via 映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』
デジタル化の波、というのはもはやあらゆる分野で止まることはない。これはもう前提だと思います。この映画を理解する上で、というよりはこれからの社会を行きていく上で。映画に限らず音楽もデジタルの波に揺らされ、今電子書籍を巡って攻防が繰り広げられています。
音楽の電子化は製作の現場で云えば、随分前から始まっています。YMOが活躍したのは80年代ですから。電子楽器シンセサイザーによってテクノミュージックが確率され、音楽製作の現場におけるデジタル化は新しいタイプの音楽ジャンルを生み出しました。また、現在では技術の進歩と一般化で宅録も可能になり、誰もが音楽を作れる時代になりました。そして今ボーカロイドが起こしている現象も興味深いですね。
出版の世界でも入稿のデジタル化は随分前から始まっています。出版業界には詳しくありませんがDTPのもたらした恩恵は大きなものであったでしょうし、作業の効率化のほか、修正の容易さなども大幅な改善がなされたのだと思います。そして今流通のデジタル化によって出版の世界が大きく動こうとしているわけですね。
音楽と出版の世界を見る限り、表現・製作の過程においてデジタルがアナログかという議論はほぼないように思います。(業界の外の人間なんで中ではもしかしたあるのかも知れないんですが)
今その2つの業界で議論されているのは主に流通におけるデジタル化。というよりオンライン化と云うべきですかね。
さて、音楽と出版が辿ったようなデジタル化の過程は、映画も当然同じように辿っていますが、2012年になってもいまだにデジタルかフィルム化という議論が存在しています。この映画は映画製作におけるデジタル化の歴史と問題点、そしていまだに続いているフィルムかデジタル化の議論に主にスポットを当てた作品です。映画監督や撮影監督、カラーコレクションのスタッフやCGクリエイターなど、多くの人物へ俳優キアヌ・リーブスがインタビューを行っています。しかし、登場人物が豪華です。映画オタならそれだけで満足できるほどに。
製作過程や表現上のデジタルとフィルムの違いについて丁寧に説明されており、製作者たちの考えも示唆に富んだ者が多い一方、音楽と出版同様に流通のデジタル化(or オンライン化 or データ化)についてはあまり触れておらず、オマケ程度の扱いといったところ。実際に音楽産業を最も大きく揺り動かしたのが製作現場のデジタル化か、それとも流通のデジタル化かを考えると、この議論をしないわけにもいかないのではないかとも思います。しかし、なぜVPFの問題などには触れられていないこと自体が示唆に富んでいるとも云えるのですが。
表現におけるデジタルの恩恵とフィルムの利点とは?
映画製作のデジタル化は撮影よりも編集の現場で主流になりました。アナログの編集はフィルムを手動で切り貼りしていて非常に効率が悪い。一方デジタル編集はあらゆる繋ぎ方を即座に試せるから、いろんな選択肢を吟味できます。その他後から映像のカラー補正をするためにもデジタル技術が用いられます。
そして撮影現場にデジタルカメラをという選択肢が現実味をおびてきたのは90年代後半からで、そのころ安価なデジタルカメラは主に低予算のインディーズ映画で使用されます。そしてもう1つの利点としてデジタルカメラはフィルムのカメラよりも軽く小さい。その軽やかさによってフィルムのカメラではできなかったようなカメラワークが可能になったりして、より自由になったと感じる製作者もいました。一方映像の美しさでデジタル撮影は、フィルムに及ばない時期が続き、それは今でも(少なくともフィルム派からすると)そうで、それゆえに映画では未だにフィルムで撮影される作品もそれなりにあります。ダークナイトとかマネーボールとかフィルムですね。アルゴなんて16mmフィルムでの撮影でしたしね。フィルムにはデジタルになり表現力があると主張する映画監督や撮影監督もたくさんいらっしゃいます。その代表格として、この映画ではクリストファー・ノーランが取り上げられています。
