映画『パンク侍、斬られて候』が6月30日から公開される。原作は2004年に発表された町田康の同名小説だ。原作も町田康も知らない人にも、そのタイトルのインパクトだけで相当にぶっ飛んだ作品であることは想像できるだろう。なにせパンクで侍である。時代劇なのにSEX PISTOLSの曲が流れるおかしな世界観なのである。しかしその中身は、タイトル以上にぶっ飛んでいる。
しかしながら、ただ荒唐無稽なだけの作品でもない。社会へのするどい批評眼も備えているし、人の愚かしさについての卓越した洞察もある。
本作は、黒和藩という小さな藩と「腹ふり党」という奇妙な新興宗教との争いを描いている。主人公の掛十之進(綾野剛)がその間で自分の利益のために立ち回りつつも、その騒動に巻き込まれてゆく。さらにそこに猿の軍団が絡んでくる。人間と猿が戦うのである。同じレベルで。いや、猿の方が統率が取れていて知的とすら感じられる部分もあるが。
保身しか頭にない黒和藩の家臣連中は、どこかの国の政治家や官僚のような振る舞いだし、腹をふるだけで世界の真実に到達できるとあっさり信じる民衆たちは、自分の信じたいものだけが真実であるというような、ここ数年ウンザリするほど世界中で繰り返されるネット世論のようでもある。
抱腹絶倒な物語なのだが、それが全くの絵空事と思えないので同時に寒気も起きる。これはそんな作品だ。
ネット配信事業者dTV単独製作の意義
この映画は、ネット動画配信事業者、dTVの一社単独製作である。映画もアニメも複数の事業者が参画する製作委員会方式が主流のなかで珍しいことだ。
本作の企画プロデュースの伊藤和宏氏は最初から1社製作でいくつもりだったと語っている。その理由をこう語っている。
「今回は最初から1社で製作することを決めていたので、他社からの“大人のブレーキ”がそもそもあまり無かった。それがいい方向に働いたのだと思います。やっぱりどうしてもいろいろな人が絡み過ぎると、『無難にやった方がいいんじゃないの?』といった意見が出てくることも増えてしまう。
[インタビュー]情熱と尊敬と時代が生む“Mad+Pure”な映画『パンク侍、斬られて候』の挑戦|エイベックス株式会社
製作委員会方式で作られる全ての作品が、無難な方向にまとまってしまうわけではもちろんないのだが、ここで伊藤氏の言う「大人のブレーキ」もないとは言えないのだろう。確かにこの原作小説は、両足でアクセルを踏み抜いたような作品なので、それを映像化するにはブレーキを踏んでいる場合ではないかもしれない。
一社単独製作の映画と言えば、近年では『シン・ゴジラ』が東宝の単独製作だったが、dTVというウェブ配信事業者が単独製作で劇場映画を作るのは初めてのケースではないか。しかも300館以上の規模で全国公開される(配給は東映)。 映画界は東宝、東映、松竹の大手3社、とりわけ東宝が一社勝ち組と言って差し支えないほどに支配的なシェアを獲得している状態だが、こうした新たなプレイヤーの野心的な挑戦はとても貴重なものだ。
我々は考える頭を失えば猿にも劣る存在である
本作の物語の発端はデマである。主人公の掛十之進が巡礼の物乞いを突如切り捨て、「この者たちは腹ふり党の信者で、いつかこの藩に災いをもたらす」と黒和藩に取り入るところから物語は始まる。
しかし、十之進が斬った男は腹ふり党の信者ではなかった。しかしこのデマは藩の筆頭家老の長沼(豊川悦司)にとっては都合が良かった。自身の立身出世のために長沼は十之進にデマを事実にせよと命じられる。
十之進は腹ふり党の元幹部の茶山(浅野忠信)を探し出し、一芝居うって腹ふり党の驚異を演出することにしたが、予想外に民衆がこれを信じ込んでしまい大暴動が発生する。保身と出世のためのデマが、藩を揺るがす大事に発展してしまう。
保身と出世欲に関してだけなら、異様に頭の切れる長沼や、自分の嘘をごまかすためにその計画に加担してしまう十之進。保身のために嘘を重ねる官僚や政治家の姿がそこにはダブって見える。そしてデマでもトンデモでもなんでもいいから、自分が気持ちよくなれるものを信じたい民衆の姿は、今のネット世論そのものと言ってもいいかもれない。
腹ふり党の暴動を扇動してしまうキャラクターの一人に、下級藩士の孫兵衛(染谷将太)がいる。彼はあまり頭が良くないし、どこか心が弱いところがある。腹をふるだけで世の中の真実に到れる腹ふり党の教えは彼の心を(不幸にも)救ってしまった。
腹ふり党は、「この世界が巨大な条虫の胎内にある、なのでこの世の全ては無意味である、腹をふることで条虫の肛門から抜け出て真実の世界に到れる」と説く。とてもシンプルな教えだ。シンプルで力強い。腹ふり党員は己の正義のために動いている。正義はやばい。特に愚直で考えの浅い正義ほどやばい。腹ふり党の行動はまさにそういった類の正義だ。
そしてそんな保身VSのやばい正義が猿によってかき乱されていく。映画を観ていると、次第にどれが人間でどれが猿かよくわからなくなってくる。自分の頭で考えて行動できない人間は猿と変わらない、なんだかそう言われているような気になる。
映画を観終わってニュースを読んだりしていると、なんとなく映画は終わっていないような気分になる。保身のために嘘をつく役人や大学の理事の話題で連日もちきりだし、あっさりとデマに踊らされる人々もいる。あのぶっ飛んだ映画は現実なのか?と意識が混濁とする。
「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、そうかもしれないと思う。こんなにもぶっ飛んだ作品なのに、現実はもっとぶっ飛んでいる、なんだかそういう思いに至ってしまう作品なのだ。
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