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場面を変えて価値を作れば葉っぱも売れる。「そうだ、葉っぱを売ろう」

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昨年2月にウチの映画館で吉行和子主演の「人生、いろどり」という作品を上映した。徳島県上勝町という人口、わずか約2000人の過疎の町で、山になる葉っぱを高級料理のつまものとして販売するビジネスを成功させた実話を映画化したものだ。その時に映画館で関連本として売っていたのが本書なのだが、買ったきり積ん読状態だったのをようやく読了。

映画では吉行和子が主演で、葉っぱビジネスに従事するおばあちゃんが主役だが、本書ではそのビジネスの仕掛け人の元農協職員、横石知ニ氏が書いている。地方衰退が叫ばれる昨今、地方から売上高2億円を越すビジネスを立ち上げ成長させてきたのか、また地方に生きる人たちにどのように積極的に仕事に取り組んでもらうのかを実体験とともにわかりやすく書いている。
上勝町の葉っぱビジネスは、何度かテレビでも取り上げられている有名な話だ。検索しても多くの記事がヒットするし、ご存知の方も多いと思う。

つまものとは、料理を引き立てるために沿えられるものを指す。料理の主役ではなく、食べてもらうために出されるものでもない。本書の中では横石さんが「主役になれない、という意味です」と説明しているが、主役になれないものを扱うことで、田舎のおばあちゃんたちの人生が輝き出す、という思いがけなさが本書の魅力。
思いがけなさ、ということで言えば、料理の葉っぱに注目すること自体が、思いがけない発想でもある。なにせ主役ではない。つまものがつく料理は高級料理が多いし、主役の美味しさにどうしても注目してしまう。横石さんはあることがきっかけで、この視点を上手く移動することができた。がんこ寿司の小嶋淳司会長が「年間延べ800万人のお客様が訪れ、つまものを目にしているが、それを事業にしようと思い立ったのは横石さんだけ」という言葉も本書で紹介されているが、視点の移動、発想の転換というのはそれぐらい稀に起きることだろう。

この発想の転換を横石さんは「『場面』をつくること」が大事と説明している。どういうことか。引用してみる。(p176より)

鳴門金時という徳島県鳴門市特産のさつま芋を東京で販売していた人が、小さい意味ばかりを集めた袋を見た客に「これは新種ですか」と聞かれて、にこやかに返答していた。
「あなたのような、お口の小さな方に合わせて作ったんです、食べやすくて、甘くておいしいですよ」
するとそのお客さんは、もうニコニコ満面の笑顔になって買って帰ったのだ。その時隣でシイタケを売っていた私は、これにはずいぶん感心させられた。

野菜は小さすぎるものは出来のよくないものとして認識されるであろう「場面」で、視点を変えて価値を作り出す話法だ。どの業態でもこうした発想は重要だ。映画やテレビのような、物品ではなく情報や感動を売るような業態は尚更だろう。
横石さんは、葉っぱは他の野菜や果物とは違い、「物としての値打ちは売値の5%ぐらいしかない。残りの95%は「場面」→「価値」→「情報」→「仕組み」を評価されて売れる中から生まれてきている」と語っている。
商品が価値を持つ場面を想定し、魅力ある情報を示し、流通する仕組みを整えることでモノの価値が高まっていく、ということだ。

今、そういう価値の転換がいろんなところで重要だと叫ばれているが、これは大変に大きな成功例の一つだろう。しかも過疎がすすみ、ますますリソースが枯渇していると思われがちな地方の田舎から出てきている。田舎だから、葉っぱがたくさんある、だから有利なんだと横石さんは主張するが、そこにも優れた視点の移動がある。

そうだ、葉っぱを売ろう!  過疎の町、どん底からの再生
横石 知二
ソフトバンククリエイティブ
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