NHK大河ドラマ『べらぼう』で、平賀源内のエレキテルの悪評について描かれている。ドラマでは物珍しさから流行したものの、効果がないとしてやがて悪評を呼び、売れなくなったように描かれているが、実際はどうだったのだろうか。
源内が、エレキテルを知ったのは、長崎遊学中のこと。現地でオランダ人が持ち込んだ故障品のエレキテルを入手し、江戸に持ち帰った。源内はそれを復元したに過ぎない。「過ぎない」と言っても、当時はきちんとした設計図もなかったので、自力で中身を解読して動くようにしたのだから、大したものである。
エレキテルはガラス円筒を摩擦して静電気を発生させ、蓄電器(ライデン瓶)に溜めた電気を放電する装置で、西洋では宮廷の見世物や治療器具(静電気治療)として利用されていた。源内はこれを資金稼ぎのために活用しようとした。ドラマでも描かれているように、何台も製造して大名や豪商に売っていたようだ。また、医療器具としても使えると考えていたようで、「硝子(ガラス)を以て天火を呼び病を治し候器物」(ガラスで天の火を呼び寄せて病を治す器具)と説明していた。つまり人体から火(電気)を引き出して病を治す器械という触れ込みで、自らの装置をアピールしたのだ。
庶民の驚きと好奇心
未知の「電気」を発する箱——源内のエレキテルは江戸庶民に強烈な驚きをもって迎えられた。エレキテルの評判は瞬く間に広がり、わりと珍しいものが好きな江戸っ子たちが競って見物に訪れる大人気の見世物となった。好奇心旺盛な大名や富裕層も放っておかず、「新し物好きの大名や豪商」が高額の見物料を支払って源内の実演を招いたともいわれる。田沼意次など当時の改革派官僚も西洋の新知識に関心が高く、源内のエレキテル実験は「当時の人々を驚かせ、意次の関心を大いに引いた」と言われているらしい。ドラマでも、源内と田沼は懇意にしているが、彼らにはエレキテルを通じたつながりもあるのだ。
エレキテルの噂は一般にも普及し、電気という概念を庶民が知るきっかけになったとも言われているらしい。源内はデモンストレーションをよくやっていたようで、それが結構良い収入になっていたとか。
悪評はどう広がった?
とはいえ、物珍しさから一時はもてはやされても、やがては飽きられる。実用的じゃなければ道具は残らないものである。庶民も一度見れば充分と思ったのか、エレキテルブームは長続きしなかったようだ。また、医療効果についても懐疑的な声は多く上がり、ドラマでも描かれたように効かないことがわかると、買う人もいなくなっていった。
そもそも、「こんな摩擦火花で病が治るのかは甚だ疑問」だとする見解も当初からあったようだ。
最も、ドラマでもあったように、エレキテルが評判になると偽物を買ってに作る奴らが出ていて、それが源内のものに輪をかけて効き目がなかったということで、評判を落としたという側面もあるので、そこは源内先生、気の毒ではある。弥七が模造品を作っていたのは史実のようだ。
総じて、源内のエレキテルは一過性の流行物として姿を消したようだ。それでも電気という概念を江戸庶民に知らしめた功績はあると言えるだろうが、珍しい舶来ものの域は出なかったようだ。
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