傑作と話題の韓国映画『タクシー運転手~約束は海を越えて~』をようやく観てきたのだが、確かにすごい作品だった。娯楽映画としても一級品であり、歴史の証言として語り継ぐべきものを描いているし、今日性も高い。韓国国内の政治運動を題材にしているが、韓国だけに留まらない、民主主義の普遍的問題を扱っているので、世界的に通用する作品になっている。
本作が描く光州事件は、1980年5月に光州市を中心にして起きた民衆蜂起だ。1963年から79年まで大統領に鎮座し、独裁者として君臨した朴正煕(パク・チョンヒ)が暗殺され、その後に実権を握った全斗煥(チョン・ドゥファン)も相次ぐ戒厳令の発令と民主化運動の弾圧を行い、各地で衝突が起きていた。光州でも学生を中心に大規模なデモが実施され、それに対して非常戒厳令が発令され、軍と民衆との大規模な衝突に発展した。
軍が市民を大量に殺害するなどの凄惨な事件(というよりも内戦と言うべきか)であり、韓国の民主化のプロセスを語るうえで絶対に外せない大きな事件として知られている。毎年5月18日には記念式典も行われている。
神話の構造に沿う物語
本作は、ソウルのタクシー運転手が、ひょんなことからドイツ人ジャーナリストを光州まで送っていくこととなり、そこで弾圧の実態を知り、事実を記録したジャーナリストとともにソウルに帰還するという構造になっている。
これはいわゆる「神話の構造」だ。神話学者のジョセフ・キャンベルが提唱する英雄の旅の構造をそのまま用いている。これは数多の物語で採用されている構造だ。スターウォーズもそうだし、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』もそうだ。
キャンベルの分析によると、世界各地の神話はおおむね、
1:旅立ち(分離)
2:試練(通過儀礼)
3:帰還(リターン)
という形式で語られる。これを「#好きな映画をつまらなさそうに紹介する」風に言うと「行って帰ってくる」となるが(実際マッドマックスはそうやって揶揄されていたよね)、それこそが古代から続く神話の語り口であり、英雄とはそのようにして出来上がるものだ。それこそ人類最古の叙事詩『ギルガメシュ叙事詩』からの人類の伝統である。
ソン・ガンホ演じるタクシー運転手は、映画の冒頭ではおよそ英雄とは言い難い俗物だ。家賃も滞納、民主化デモも商売の邪魔としか思っていない。10万ウォンの支払いに魅せられて、同僚の仕事をかっさらって、何も知らずにドイツ人ジャーナリスト、ユルゲン・ヒンツペーターを光州まで乗せていくことにする。これが1の旅立ち。
そして、報道規制が敷かれ、電話網も遮断され、軍が道路を封鎖している陸の孤島、光州になんとかして入ると、主人公はそこで現実を知る。これが通過儀礼となり、主人公は英雄として覚醒していく。光州で命をはる若者たち、同業のタクシー運転手、そして見ず知らずの自分におにぎりを与えてくれた女性など、多くの出会いを経て変容していく。
この変容の説得力がソン・ガンホによって大変見事に表現されている。映画の最初と終盤であきらかに顔つきが違う。まぎれもなく世界有数の名優である。
そして事実を記録したジャーナリストを再び乗せ、艱難辛苦を振り切りソウルへと帰還する。
近年の、こうした構成のヒット作は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』だろう。町山智浩氏は終盤の見せどころでマッドマックスをやっているという風に語っているが、似ているのは最後の部分だけではなく、全体の構造そのものだ。それは本作のチャン・フン監督が『マッドマックス』に影響を受けているからというより、同じ神話の構造から学んでいるからであろう。
実在する光州のタクシー部隊
さて、本作は実際の出来事を基にした劇映画だが、もちろん脚色はあるだろう。主人公もヒンツペーター氏も実在の人間であることは映画でも明示されているが、その他の登場人物に関しては明示的ではない。とりわけ、この映画で最も「大きな嘘」であるだろうと思われるシーンは、終盤のタクシー運転手たちの活躍だろう。町山氏もそこは大きな嘘で、だが「その嘘買った」と見事な脚色を絶賛しているわけだが。
