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反イスラム映画と映像のプロパガンダ力

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YouTubeに投稿された13分ちょっとの短い映画がイスラム社会を怒らせている。
7月にYouTubeにサム・バシルというアカウントのチャンネルにInnocence of Muslimというタイトルの動画が公開さた。コプト教徒のネットワークを通じて徐々に広まったこの動画、エジプトのテレビ局がアラブ語の字幕を付けて放送したことから、一気に知れ渡り、エジプトで反米デモが勃発し、リビアにも飛び火。アメリカ大使館を含む4人が死亡する事態に発展。その反米デモは未だに広がり続けている。
イスラム圏デモ、死者17人に エジプト220人拘束 豪州にも飛び火 (産経新聞) – Yahoo!ニュース

製作者、サム・バシルのアカウントの所有者とも見られるのは、ナクラ・バスリ・ナクラというコプト教信者。サム・バシルは偽名で、この偽名で持ってウォールストリートジャーナルやAP通信の電話取材にも応じていたよう。

このナクラ氏は、銀行口座を偽名で作ったかどで実刑を受けて保護観察中で、多くの偽名使って銀行口座を開設してソーシャルセキュリティナンバーを盗むようなことを常習的にやっている人間らしい。
Anti-Islam Filmmaker Went by 'P.J. Tobacco' and 13 Other Names | Danger Room | Wired.com

件の映像作品は、全くもってド素人以下の作品(作品と呼べる体をなしていないとうべきかも)で、映像作品としての価値は0。にもかかわらずなぜこれがこんなに大きなうねりを起こしてしまっているのか。

この作品は制作時には、スタッフ・キャストには反イスラムを訴えるものだとは知らされておらず、YouTubeアップさらた作品は後から台詞を吹き替えたりして、当初の内容を歪曲させていることが確認できる。

この映画の制作に参加したクルーが匿名で証言したところによれば、企画時のタイトルは「Desert Warrior」。内容は反イスラムを煽る内容ではなかったようで、「戦争ドラマ」だと知らされていたらしい。
'Innocence of Muslims': Mystery shrouds film's California origins – latimes.com

実際に俳優の募集要項では、主役のキャラクター名が「George」だったらしい。そのジョージがYouTube版ではムハンマドと扱われ、卑猥な行動を取っている。

この映画、YouTubeにアップされる2週間ほど前にハリウッドにある古い映画館Vine Theaterで一日だけ公開されている。その時のタイトルは「Innocence of Bin Laden」

これが劇場前に貼られていたポスター。

Via LA Times

10人以下の観客しか集めていなかったようで、観た人の証言によれば、特に反イスラムを煽るような内容ではなかったそうだ。

スクリプトのコンサルタントを担当したと自称しているスティーブ・クラインはこの映画の制作目的を、「イスラム過激派を引っ張りだすため」とLAタイムスの取材に応えていて、映画上映のチラシをモスクなどに配布したそうだ。
要するにビン・ラディンを称揚するような内容の映画だと宣伝して、そこに集まった連中を要注意人物としてマークするつもりだったということだと思う。
ということは劇場公開時は、反あからさまなムハンマドを蔑む内容では少なくともなかったようだ。ビン・ラディンに心酔している人物をあぶり出そうということだから、むしろ真逆の内容だったのかもしれない。
'Innocence of Muslims': Mystery shrouds film's California origins – latimes.com

このスティーブ・クラインという男がどれほどYouTube版の制作に関わっているかはわからないが、本人は否定しているよう。しかし、「世界の目をイスラムの危険に向けさせたい」などとも話している。

クライン自身もベトナム経験者の退役軍人だが、彼の息子もまた軍人でイラク戦争に参加し、怪我を追っているようだ。思想的にはからさまな反イスラムのようで、カリフォルニア中のモスクを訪れ、500から750ほどの伊自爆テロ予備軍を見つけた、などと云っていて、相当に偏って思想の持ち主であるのは間違いないようだ。
Steve Klein, anti-Muslim film promoter, outspoken on Island | GoUpstate.com

