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映画レビュー「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」映画と一緒に想い出がスクリーンに映る

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「あの花」こと「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」という作品は、作品と向き合っている時、不思議なくらい自分の人生と向き合わされてしまう。

ケビン・コスナー主演、フィル・アルデン・ロビンソン監督の「フィールド・オブ・ドリームス」に似た設定のこの映画。「それを作れば、彼はやって来る」という不思議な声に導かれ、自身の所有するトウモロコシ畑に野球場を作った男。彼は若い頃に父親と口論の末、家を飛び出し、以来一度も合わずにいることを悔やんでる。
ある日、トウモロコシ畑の野球場にかつて八百長事件で追放されたシューレス・ジョー・ジャクソンのゴーストが現れる。男はその後も不思議な声に導かれ、様々なことを実行し、最後に父の姿と野球場に見つける。

「あのはな」も同様に失ったものが帰ってくることをきっかけに物語が進んでいき、バラバラになってしまった仲良しだった子供たち「超平和バスターズ」が絆を取り戻す。

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現実の人生は、映画と違って失ったものは帰ってこない。時間を戻すこともできない不自由な現実に比べて映画はなんと自由だろうと思う。失ったものが帰ってきて、自分が失ったモノを取り戻すきっかけを手伝ってくれるなんて。
でも絵空事として一笑に付すことはできない。そういうことを願ったことはみんなあるはずだ。

情景のリアルさもあいまって、この映画は見ている人自身の記憶をやたらと刺激してくる。映画を見ていると同時に自分の人生を自然と重ねてしまう。そんなわけでこの映画のレビューは想い出語りになってしまう。
これは比喩で言うのではなく、本当に映画を見ながら脳内スクリーンには想い出が甦りまくっていた。

中学時代、初めて女の子に告白された時、嬉しかったのに断ってしまったことがあった。特に確たる理由もなく断ってしまったことを悪いと思いながらも、照れくささに勝てなかった。彼女の目には失望の目がありありと浮かんでいたのを覚えている。場所は階段の裏だった。

高校に入り、その子は割と荒れていたらしい、と噂で聞いていた。属にいうビッチというやつか。実際に会う機会はなく友達の噂の噂みたいな話だったので、本当のところはどうだったのかわからないのだけれど、自分の選択が彼女に何らかの影響を与えたかどうかわからないけど、勝手に小さな責任を感じていた。ゆきあつのめんまの死への自責ほどではないにせよ、勝手に重荷を背負おうとしていた。

でもそんな風に僕の選択が誰かの人生を変えてしまうことはあったに違いない。この映画の超平和バスターズの面々がめんまの死にそれぞれの思いがあったように。
でも、高校生当時の僕は、それよりも映画を見ることにご熱心で、じんたんのように出席日数ギリギリをキープしながら、都内の映画館に行きまくっていた。教室にいた時間と映画館にいた時間、どっちが長かったろう。学年2位の成績で入学した学力もすっかり下から数えた方が早いくらいになっていた。創立10年ほどの新しい学校で、その当時は中途半端な進学校な感じだったけど、毎年1人くらいは東大に進学していたから、先生方はきっと残念に思っていたろうな。実績作ってやれなくてすまんね。

当時は小室哲哉全盛期、安室奈美恵も全盛期。ミニシアターが多い渋谷にはよく行った。今西野カナを歌うあなるは、もしあの時代にいたら、きっと黒くて安室を歌ってマルキューで買い物をするに違いない。平日学校のあるはずの時間に映画館に向かう途中も渋谷ではたくさんの女子高生を見た。なので学校に行ってない自分は特別ヘンとも思わずにすんだのはそういう子たちのおかげなのかもしれない。好きなことに時間とお金を費やしている彼女達は勝手に僕の中では同士だった。
映画の上映までの時間はマックで時間をつぶしたりした。席は大抵窓際で、それはガラスをスクリーンに見立てて、外を見るのが映画を見ているような気分になれて好きだからなのだが、そういえばあなるも窓際の席に座って手紙を書いていたな。窓際はいいよね。

映画館にばかり行って、学校にいる時間が短かったので、高校時代の想い出はほとんど作らずに終わってしまった。体育祭もめんどうだからパスした。もっと他の選択肢がなかったものか、と思う。でも映画を見に行く時間を捻出するのも、映画代を捻出するのも大変だったのだ。別に金持ちの家でもなんでもないので、自分でバイトして稼ぐしかない。親も映画に理解があるとかではないので、映画代を出してくれるわけもない。なので夜はほぼ毎日バイト、なので学校終わったあとに映画を見に行くという選択肢はないので、平日昼行くしかなった。土日はもちろん2、3本見ていたけど、それでも時間が足りなかったのだ。でも別の選択肢についてはいつも想像してしまう。卒業式の日にクラスみんなでカラオケに行った時なんて特に思った。

