アニメ!アニメ!の敵役の連載で『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の碇ゲンドウを取り上げました。
【ネタバレ】「シン・エヴァ」が見事に完結できたワケ。立役者たる敵役“碇ゲンドウ”が果たした役割 | アニメ!アニメ!
本作では、いわゆる『旧劇』と違ってゲンドウとシンジの直接対決が描かれましたね。そのおかげで「父殺し」という物語の柱が明確になり、少年の成長劇として完成度が高くなりました。
それはちゃんと殺される側の父親、碇ゲンドウが敵役として主人公の前にきちんと立ちはだかったからです。『旧劇』ではそこがぼかされてしまいましたが、今回はわかりやすい構図になっていました。
ゲンドウがシンジ並に、もしくはそれ以上に他者に怯える人物だったことが描かれましたが、お互いが嫌悪し続けたこの親子関係は、まさに「ヤマアラシのジレンマ」って感じでしたね。
以下、原稿作成時のメモと構成案です。
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前作は父殺しのテーマがボヤけた印象になったが、今回は最後の最後に父と子の対決が描かれた。
挑戦しきれなかった前作。。。なぜ今度はきっちりと挑戦できるようになったのか。
親父に負けたようで悔しい・・・庵野監督の言葉(資料探す)・・・大島渚との対談で言っていた。旧劇から数年後の時。
ゲンドウがきっちりとシンジに対立者としてなることで、父殺しの物語として完成度が高くなっている。旧劇では父を乗り越えたのか、どうなのかよくわからないまま「気持ち悪い」へとなだれ込んだ。旧劇はある種、真っ当な父殺しから逃げた物語だった。
今回は明確にラスボスとして君臨した。これが綺麗に完結できた要因だ。・・・敵役がきちんと仕事した
父殺しの物語・・・なぜこれは繰り返し描かれるのか
神話とギリシア悲劇からみる「父殺し」の普遍性 | NHKテキストビュー
ドストエフスキー 父殺しの文学
Intro
シン・エヴァンゲリオン劇場版が完結した。
とてもスッキリした完結の立役者は誰か。それは碇ゲンドウではないか。なぜなら、主人公の乗り越えるべき「敵」として明確に対置されたから。
物語の主人公が成長するには、乗り越えるべき壁が必要だ。
その敵として碇ゲンドウは、旧劇明確に主人公の前に立ちふさがった。
Body1 旧劇との比較
エヴァは父殺しの物語だった。旧劇の頃からそうだった。父に捨てられた少年が父に認められたい一心でエヴァに乗る。
息子が父親にしてやれるのは、肩をたたくかころしてやることだだけ・・・ミサトの台詞
精神的な父殺しはいかになされてか。
しかし、旧劇劇場版では、主人公のあずかり知らぬところでゲンドウは溶けてしまい、うやむやな決着になってしまった。というか主人公視点では、父を乗り越えるという物語は全く完遂されていなかった。
Body2 父殺しはなぜ人類史の中で繰り返し描かれるのか
父殺しの物語とは何か、改めて。なぜ人類史で繰り返し描かれるのか。
神話とギリシア悲劇からみる「父殺し」の普遍性 | NHKテキストビュー
『スター・ウォーズ』において、息子のおかげで善の心を取り戻した父は絶体絶命の息子を助けて皇帝を殺し、みずからも死にます。息子が父を乗り越える、という形の典型的な関係です。
「母殺し」の時代における連帯--あるいは、新しい「きびだんご」の可能性について – 新・批評家育成サイト
「父–息子関係」は、支配と服従の関係である。父は息子を支配し、息子は父に服従する。直に息子は父の支配に抵抗を示すようになり、やがてそれに打ち勝つとき、息子は「父殺し」を果たし自立する。
父親との同一化から逃れることが自立するということ。
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似たようなデザインのエヴァ同士で戦う。。。。親との同一化のメタファー
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父が自分と同じ孤独で内向的、他者におびえる人間であったことを知り、父とは違う異なる道へと成長することで、精神的に父を乗り越える「父殺し」が完遂された。
Concl
当たり前に向き合ったからシン・エヴァンゲリオン劇場版は完結できた。
倒されることで息子の糧となることが親の責務かもしれない。
ミサトのセリフ「息子にできるのは、肩をたたくか殺す」だけ
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なら、親が息子にしてやれる最大のことは、敵として立ちふさがり殺されることなのかもしれない。エヴァンゲリオンという物語を終わらせるために、碇ゲンドウは今回その役目を見事に全うした。
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メモ終わり。
旧劇と比較してスッキリと終わった印象になった要因を、父殺しがはっきりと描かれたことに見出して、本作でどう父殺しが描かれたのかを説明して、そもそも父殺しってなんなのかにつなぐ、という構成になってます。
父殺しというのは普遍的なテーマで、そういう当たり前をエヴァ流に見せてくれたのが良かったですね。旧劇ではシンジの内的世界を描くために使った演出の数々が、今回はゲンドウの内的世界を描くために用いられていたのも2人が似た者同士であることを強調していました。
ミサトさんのセリフも良かったですね。あそこで母親代わりのミサトさんが送り出すというのも、必然的な展開と言っていいと思います。