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納豆やボウリングは殺人とは関係なく、アニメやマリリン・マンソンは殺人を誘発するんですか?

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どの番組か特定できていないが、こういう報道があったようだ。

http://twitter.com/__SHlNO__/status/388086164613111808
殺人事件の報道のテロップに犯人がアニメ好きだという、どうでもいい情報が加えられている。
このツイートでの指摘がそのものズバリで特に付け足す必要もないのだが、テレビの短い放送枠の中で、何を伝えるべきなのかもう少し考えていただきたいところだ。

マイケル・ムーアが監督した「ボウリング・フォー・コロンバイン」というドキュメンタリー映画がある。
コロンバイン高校の銃乱射事件についてのドキュメンタリーだが、タイトルの由来はこの乱射事件を起こした少年たちはボウリング好きだったことからつけられた。

これは皮肉であって、事件発生当時、メディアではさかんにこの少年たちがマリリン・マンソンが好きだったとあたかも少年たちの犯行にマンソンが影響を与えたと批判されたのに、事件当日少年たちが趣味のボウリングをプレイした後に犯行に及んだことを報道しないのはおかしいという意味を込めている。

映画の中でマイケル・ムーアがナレーションで、なぜあのでかい鉛玉を力いっぱいブン投げ、ピンを倒すという暴力的なスポーツが少年たちの心理に影響を与えたかもしれない、と報じないんだ」と彼独特のユーモアで語る。

実際にコンサートの中止にまで追い込まれたマンソンは映画のなかでムーアのインタビューにこう答えている。
「なぜ俺が攻撃されるのかわかるよ。俺を犯人にすれば簡単だからだ。」

もっともこの事件の場合、犯行に及んだ少年たちはマリリン・マンソンのファンではなかったことが後に判明しているが。

宮崎勤のころから、こうした切断操作と帰属処理は何もかわっていない。
僕達も共犯ではなかったのか – opeblo

僕が、この話を聞いて思い出すのは、宮台真司さんが言っていた帰属処理と切断操作の話だ。何か訳のわからない事件が起こり不安になった時に、「こいつ」「こいつら」が悪いんだと是が非でも何かのせいにするのが帰属処理で、この「こいつら」は普通の生活を送っている僕達とは違うんだと、自分とは無関係な地平に押し込めて安心するのが切断操作。

 

この宮崎勤氏の件は、帰属処理と切断操作が行われた典型的な例だったと思う。幼女を連続殺害する猟奇的な事件に不安になった「僕達」(=社会の大多数)が、「この事件は訳のわからない嗜好をもつオタクが起こしたんだ」と帰属処理を行い、「この様なオタクは普通の生活をしている一般の僕達とは違う」と切断操作を行って安心する。

こうした帰属処理にアニメがいまだに使われている。その感性はいつアップデートされるのか。というかメディアの役割は帰属処理で勘違いの安心を提供することか、事件の本質をよりわかりやすく伝えることか。

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