監督を努めたのは、ナクラ・バスリ・ナクラ氏ではどうやらないらしく、Alan Robertsというポルノの監督のようだ。本人が証言したわけではないようだが、2011年に撮影されたDesert Warriorのコールシート(撮影時に配布される役者やスタッフの名前を記したリスト)に名前が記載されていたようだ。このロバーツ氏を良く知るDavid A. Prior氏がロバーツがこのプロジェクトについて話していたと証言していることから濃厚だろう。

どういう経緯でこの仕事を引き受けたのかは不明だが、YouTubeにアップされたバージョンにまで関わっていたとは考えにくい。あまりに雑な吹き替えと編集はあきらかにプロの仕事じゃない。おそらく劇場で公開した完成品までしか関わってないと思う。

ナクラ氏は現在LAカウンティの警察のシェリフによって身柄を拘束されていて、映画の関わりを否認している模様。

ナクラ氏とクライン氏は自身の浅はかな思想のプロパガンダに映像という手段を選んだ。映像は文字や音声データと比較しても最も情報量が多く、それだけに強い訴求力があるメディアだ。
映像がプロパガンダ利用は、第二次大戦のナチスドイツから始まり(日本も国威発揚映画がたくさん作られた)、今でも延々と続いている。映像には明確にメッセージを発さずとも、優れた作品ならたくみな編集やイメージによって無意識化に働きかけることも可能だ。

そういう歴史を振り返ると、映像表現とはホントに怖いものだと思う。しかし、映像の恐ろしさは一般的には見えにくい。文字で恐ろしいことが書いてあれば、それは明確に可視化されているけど、文字として処理される情報とは違って感覚に直に訴える映像の本当のメッセージは、普通の人には見えにくいものだし、自分が影響された自覚も持ちにくい。それだけに(もちろん文字でも音声でも発する情報に責任を持たなくてはいけないけれども)映像は特に取り扱いに注意しないといけないメディアであると思ってる。

今回のこのゴミのような作品は、全くもってそんな巧みな映像表現などはなく、ひたすら素人くさい作りになっていて本来なら大した力も持ち得ないような作品だったはずだ。逆にこの無理矢理とってつけたようなアフレコの汚い音声と雑な編集が、かえって製作者の「むき出し」の憎悪を想起させる。お抱えの映像作家、レニ・リーフェンシュタールの計算され尽くした巧みな映像コントロールでパブリックイメージを磨き上げたナチスとは真逆で、その素人くささが憎悪の生々しさと浅はかさが逆に演出されてしまっているとも見て取れる。

その意味で、この映画は非常に良く彼らの軽薄な憎悪を表現できている。本人たちは巧みに尊い思想を表現したつもりかもしれないが、その意図とは裏腹に底の浅さが透けて見える。

こうしたむき出しの浅はかな憎悪が、無邪気にインターネットで拡散されてしまうとは本当に恐ろしい時代になったと思う。この映画の製作者当人たちはどこまでこの映画が影響力を持つ事になるのかについて、どこまで想像していたのかわからないが、ここまで広がり、アメリカ大使が死亡する自体まで想定していたのだろうか。もうすでに彼らの手に余る事態に発展している。

自由な表現の場があること自体は素晴らしい。
しかし、今回の例は、映像の素人でも、その力の恐ろしさに無自覚な人間でも、誰でも簡単に撮影できて、発表できる自由があるということは恐ろしいことでもある。

刃物の正しいい方を知らない人間に刃物を渡すのは危険だ。同様に映像の力を知らない人間にカメラとYouTubeのようなツールを渡すことも危険なのだろう。

この時代、情報と表現が人を殺してしまうことがある。それどころか一歩間違えれば戦争を引き起こしかねない。

武田徹氏の著書「戦争報道」は、現代の戦争は,メディアにより,戦争として報じられて初めて始まると云う。
元サッカー日本代表監督、ボスニア出身のイビチャ・オシム氏の有名な言葉として「新聞記者は戦争を始めることができる。ユーゴの戦争もそうした始まったようなところがある」というものがある。

情報を発信できるのは、新聞記者や映像作家だけでは無くなった。僕ら一般人が今では大量に情報を発信している。ある時は何かと意図して、ある時は何も考えず。

メディアが戦争を作るのだとしたら、そうした無自覚に発信された情報で戦争が起きる時代が来るのかもしれない。

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