有名大学なんぞに目もくれずに日本映画学校(現:日本映画大学)に進学した。この学校は座学よりも実践が中心。とにかく一年の半分以上は、学生だけで実際に映画を完成させることに費やされる。スタッフも監督も全員学生で行うので、だれもが監督でるわけではない。2年時演出ゼミにすすんで、本格的な実習に入って各自脚本を書いて投票で選ばれた学生が監督を務める。僕は最終選考で漏れた。1年時の夏休みの長編の脚本の課題も上から4番目、という好成績だったが、ここでも上から3番目の人気という成績だった。長編の脚本の課題の上位3本は学校の発行している広報誌のような雑誌に前編掲載される。2年時の実習では各ゼミ2本の短編を製作する。どっちも次点であった。もう一歩踏み込みが深ければ届いたかもしれない、というポジションに落ちてしまうことが本当に多い人生な気がする。
つるこの絵の才能みたいなものか。

2年の実習では1スタッフとして全力を尽くしたつもりだったが、「いつも次点病」の僕は、いつも何か足りない気分になる。スタッフとして全力を本当に尽くしていたのか、自信がなかった。
しかし、監督に選ばれた側も、それはそれで苦労がある。曲がりなりにも自分の脚本をみんなの力を借りて映像化できる僥倖を得ながら、想い通りにいかない苦悩を感じているようだった。そいつは自信を失くしたのか、脚本が書けなくなった。卒業制作は学年で4本長編を製作するのだが、これも脚本を提出して投票によって誰を監督にするのか決める。そいつは脚本を提出しなかった。そんなに想い通りに作品を作れなかったことが響いたか。一度は同じ作品の完成を目指した「同士」、同じ釜のメシを食った仲間にそうやって脱落されるのは辛かった。オレの働きが十分じゃなかったのかもしれない、と「いつも次点病」に冒されていた僕は考えてしまった。(ちなみに卒業制作は、オレがいなかったらあの作品は絶対に完成しなかった、と言える自負がある。まあそれはいいや)

普段こんなことは忘れている。仕事に忙しいし、ブログを書くのに忙しいし、新しい映画を見るのに忙しいし、TwitterやFBにry)
こんなに色濃く自分の人生を振り返れる時間は久しくなかった。「あのはな」は本当に貴重な時間を提供してくれた。

映画学校時代の同級生が先月結婚した。卒業後、念願だった映像の編集の仕事に就き、バリバリ働いていたけど、身体を壊して長期入院して、そして映像業界から足を洗ったやつが。相手の旦那は映像業界の人間ではない。
あそこで仕事を辞めていなければあの旦那さんに出会うこともなかったんだろう。なのできっと悪い選択じゃなかったのだ。何かを失うことも実はそんなに悪いことでもないかもしれない。(ちなみにオレが二次会の幹事だった。映画学校生の出席率の悪さにビビる。そして出席した連中の私服率の高さにもビビる。映画学校以外の出席者には見事に私服は1人もいなかったぞ。。。。)

ああ、それと今年アメリカ留学時代に知り合った台湾人の友達が日本に遊びにきた。こいつは女だてらにぼっぼのように世界中を飛び回っている。台湾にも遊びに来なよ、と言ってくれるのはいいんだが、オレがもし台湾に行ってもお前が台湾にいないことの方が多いだろ。実際去年も半分以上国外にいたようだし。

他にも本当に、いろんなことを思い出しながら、この映画を見ていた。まるで人生をもう一度体験したかのような鑑賞体験。こういう素晴らしい作品に出会えて本当に嬉しい。

じんたんが左利きなのも嬉しい。僕も左利きなので。小さいころ矯正しようと親はそうとう頑張ったらしいが、頑として抵抗したらしい。それが僕の人生にとっての最初の、何かを守るための戦いだったに違いない。覚えちゃいないが、その時諦めないでよかった。おかげで今でも諦めの悪い人間になることができた。

岡田麿里、田中将賀、長井龍雪の三人の名前は特別なものになりました。これからもずっとこの三人の作品を見ていきたいと思います。

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