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青春のメタ批評と神の不在。映画レビュー「桐島、部活やめるってよ」

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高校に限らず、日本の学校の人間関係は、妙に危ういパワーバランスの上に成り立っている。なにかのきっかけでどこかにヒビが入ると即座に決壊してしまうような脆い人間関係。というか、学校は全く考えも個性も異なる人間同士でむりやりコミュニティを作らされているような場所なのだから、そのコミュニティは本来脆いものだ。

青春映画、というジャンルがある。いろんなタイプの作品があるが基本的には青春という人生の中で一瞬の輝きをエンジョイしようぜ、的な価値観を軸とする。

日本の青春映画の舞台は当然ながら、学校を舞台にした作品がほとんどだ。ステレオタイプに言うと、わずかなヒビで決壊する危ういパワーバランスの上に成り立つコミュニティで輝ける時間を謳歌する様を描くのが日本の青春映画ということになるか。

2012年の現在、それは嘘くさい響きしか感じない。むしろ現実では、そのわずかな青春の時間を謳歌することよりも、生徒達が集中しているのは、その妙なパワーバランスを壊さないように努めることかもしれない。

この映画「桐島、部活やめるってよ」は、そんな青春映画の嘘くささを描いた映画と言えると思う。ベタな青春を描くでもなく、アンチ青春でもなく、脱・青春映画とでも言えばいいか。青春映画の舞台を用いながら、青春映画の外側に位置している。

それを可能にするのは、桐島の不在だ。登場人物の会話には度々出て来大きな存在感はあるが、一切画面には登場しない。演劇好きならサミュエル・ベケットのゴドーを待ちながらを思い出しそうな手法だ。

様々な解釈があるが、ベケットのゴドーを待ちながらのゴドーとは、ゴッド(神)もじりと言われる。登場人物の2人は、木の下でゴドーを待っているがいつまでたっても現れない。神の登場を待望すれが、神が不在。救いのない世界で救いを求めざるを得ない不条理を描いていた。

登場人物たちの話を総合すると、桐島はクラスで一番スポーツ万能で、女にももて、勉強も優秀だという。まさに絵に描いたような青春映画のヒーローだ。ゴドーにならうと、青春映画の神というべきか。

神、桐島が突然部活をやめ、学校にも姿を表さなくなったところから物語が始まる。バレー部はエースを失い、困惑し、クラスで一番の美人の桐島の彼女は余裕を失い、桐島の悪友の3人の男子は放課後の目的を失う。
そうして連鎖反応的に高校のあやうい人間関係が決壊していく。

神が消えて、リアルな世界に直面した登場人物たちは、いつまでも桐島の再臨を望んでいる。桐島が抜け、レギュラーの座を掴み、桐島の穴を埋めるべき必死に努力するバレー部の小泉ですらどこかで桐島の復帰を望んでいる。

ただ、そんなクラスの決壊とは関係ないところにいる連中がいる。映画部の連中だ。生徒会・オブ・ザ・デッドという超絶B級ゾンビ映画を制作している彼らは、桐島の不在で現実に直面する連中をよそに輝きを増していく。

そういう彼らを世の中の流れに目を向けず、趣味の世界だけに没頭するオタク連中、と揶揄することもできるかもしれない。しかしそれは間違い。すでに絵に描いたような青春など存在しないことをあらかじめ彼らは見抜いていいただけだ。だから、彼らは青春を謳歌するレースから最初から降りていた。彼らの方が気づくのが早かったのだ。
神の不在の時代に彼らの方が速く対応していた。

神をストレートに宗教的な意味の神様と捉えてもいいのだが、ここにたとえば経済成長神話を代入してもこの映画の批評性は十分に通用する。日本はこれ以上豊かにならない。神という不在の幻想を信じることがもはやできないのと同様に、その成長神話を信じることできない時代に、僕らはどう生きていくべきかを突きつける。

ゾンビのように何も考えずに生きるか、それでも敢えて青春に挑むために野球部に復帰するような姿勢で生きるか。

映画は答えを出さず、あなたはどうする?と静かに問いかけている。

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