via ヤマカム
先週発売の週刊少年マガジン12号に掲載されている「聲の形」を読んでみました。マガジンを購入するのは何年ぶりだかわかりません。マガジンに限らず最近雑誌を買った記憶がありませんが。
なるほど、確かに非常にクオリティの高い作品だと思いました。1話完結の読み切り作品で、いくつかの漫画的誇張表現などが含まれているかもしれませんが、作品全体のヒリヒリするリアリティは大変素晴らしい。
キャラのリアリティというよりは、環境のリアリティがすごくて、先生の事なかれ主義っぷりやクラス崩壊の様など、まるで自分の中学時代を見ているようです。同じエピソードがあったとかではなく、似たような『匂い」のする事柄を誰しもどこかで経験していると思うのです。
いろいろなサイトやTwitterなどを見て見ると、賛否両論のようです。絶賛する声もあれば、障害者は無垢であらねばならないのか、とのお怒りの声や、マガジン編集部の煽りがウザいとか。
編集部が掲載を逡巡し断行した、という謳い文句で掲載されていた、という周辺事情は作品のクオリティとはまた別のものとして評価しないといけない部分だと思います。僕はそこにあまり興味はなく、作品の質と何を描いた作品を専ら考えたいです。最もあれを掲載することがなぜセンセーショナルなのか、という問いは十分に考えるの値するテーマではあるのですが、作品の持つ魅力がそこよりも僕の関心を真っすぐに作品そのものに向かわせてしまっています。それぐらい力のある作品だったということです。
この作品はいじめていた少年、ショーヤの一人称で語られる物語となっています。基本的にここに描かれているものは彼を通して見た世界であり、彼の感情以外は描かれていません。一人称で語られる物語とはそういうものですね。
一人称のスタイルを取ったことは、この作品にとって非常に重要なです。これが三人称で耳の聞こえない少女、硝子や先生の気持ちまで入り込んで描いてしまったら、この作品はヒドく偽善的なものになったでしょう。
有り体にいってしまうと、この作品は耳の聞こえない人々への理解を描いた作品ではなく、そうした少女に出会い、理解することができなかった少年の後悔と葛藤を描いた作品となっています。作者は人がたやすく他人の気持ちを理解できないことをよく知っているのでしょう。残酷なくらい知り尽くしているのでしょう。
そう簡単に人の気持ちをわかった風な態度で描くことなどできない。きっと作者はそう思ったのだと思います。ましてや自分と全く違う環境に生きてきた硝子のような存在を。
作者になる、というのは何でもできる神のようになることだと思うことかもしれませんが、実際にはそんなことはないのです。自分で設定したキャラの事も満足に理解できないこともあるのです。
未熟な若いころは尚更そう。
この作品世界の中で、作者にとって、実感を伴ってリアリティを作り出せるポジションがどこなのか熟考した結果か、それしかないと自然に出てきたものかはわかりませんが、ショーヤのポジション以外にリアルな気持ちを描けるポジションがないと思ったからこその一人称なのでしょう。その意味で非常に作者は誠実だと思います。
だから先生がなぜあんなにも無能で、無責任なのかを描かれません。生徒から見たら大人の事情はわからない。あの大人の事情にひょって傷つけられたことがある人はたくさんいるでしょう。だからこそ、ショーヤの気持ちは読んでてヒリヒリするほど伝わってくるし、もし硝子がそんな大人の事情によって犠牲になっているのだとしたら、そこに一縷の共感の可能性を見いだせるのです。
硝子があまりにもイノセントな存在すぎる、という批判もあります。おそらくそれはその通りで、障害者に無垢であれ、とのイメージを押し付けることもまた残酷なことだと思うのです。
しかし、もし作者がそんな障害者たちの「意」を汲んだ気になって、ダーティで適度に汚れた障害者像を示したとして、それは果たして成功したのだろうか。熟練のストーリーテラーが綿密に取材をして取りかかればもしかしたら可能かもしれないが、当時19歳の作者にそれを期待するのは酷かもしれない。いや、仮に作者が天才であったとしても、なぜ彼女が誰かを代弁できるというのか。
フィクションだろうと、ノンフィクションだろうと、ドキュメンタリーだろうと、時に作家は誰かの苦しみを代弁していると錯覚することがあります。本当はだれの代弁もできず、自分のフィルターを通した世界を提示しているに過ぎないのに。
自分の声はどこまで言っても自分の声でしかない。
問題を解決するとか社会に問いかけるとかそんなことを大上段に構えない。作者はおそらく自分に対して問いかけている、その真摯な問いかけがとにかく胸を打つ。
青春時代の傷がまだ実際に残っている時にしか描くことのできない類いの作品です。まだ傷の癒えない若い頃でなくては描くことのできないリアルな痛みが凝縮された素晴らしい作品でした。
マガジン編集部も自分たちに真剣に問いかけてほしいと思います。1週限りの読み切りという形でしか本当にこの作品を世に出すことができないのかどうかを。