これは映画に限りませんが、デジタル化に関する議論で常に中心的な問題意識は「効率化」の問題です。デジタルにした方が圧倒的に効率は良い。しかし、効率化でクオリティを犠牲にして良いのか、というのが最もポピュラーな対立軸です。しかし、この議論はつねにデジタルの勝利に終わるのです。なぜならデジタル技術は日進月歩だから。そして資本主義だから効率化を犠牲にすることはそもそもできないから。
しかし、この映画の優れた点は、そうした単純な図式とデジタルとフィルムを捉えるのでなく、表現様式としてデジタルの利点を探りつつ、フィルムの優れた点も模索するというような、選択肢としてのデジタル/フィルムと捉えている点です。
デジタルなくては撮れなかったであろうスラムドッグ・ミリオネアの映像にはどんな個性があったのか、クリストファー・ノーランがなぜフィルムにこだわるのか、映画が多様で豊かなものであるためにデジタルとフィルムとどういう利点があって、現時点でどんな問題を抱えていて、何が実現できるのかを丁寧に描いています。
しかしながら、デジタル派の主張は明快で具体的なのですが、フィルム派の主張はやや曖昧な部分があるんですね。フィルムの方が高価であるので、無駄にはできない緊張感が現場にもたらされるので、結果仕事の質が高まるという主張は、実際人間てそういうものかもしれませんけど、やはり本質的な議論にはなり得ないでしょうし。
音楽の世界ではアナログのレコード盤もいまだに残っています。カセットテープが生まれ、CDが生まれ、オンライン配信が生まれたにも関わらずなんでレコード盤という古いメディアが残っているんでしょうか。
クラブミュージック好きならわかると思うのですが、今日のレコードは古いノスタルジーの産物ではなく(そういう需要もあるけど)、DJの華麗なプレイの道具です。このレコードを用いてスクラッチという新しい技術が発生し、この技術はヒップホップという新しい音楽ジャンルにおいては欠かせないものになっています。
ヒップホップのDJ達は、古いアナログレコードから新しいテクニックを発見して、レコードの魅力を再発見したわけですね。
こちらはスクラッチを発明したグランドウィザード・セオドアのスクラッチ発見の秘話。
音楽では、このようにアナログ盤に新しい価値を与えるような動きがありました。映画ではどうなのでしょうか。フィルムは美しい。しかしデジタルの画像の進歩は早い。それでもフィルムの味は残るでしょう。レコード盤の味はCDとは違ったように。
しかし、だれかがグランドウィザード・セオドアのように古いものから新しい価値を発見できなければフィルムの未来は厳しいものになるでしょう。
ノーランにはそのアイデアがあるのかどうか。ダークナイトは大傑作ですが、フィルムだから傑作とは思えません。あれは単純に脚本がすごかった。(弟のジョナサンとの共同作業)
DCPとVPF。映画配給と興行におけるデジタル化の問題とは
さて、ここから描かれなかった流通の話。映画のレビューはここまでで、この先の文章は映画に描かれなかったお話。
最近では映画の流通のデジタル化、いわゆるDCP(デジタル・シネマ・パッケージ)システムとVPF(ヴァーチャル・プリント・フィー)の問題がミニシアターやインディーズ作家の間で取りざたされています。この配給と上映のデジタル化の問題はこの映画ではあまり議論されていないのです。
映画館のデジタル化の問題についてこちらのまとめが非常にわかりやすいので参考にしていただきたいのですが、僕はなぜこの問題がこのハリウッドの重鎮たちが多数出演する作品で取り上げられないのかを考えてみたいと思います。
映画界のデジタル化 なにが問題なのか? – Togetter
映画館のデジタル上映の企画はDCPというものに統一されることが決まったのですが、これに対応するプロジェクターシステムの導入費用は非常に高価なものになっています。でもハリウッドがエイや!と決まってしまいました。今後ハリウッド映画はこのDCPシステムでないと上映できません。
で、この高額な額では導入するのは難しいので、どうしたかというと、導入費用を負担するから作品一本を上映するごとにレンタル代を徴収するVPF(ヴァーチャル・プリント・フィー)というシステムが考案されて、これが今の主流になりつつあります。
作品一本を1スクリーンにかける毎に課金するシステムで、1本だいたい7〜9万円くらい。フィルムのプリントは1本20〜30万くらいかかっていたので、大きなコスト削減になります。