映画を観る前に光州事件についてもっとよく知っておこうと、一冊関連本に目を通してから行こうと思って、『全記録光州蜂起 虐殺と民衆抗争の十日間』を読んでみた。この本は前書きによると、ソウルのプルピッ社から1985年に刊行されたが、発売と同時に全斗煥政権によって押収、発売禁止された『光州5月民衆抗争の記録―死を越えて、時代の暗闇を越えて』を原著にしているとのこと。光州の民衆蜂起を現地サイドで収集し得た諸資料を整理してまとめたものだそうで、編集者は全南社会運動協議会。翻訳は光州事件調査委員会で拓殖書房から出版されている。
民衆蜂起を時系列に追いかけ、事細かに光州でどんなことが起きていたのかの目撃証言をまとめているだけでなく、反乱によって権力を掌握した市民が、反乱後の秩序の回復の困難さに直面するなどの事例をも追いかけ、運動後に対する準備がいかに重要かなども説いている。軍部の弾圧の凄惨さに加えて、反乱を起こした市民側の怒りの恐ろしさも記述されており、非常に興味深い本だった。
この本には、光州のタクシー部隊に関する記述があり、実際に光州事件で戦ったタクシー運転手たちがいたことを記録している。
七時近くになって突如、柳洞方面から多数の車両がヘッドライトを照らし、警笛をならしながら突進して来た。最先頭には荷を満載した大韓通運所属の十二トントラックと高速バスが立ち、市外バス十一台が続き、その後には二◯◯余台の営業用タクシーが錦南路をいっぱいに埋めたまま従った。(p86)
文字で読んだだけでも壮観な光景だ。これこそ映像で観たかった気もする。本によるとこれは5月20日の出来事であり、ヒンツペーター氏が韓国の空港に到着した日なので時系列的に描けなかったのかもしれないが。
このタクシー部隊の登場によって、光州抗争は質・量ともに大きな飛躍を迎えたと本は記している。実際の光州事件においてもタクシー運転手たちは大きな役割を果たしていたようだ。
彼らが立ち上がる契機となったのは、あるタクシー運転手が負傷者を運んでいた時に起こった事件だそうだ。
運転手が「貴方も見ての通り、今にも死にそうな人は病院に運ばなくてはならないのではないか」と訴えるや、その空挺隊員は車のガラス窓を壊し、運転手を引きずり出して帯剣で無残にもその腹を刺し、殺してしまった。(p78)
映画でもけが人を運ぶタクシー運転手たちは描かれていた。病院にたくさんタクシーが停まってるシーンがあったが、あれはこうしたエピソードが基になっているのだろう。さらには、肉弾戦にも参加したタクシー運転手もいたようだ。
本は彼らタクシー部隊の登場をこう評している。
彼らの目つき、彼らの連帯感、彼らの献身的な決意こそ、五月抗争の頂点であったし、それは二◯日の夜から二日後の明け方に至るまで全市街地を揺るがせることになる。(p87)
たしかに映画の終盤のあの出来事自体は嘘かもしれない。しかし、あのように献身的に戦った地元のタクシー運転手たちは本当にいたのだ。その意味で、あのシーンは半分は嘘だが、半分は本当だ。
シーンは嘘でも気持ちは本当だ。
人が神話や物語を必要とする理由
チャン・フン監督は、韓国の若者がこの事件のことを忘れそうになっていることが製作の動機だと言う。人は記憶をなかなか引き継げない。だから僕たちは記録を大事にする。しかし、記録だけでは漏れ落ちてしまう人々の想いがあるから、物語がそれを拾う。
少し大袈裟な言い方かもしれないが、こういう映画があることが人類がフィクションを必要とする理由ではないか。これは語り継がれるべきものだった。だからこそ、本作は神話の構造で語られた。記録と記憶をともに引き継ぐためにこうした物語は必要なのだ。
柘植書房新社
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