月イチでやってきた映画レビュー、諸事情により今回でいったん最終回です。『映画キミとアイドルプリキュア♪ お待たせ!キミに届けるキラッキライブ!』をやっていきましょう!
月イチで書いている、途中からネタバレありのガッツリ映画レビュー記事、どちらがいいですか?のアンケートです。今回は2択で…!
— ヒナタカ@映画 (@HinatakaJeF) September 29, 2025
個人的にお気に入り度:9/10
映画.com:4.2/5 Filmarks:4.1/5
目次
『ゲ謎』の脚本家最新作だった
これは傑作でしょう…! まず注目すべきは、脚本家が『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』の吉野弘幸であること。同じ場所にいて想いを共にする人々の「業」と「愛」を描き、最後に涙腺崩壊させる手腕が、今回の『映画キミとアイドルプリキュア♪』と共通しています。
さらに、アイドルを推すこと、ひいては「本当の気持ち」に向き合うことを讃えつつも、残酷な「時間」についても向き合った物語になっているんです。それに付随して、『キミとアイドルプリキュア』というコンテンツの核心に迫る内容になっているんですよ…!
何しろ、雑誌「アニメージュ」2025年10月号にて、小川孝治監督は、プロデューサーと脚本家の吉野弘幸に「プリキュアの名前に『アイドル』が入っている必然性を映画で描きたいとお伝えしました。特に『キミと』の部分を具体的なストーリーに落とし込めたら、説得力が出るんじゃないか」と語っているんですから。
その通りで、物語上での「アイドル」と「キミと」を掘り下げたことが本当に素晴らしいですし、積み上げたあの気持ちからの、あの光景を見たらそりゃ泣きますよ。しかも映画館で体験するライブ映像としても素晴らしく、大人にこそ大推薦したいのです。
物理で戦うアイドルは世界で戦える
『プリキュア』はもともと女児向けのコンテンツですが、大人のファンが多いことは周知の事実であり、そのエンタメとしての「型」は世界で戦えるポテンシャルがあると思います。
たとえば、この『キミとアイドルプリキュア』と同様に、アイドルをしながら悪と物理的に戦うアニメ映画『KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ』がNetflixで史上最高の視聴回数を塗り替えていたりするんですから。
また、プリキュア映画の屈指の傑作『映画HUGっと!プリキュア♡ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ』の宮本浩史監督が、世界的人気を誇るゲーム『DEATH STRANDING』のアニメ映画を手がけるというニュースもあったりします。
デス・ストランディングのアニメ映画プロジェクト、発表されました。
僭越ながら、宮本は監督として参加させていただいています。
子供の頃から憧れ続けてきた小島秀夫監督にプロデュースしていただき、脚本は数々のハリウッド映画・ドラマを手がけてきたアーロン・グジコウスキ氏。… pic.twitter.com/IoQDhPHp7P— 宮本 浩史 / HIROSHI MIYAMOTO (@gatyapen) September 23, 2025
その『映画HUGっと!』は、「たくさんのヒーローが異なる絵柄のまま戦う」すごさを『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』から遡ること6年前に達成している作品ですし、後述するように今回の『映画キミとアイドルプリキュア』と部分的に一致しているところもあるので、ぜひ見てほしいところです。
さてさて、以下からはネタバレ全開で、解説・考察を語りましょう。
↓以下からは『映画キミとアイドルプリキュア』の結末も含むネタバレに触れています。鑑賞後にお読みください↓
ネタバレ:アイドルと時間の残酷さを描く
本作の物語の何がすごいって、アイドルという存在が「期間限定」のものだとはっきり言い切っていること。
劇中の昭和のアイドルが自ら姿を消した理由は「年老いた姿を見られたくなかった」から。長い長い時間をかけて完成するサンゴでできた島の住人たちとは、生きている時間の残酷なズレがある。それはすなわち、推しの活動を楽しんでいる普通の人の人生と、アイドルがアイドルとして活動する時間の隔たりも、また大きいのだと……。
「朽ちつつある手帳」や「シワがある手」、そこに咲いていた「白い百合」の花言葉は「純粋」「無垢」「威厳」、さらに「清浄」であることから、死者の霊の浄化にも関連づけられています。つまり、「アイドルが年老いて死ぬ」という事実を、やや間接的な表現ながらしっかり描いているんですよね。
ネタバレ:逆『サブスタンス』だった
言ってしまえば、本作が描いていることは映画『サブスタンス』の逆です。同作では男性中心のコミュニティで「年齢を理由に降板」され、「若さ」こそが絶対的な価値観になってしまう問題を描いていることに対し、『映画キミとアイドルプリキュア』では「老いたら、もうあなたの推しではなくなってしまう」からこその選択を描いているのです。
こう書くとエイジズムを助長しないかと心配にもなるかもしれません。実際にその危うさに思いっきり足を踏み入れている内容ともいえるのですが、「それ以外の価値」を肯定していることがミソ。それはアイドルの一瞬とも言える輝き、つまり「出会えたわずかな時間」です。