しかしこれは同時に全国一斉に上映するタイプの作品なら大幅なコストダウンになりますが、単館系の小さな劇場でやる映画は、1本フィルムを作って、それを順に他の映画館に回すやり方だったんで、30万円プリント代が発生しても5館で上映できれば単純計算で1館あたり6万円だったんで、そういう小さい映画館にはむしろコスト増になっています。
なので小さい単館系の映画館の経営を圧迫しかねないものとしてDCPとVPFというのは、現在映画業界でけっこう大きな議論になっております。製作においては多様性を増やしたはずのデジタル技術が、ここでは多様性を奪うことになりかねないのですね。
しかし、ハリウッドには都合の良いシステムと云えなくもありません。メジャーな映画館だけがのこればそこにかけられるのはハリウッド映画が中心になりますから。シネコン向けに設計されたシステムなんですね、
VPFは。
元々このDCPという企画を決めたDigital Cinema Initiativesに参加している企業は、MGM、FOX、ワーナー、ディズニー、ソニーピクチャーズ、パラマウント、ユニバーサルと見事にハリウッドメジャーだけ。それは小さい映画を重んじるような決定をくだすはずがないのですけども。
この作品で、この問題意識が欠けているのはなぜか。製作者にスポットを当てたからなのか、それともハリウッドの中枢で活躍している人たちにはそもそもこの問題意識がないのか。どうなんでしょうね。
デジタル化は個人出版や音楽の個人発表の道を切り開き、多様性と民主化の道を開き大手がそれに反対するという構図なのですが、映画上映、配給のデジタル化においては、むしろ大手の決めたルールのせいでインディーズが圧迫される状況になっています。このねじれを何とかしないと映画の未来は多様性という点に関して、乏しい未来になってしまうでしょう。
昨年、自分たちのビジネスを脅かす海賊版撲滅の名目のために大幅なインターネット規制(SOPAとPIPA)に乗り出そうとしました。彼らは全体の最適化がフェアネスよりも自分たちの利益拡大をしゃにむに優先するその姿勢は、ネット規制においても、DCP/VPF問題についても同様です。SOPAとPIPAの時は嵐のような猛反対で挫折したのですが、DCPの前身が最初に準拠されたのが2005年で現在の仕様に確率されたのが2008年。今から声をあげるのはもう遅すぎる。。。
VPFも最初にデモンストレーションされたのは1999年にもなります。問題が共有されるのがあまりに遅すぎた。
しかしながら、デジタル化は基本的には、多様性の担保のためにあってほしいと僕も思います。VPFに関してはその上映館の規模に応じて、フィーを変更するなど、もっと工夫してもらう余地はないかどうかなど、いろんなアイデアをぶつけるのは悪くないと思います。
そしてフェアユース問題
それから、もう1つ。この映画のエンドクレジットに「Fair Use Councel(フェアユースの助言役)」というクレジットがありました。Marc H. Simonという人がその役職についていました。普段は弁護士として映画に携わっている人のようです。
この映画、多くの映画の1シーンが挿入されています。あのシーンはこういうデジタル技術を用いているんだよ、とかこの映画はフィルムで撮影してるんだよ、とかビジュアルを一緒に説明してくれるのですごくわかりやすい。
この映画で使用された映画の1シーンはフェアユースでの使用規定の範囲内で、それを指導した人が上述のクレジットの役職の方なんでしょうね。
こういうドキュメンタリー映画を日本で製作する場合、どういう手続きを踏まないといけないんでしょうね。この国には映像利用にかかるフェアユース規定がありませんので、こうした検証映画を作るのも相当の苦労があるでしょう。ていうか作れないかもしれませんね。あんな昔の作品から最近の作品まで全ての権利処理は日本ではムリだろうな。
映画の公式サイトはこちら。
映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』公式サイト
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