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著作権、民主化するメディア、アウラのある「帰るべき場所」、リミックス

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こちらのエントリー「著作権は20世紀エンタテイメント産業の副産物〜違法ダウンロード罰則化が成立しちゃった〜」に触発されて書いてみます。


映画の父リュミエール兄弟(写真はパブリックドメイン)

複製技術と情報伝達技術の発達がメディアを生んだ
メディアというものが成立したのは19世紀後半から20世紀初頭と言われています。
メディアという単語を僕も普段から何気なく使っていますが、何らかの情報を媒介させるものであって、内容物そのものを指すわけではないんですよね。内容物と媒介させる伝達手段を、僕自身も普段からごっちゃしてこの単語を使ってしまうことがあります。

メディアは、具体的には蓄音機、活動写真(映画)など、音や映像を記録して複製できる技術とともに誕生しました。

グーテンベルクの活版印刷の誕生まで遡るべきかもしれません。
文字なので、今回は別にしておきたいと思いますが。

蓄音機や映像技術のない時代は、音楽や芝居などの娯楽情報伝える手段は、ライブしかありませんでした。

19世紀は、今でいうコンテンツを享受するにはライブが当たり前だったんですね。

メディア産業と娯楽産業の密接な関係と複製技術の民主化
蓄音機や映画ののようなコンテンツを記録し複製する技術、さらにラジオ、テレビのような大量の人間に一度に送る技術が生まれて、ようやくメディア産業という新しい産業が立ち上がりました。
そして音楽や映画を「商品」とする娯楽産業もこれと一緒に立ち上がります。
本来一回かぎりのその場のライブでしか表現できなかったものが、複製技術によって大量の人に届けることができるようになった結果、娯楽産業が生まれました。なのでメディア産業と娯楽産業は非常に密接な関係にあり、しばしば同一視もされてきました。

娯楽産業は同じ内容物をメディアを介して大量に流通させることによって成り立っていますので、その複製される内容物に使用制限をかけなければ産業として成り立ちませんので、そこから著作権という概念が必要になりました。

複製することそのものに権利を発生させることで、この産業は成り立ってるんですね。

そして複製手段がごく限られた人(印刷会社、CD制作会社など)にしか利用できず、テレビやラジオなど限られた人にしか、広く情報を発信する手段が無かったからこそ、この産業は特権的な地位を確保できていました。

しかし、複製手段は、デジタル革命によって民主化されました。今はパソコンさえあればなんでも複製可能な時代です。
そしてインターネットは情報伝達手段を民主化しました。

この2つの民主化によって、メディア/娯楽産業の特権的地位が揺らいでいます。
正確には娯楽産業を下支えしていた著作権の実効性が揺らいでいる、と言った方が正確かもしれません。揺らいでいるので、それを無理にでも立て直そうして、強引な規制や罰則押し通そうとしているのが、昨今の現状なわけですが。

アウラのある場所に回帰するコンテンツとリミックス
複製手段と情報伝達手段が民主化されたことによって、複製物はありふれたモノになり、メディアの希少価値は減少しました。
代わりに価値上昇しているのは、「今ここ」でしか体感できないライブ的体験です。
音楽産業がCD販売からライブに収益源の柱をシフトさせてきている背景は、2つの手段の民主化にあります。

ウォルター・ベンヤミンの複製技術時代の芸術作品という有名な書がありますが、ベンヤミンはこの書で複製技術の発達により、芸術からアウラが消失する、と説いています。
アウラとは「今ここ」に宿る礼拝的価値を帯びる一回性の何か、なわけですが、この複製と伝達の民主化がもたらしたものは、もしかしたらアウラの復活、あるいは再発見なのかもしれません。

音楽というコンテンツには、アウラのある帰るべき場所があるんだな、と思うのですが、映像作品はどうなんでしょう。
映像という、そもそも記録と複製を前提にした表現手段には、音楽のように帰るべき場所を持っていません。映像表現自体、複製技術とともに生まれたものですから。では映像カルチャーはどこに向かえばいいのか

これが解になるのかわかりませんが、一つの可能性としてアリかな。
アウラの復活の兆候がある一方で、複製技術と情報伝達の民主化によって、一つのコンテンツから派生する二次創作は益々盛んになってきています。作品の一部を別の作品の一部とリミックスして別の表現生み出す、手法は複製技術とクリエイティビティとクリエイティビティを繋ぐネットワークがあって始めて可能になります。一つのクリエイティビティは別のクリエイティビティ結びついて、さらそれが派生していく様は、クリエイティビティそのものがネットワークを作っているようで大変面白い現象です。これもデジタル/インターネット時代ならではの表現のあり方の一つですね。

一回性のアウラのある場所と、クリエイティビティのネットワーク。表現活動はもしかしたらこの2つに集約されていくのかなあ、などとぼんやり思っているんですが。まあ、そんな極端なこともないか。しかし、もしこうした時代になった場合に、現行の著作権が生き残る場所はあるんだろうか。

メディアを必要しない前者と、民主化されたメディアをフル活用する後者。あるいはその2つを併せ持った方法もあるかもしれません。ニコ生や映画館でのパブリックビューイングライブはそれに該当するかもしれません。

まあ、僕としては、映画という複製技術前提表現のオリジナリティはいかにして生き残るかを考えたいところですが。
それはまた別の機会にでも考えます。

オチが無くて恐縮ですが、急速に変化する情報環境の中で、立ち止まらずに思考し続けてる最中ということでお許しください。

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