物語を駆動するものは、登場人物たちの葛藤だ。葛藤のない物語は平板で面白くない。幾多の試練を前に悩み、怖気づき、苦しみながらも決断して前に進む。問題提起、壁に当たり、それを乗り越え成長していくのが人間ドラマのストーリーだ。
この「ある戦争」の主人公に訪れる葛藤は、生死を分けるのっぴきならない状況だ。部隊長として部下の命を預かる彼は、瀕死の部下を救うために「最善」の決断をした。しかし、その決断が多くの無関係の命を奪ってしまう。本作はその決断の瞬間の葛藤と、その決断後の長い苦しみを描く。誰かを救う行為が、別の誰かを殺す結果となるとき、人は何を考えるか。どちらも正義であった場合、正義のバッティングに人はいかに対処しうるかというのは、様々な作品で繰り返し描かれてきた。より近しい人を取るか、より多くの人を救うべきか。極限状態に置かれた人間はその本性を顕にするものだが、本作もまたそんな人の性根にまつわる物語でもある。
本作はデンマーク映画なのだが、デンマーク映画はドグマ95の影響を受けた作品が少なくない。提唱者たちがデンマーク出身であるのはもちろんだが、手持ちカメラでなるべく人口照明を使わず、ドキュメンタリーのような手触りで人間ドラマを取り上げる手法を本作も踏襲している。舞台はアフガニスタンと平和なデンマーク。よく似た構造の作品に、同じデンマーク出身の監督であるすスサンネ・ビアの「ある愛の風景」がある。アフガンに派遣される優秀な軍人、妻と子どもをデンマークに残し過酷な戦場で優秀な指揮官として任務をこなしていくが、ある日部下の一人とともに捕虜となってしまう。不安にさいなまれる部下を上官として必死に励ましながら捕虜の日々を過ごすが、敵兵に部下を殺せば、お前の命は助ける、と突きつけれた時、彼は部下を殺してしまう。自分を優秀な軍人であると信じて疑わなかった彼は、本当の人間性はこうした極限状態になった時に現れる。自分の命かわいさに部下をころしてしまった彼は、デンマークに帰国してからも、このことに苦しみ続け、まともに日常生活を送れなくなる。
本作の主人公もまた良き父親であり良き夫、そして良き軍人だ。多くの部下の命を預かる優秀な部隊長だ。ある日、パトロール中にタリバンから襲撃され、若い部下が瀕死の重傷を負ってしまう。彼を救うには一刻も早く、基地に戻り治療せねばならないが、敵がどこにいるのか確認できない。彼は敵がいると思われるポイントに爆撃要請をするように部下に命じる。しかし、爆撃の要請は本来敵を目視で確認し、確実にそこに敵がいることを証明できていなければならない。彼は部下の命を救うためにこれを怠った。かくして爆撃は始まり、敵の攻撃は止み、部下は一命をとりとめた。
しかし、後日、この爆撃により子どもを含む現地の民間人11人は死亡したことが発覚する。彼は強制帰国となり軍事裁判にかけられる。はたしてあの時の決断が正しかったのかどうか・・・舞台は法廷での闘争となる。
物語の争点は、敵を目視していたかどうかである。いや事実として目視できていないのだが、それが立証可能かどうかだ。立証可能な絶対的証拠がないので、判断は証言頼みとなる。保身のためもあるが、実刑が確定すれば懲役刑となる。子どもと妻を残して刑務所に入るわけにはいかない。しかし、子どもを殺した自分に幸せな家庭を続ける資格があるのか、といった葛藤もここで始まる。
誰にとっても容易に答えが出せない葛藤を絶えず突きつけてくる本作。映画を見終わってもこれで良かったのだろうか、と考え続けるが、永遠に答えが出ない。極限状態での決断に人の本性が出るとすれば、彼はそういう状況下であっても、部下の命を守る良き部隊長であろうとし続けたことだけは間違いない。だが一方では、それは正義から外れた行為でもあった。安易に全てを解決してくれる第3の選択肢など思いつくことなどできないものだ。
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