み
1:書籍刊行および特集上映
3月10日、樋口尚文著『砂の器 映画の魔性 監督 野村芳太郎と松本清張映画』(筑摩書房)を刊行。あわせて、池袋・新文芸坐にて3月1日から14日まで、特集上映「監督・野村芳太郎が描く、作家・松本清張の世界」を開催する。
2:未DVD化7作品の配信
キュレーション型配信サービス「JAIHO(ジャイホー)」にて、『最後の切札』『観賞用男性』など、未DVD化の7作品を日本独占初配信。
3:『砂の器』の全国上映
「午前十時の映画祭15 デジタルで甦る永遠の名作」において、『砂の器』を6月27日から7月24日まで上映。
4:公式サイトおよび公式ロゴの公開
野村芳太郎公式HPを開設し、プロジェクトの最新情報を発信。
5:CS・BSでの特集放送
CS放送「衛星劇場」では、「野村芳太郎没後20年特集」として、『ねずみ小僧怪盗伝』『昭和枯れすすき』などを放送。また、BS松竹東急では11月に『砂の器』『八つ墓村』『事件』の3作品を放送予定。
本プロジェクトは、2029年の生誕110年に向け、さらなる展開を予定している。野村芳太郎の映画史における意義を再評価し、その作品群を広く伝える取り組みに注目が集まる。
【野村芳太郎略歴】
1919年(大正8年)4月23日、映画監督で松竹蒲田撮影所の名所長と謳われた野村芳亭の長男として浅草で誕生、撮影所を遊び場として、東京と京都を往復して育つ。暁星学園を経て慶應義塾大学に進学、太平洋戦争勃発に伴い繰り上げ卒業。松竹に入社するも、1942年に応召され、インド東部インパール作戦に従軍する。奇跡的に生還し、松竹に復職。川島雄三、黒澤明監督らの助監督として活躍後、1952年『鳩』で監督デビュー。1958年に初の松本清張原作の『張込み』で評価を高めた。『ゼロの焦点』(1961)、『背徳のメス』(1961)、『左ききの狙撃者 東京湾』(1962)、『影の車』(1970)、『砂の器』(1974)、『事件』(1978)など、松本清張原作を中心にサスペンスの傑作を次々に発表。時に社会派要素の強い重厚な作品もあったが、概ね、いや、悉くが、エンターテインメント性に富んだ作品であった。そのいっぽうで、のちに『男はつらいよ』シリーズの主人公・車寅次郎役で名優となる渥美清の名演技を引き出した『拝啓天皇陛下様』(1963)など、庶民の立場に寄り添った喜劇や青春ドラマ、ラブコメなど、多彩なジャンルで作品を作り続けた。1973年、脚本家・橋本忍主宰の橋本プロに参加。1978年には松本清張と霧プロを設立。プロデューサーとして、『八甲田山』(1977)、『天城越え』(1983)などを手掛けた。1990年、脳出血で倒れた後も自宅で企画を練るなど、現場復帰に意欲を持ち続けたが、2005年4月8日、85歳で死去。1985年のアガサ・クリスティー原作『危険な女たち』が遺作となり、生涯の監督作品は88本だった。2025年、没後20年を迎え、2029年には生誕110年を迎える。
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