11年ぶりにシリーズが再始動したフジテレビのドラマ『続・続・最後から二番目の恋』は、60歳に近づいた男女の等身大の姿を、ユーモアと切なさを交えて丹念に描いた秀作の予感がする。舞台は鎌倉。定年や老い、孤独といった避けがたい人生の変化を抱えながらも、登場人物たちはそれぞれの場所で懸命に今日を生きている。
小泉今日子演じる吉野千明は、定年を1年後に控え、セカンドライフについて語るセミナーに参加するもどこか上の空だ。再び人生をやり直すような気分に疲れ、戸惑いながらも、自分の定年後の姿を想像できないでいる。一方、中井貴一演じる長倉和平は、すでに定年を迎えながらも再任用制度で働き続け、社会と向き合い続けている。
本作は、年齢を重ねたからこそ味わえる「生」の機微を、絶妙な台詞まわしと自然な演技で描いている。千明が夜道でつまずき、さみしくない大人なんていないと語るモノローグは、社会の中で存在が薄れていくような感覚をリアルに映し出す。だが同時に、極楽寺駅での偶然の再会や、壁越しに交わす会話、家族や友人との何気ない時間が、人生の温かさを静かに支えている。
特に印象的なのは、コロナ禍でのエピソードだ。孤独に耐える千明に対し、和平は廊下越しに寄り添い続ける。直接触れられない状況下であっても、心の距離はむしろ近づいているという演出が実に見事である。このシーンは、本作が単なるラブストーリーにとどまらず、人生を共にする「同志」としての関係を描いていることを物語っている。
そして2025年。日常が戻った鎌倉で、長倉家や水谷家の面々が再び顔をそろえる様子は、人生の節々にある「再会の喜び」を象徴している。エロ本や腰痛の話に花を咲かせ、笑いながら駅へと走る彼らの姿は、人生の終盤に差しかかっているからこそ尊い。
また、葬儀の帰りに語られるそれぞれの過去のしこりや未消化な想い、そして死に向き合う心情は、老いをテーマにした物語にありがちな湿っぽさを排しながらも、しっかりと観る者に問いかけてくる。自分は大人になれているのか。自分らしく年を重ねていけているのか――。
脇を固めるキャラクターたちの存在もまた、本作に多層的な深みを与えている。人生を折り返してなお、友情を育み、恋の予感にときめく千明。彼女の前に現れた成瀬千次(三浦友和)との出会いは、また新たな風を予感させる。
『続・続・最後から二番目の恋』は、老いや喪失、そして不安を抱えながらも、人生を肯定して生きようとする人々の姿を、温かくもリアルに描いた人生賛歌である。中井貴一と小泉今日子の自然な佇まいが物語に確かな説得力を与えており、「こういう人生も、悪くない」と思わせてくれる。
定年後の不安や孤独を「終わり」ではなく「続き」として描いた本作は、まさに“人生の続編”にふさわしい。何気ない会話のひとつひとつが、生きる力をくれるドラマである。
小泉今日子と中井貴一が歌うエンディング曲「ダンスに間に合う」もいい曲だ。タイトルが良い。人生というダンスにまだ間に合う、いくつになっても。
登場人物
吉野千明(小泉今日子)
長倉和平(中井貴一)
長倉真平(坂口憲二)
長倉万理子(内田有紀)
水谷典子(飯島直子)
長倉えりな(白本彩奈)
長倉知美(佐津川愛美)
水谷広行(浅野和之)
水野祥子(渡辺真起子)
荒木啓子(森口博子)
成瀬千次(三浦友和)
早田律子(石田ひかり)