「そして父になる」というタイトルがとても上手く作品全体を表現できていると思う。そして、という接続詞がこんなにも重たいものなのか、と。
子供が生まれた瞬間から、夫である男は戸籍上は父に自動的になるはずだが、「出産」という身体に大きな負荷をかける一大イベントを経験する母親とは違い、親の自覚を持てないで時を過ごしてしまうことがあるのかもしれない。
これはそういう男の物語。父親としての自覚がないまま「父親」をやっているつもりでいて、実は父親役をしっかりできていなかった男がその役割に大切に気づくまでの過程を描く物語。
是枝監督はインタビューで母親には「そして」がない、と語っている。タイトルの「そして」のことだが、母親は出産した時点からいきなり母親としての強さを身に付け、人が変わったようになるという。
MOVIE|映画『そして父になる』是枝裕和監督インタビュー | Web Magazine OPENERS – MOVIE|Tokyo Tips
母親の場合は、“そして”がいらないんですよね。うちの場合は、子供が生まれた瞬間に嫁さんが別の生き物に変化したような気がしたんです。急に強くなったような。「そうか、そんな風に人って変わるんだ」と思ったほどでした。でも、それほどには自分は変わったという実感もないし、実際に変わっていない。
この映画はこの「そして」を二時間かけて描く作品と言える。息子を持って6年間、そしての段階に向き合うことなく仕事の明け暮れて、いい暮らしと高等教育を1人息子に与えてきた。積極性がないのが少し残念そうだが、それなりに子供を愛している。しかし、自分ほどに優秀ではない息子に対してジレンマを感じてもいる。
取り違えが発覚した際、「やっぱりな」とつぶやく。自分ならできることが息子にはできないジレンマが思わず本音として漏れる。たとえ自分の血を引く子供であっても、子供は自分ではない。が、彼にはそれがわからない。
取り違えの相手先は貧しい町の電気屋。しかし、父親としては彼もよりも優秀だ。壊れたおもちゃもたちどころに治せる。(こういう特殊技能は父親としてホント大事) なにより子供とふれあうことの大切さを知っている。人生の落伍者にも見える男に父親として敗北している現実が彼を孤立させる。
お互いに子供を交換し、少しずつ時間を積み重ねていくが、父親としての振る舞い方を学んでこなかった男は、どうすればいいかわからない。なんとなく関係性が自明だった今までの家族生活を送るだけではダメで、かれは意識して「父親」として振舞わないといけない。しかし、どうすればいいのかわからないから、むりな世界観躾を押し付ける。
対象的にリリー・フランキーは自然体で父親である。新しい息子に対しても全くギクシャクすることなく、家族として、息子として接することができる。福山雅治からするとまるで生まれながらに父親であるかのようにすら見える。おそらくはかれが子供と過ごす時間を多く作ってきたからこそできる芸当なのだろう。家族は血か時間か、という結論をこの映画は明示したわけではないが、男が「父親」になるには時間が必要だと結論づけているように思う。それも子供を過ごす時間が必要だと。
是枝監督の作品には常に節度がある。強引に結論を出さないし、傲慢に大きなメッセージを押し付けない。ここでも家族全体はこうあるべき、という押し付けはない。母親はこうあるべき、とも示さない
ただ、父親になるための通過儀礼として、子供の他者性に向き合う大切さと、時間をかける大切さを痛切に訴える。
役者陣は全員素晴らしいパフォーマンス、写真家瀧本幹也の抑制された映像もとても心地よい。今年の日本映画を代表する一本ですね。
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