これはアイドルに限らず、何かの「この時だけ」のコンテンツに触れていたり推しがいた人にとって感涙ものなのではないでしょうか。それがいつかなくなるもの、その対象が老いてしまっても、思い出や、受け取った何かは決してなくならないはず。それはむしろ、「誰しも老いる」という残酷な現実への、究極の回答なのではないでしょうか。
また、終盤には『わんだふるぷりきゅあ!』の面々も合流しますが、彼女たちも「人間」と「犬」または「猫」の存在であり、もちろん人間と動物とは生きている時間が異なる、ということにリンクしているのもウルっとさせるのです。「時間が有限であることは普遍的な事実であり残酷だけど」「だからこそ、その時間が尊い」というのはとても大切なメッセージだと思うのです。
ネタバレ:アイドル嫌いの少女・テラの正体
女神のアマスは「私は誰にも愛されないし、私も誰も愛さない」という痛切な言葉をつぶやいたことがあるものの、昭和のアイドルを「ああ…なんてかわいいんだろう! なんて人に愛され、愛することに一生懸命なんだろう!」と喜ぶという、若いアイドルの推しがいる独身成人女性そのものな心理が絶妙にリアルです。
そして、アイドル嫌いの少女・テラは、アマス自身が全てが闇にのまれないようにと引き離した「小枝」でした。そのテラは「アイドル嫌い」になっていましたが、これも意味深です。何しろ、好きなものに対し同時に嫌いにも思うという矛盾は、よくあることだから。
そのテラが子どもであることも、「大人の自分が少女に思い入れていた」アマス自身の葛藤の表れ、たとえば「自分も少女だったら推しのアイドルと対等でいられるのに」という気持ちのように思えるのです。
ネタバレ:「孤独」への究極の回答
本作は推しがいる人の「孤独」にも向き合っています。何しろ、簡単には推しも作らないと言っていたテラが1000年の孤独な時を過ごすことがわかってしまう、それでも「推しのライブが待っていると思えば、1000年なんてあっという間」とつぶやくのですから。
それでも彼女がそれだけの長い時間を過ごしていたことを思いつつも、観客が最後にキュアアイドルたちの煌びやかなコンサートを見れば、もうそりゃあテラの気持ちがわかって泣きますよって……。
さらには、『わんだふるぷりきゅあ!』と『ひろがるスカイ!プリキュア』の面々も加わっての歌とダンスも披露します。前者は1年、後者は2年経っているコンテンツなので、彼女たちのファンにとっては、テラの1000年とはまでは行かなくとも、時間が経ってようやく見られたという気持ちとさらにシンクロするんですよね。
また、アマスとテラの名前の元ネタは「天照大神(あまてらすおおみかみ)」で、日本風の衣装やアマスが引きこもってしまうこともそこに由来しています。加えて、アイドルの語源である「偶像」のように石像となる様も上手いものだなあと。とことん「アイドル」に向き合った作品であり、「1000年の時を超えてライブを待ってくれた」「キミ(テラ)」に届ける物語として完成されています。
なお、前述した『映画HUGっと!』もまた「孤独」と向き合った作品であり、観客が『プリキュア』シリーズを見てきた思い出が、悪役となるキャラクターと一致していくという、メタフィクション的な構造がある内容となっています。今回の映画と併せて見ればこそ、『プリキュア』の作り手はなんて優しいんだろう……と思えるはずですよ。
ネタバレ:ちょっと気になった欠点も
最後に気になったことをあげておくと、前半はなかなかに複雑な設定の説明が多く、アニメとしての面白さに乏しいことは欠点かなと。2つに分かれたチームそれぞれの視点を並行して手早く語るという工夫もありますし、そもそもが1時間11分という子どもが飽きないためのタイトな上映時間にしているので、仕方がないとも言えるんですけどね。
また、せっかくアリやロボットやゾンビのアイドルが登場するのに、彼女たちのライブシーンがないのももったいないなと。モブキャラのライブシーンや楽曲まで作るとなると、予算も作画も追いつかないのでこれまたしょうがないのですが、せめて1枚絵の連続でもいいので、もう少しはっきり示しても良かったのではないかと。
でも動物たちのアイドルのゴリラのお姉さんが、カッコよくて憧れる存在として描かれているのは良かったですし、ゾンビのアイドルのライブは10月24日公開の映画『ゾンビランドサガ ゆめぎんがパラダイス』を楽しみにすればいいですから……(やや暴論)。
ネタバレ:悲しい物語があるからこそ
また、昭和のアイドルの選択はどう考えても悲しいことなので、たとえば彼女がアイドルを引退しても、早く年老いて亡くなってしまうとしても、サンゴの島の住民たちと仲良く過ごすという可能性もあったのでは……とも思ってしまうんですよね。彼女は元いた場所へも帰れなかったわけで、やはりかわいそうすぎるな、と。
でも、その昭和のアイドルの悲しい物語があるからこそ、主人公のうた(とメロロン)とラテが、アイドルとファンという関係だけではなく、海辺で友達のように過ごしていた時間を描いていた、とも言えるんですよね。ラテは自分のところにヤミクラゲが来るとわかってても、少しでもうたと一緒にいたいと思っていた、それはつまり友達と思っていたというわけですから。
昭和のアイドルができなかったことを、うたとラテはめいっぱい叶えてくれたということ……そんな「キミ」のための物語を好きにならざるを得ないのです。

映画ライター。WEB媒体「All About ニュース」「マグミクス」「ねとらぼ」「女子SPA!」「NiEW(ニュー)」、紙媒体「月刊総務」などで記事を執筆中。オールタイムベスト映画は『アイの歌声を聴かせて』。ご依頼・ご連絡はhinataku64_ibook@icloud.comまで。